【アイドリッシュセブン】和泉一織のしんどいとこ語る②
引き続き語ります。
とりあえずメインストーリーの時系列を追いつつ思いついたことをつらつらと……と思ったらだいたいサイドストーリーの話に終始した。
①はこちら。
三月との過去と一織の夢
今回はだいたい一部2章5話のサイドストーリー「届けたいキモチ」について語ります。観客9人の大コケライブと、一織が紡にマネージメント参加を申し出る話の間のエピソードですね。
サイスト、一織しんどいエピソードの宝庫過ぎ。
一織の回想。オーディションに落ちた三月に対し、受かるための「作戦」を提示して、三月の逆鱗に触れる。
「なんでオレに構うんだ!? オレと違って、
一織はなんでも出来んだからさ!
その頭、自分のために使ってくれよ!」
「そん時はオレも、
おまえを全力で応援してやるから!
頼むからオレのことは放っておいてくれ!」
「一織の気持ちはありがたいけど、
指図されてるみたいで嫌なんだ!」
でも、一織の望みは、
「ほんの少しの工夫で、
世間に埋もれている『いいもの』は、
忙しい人々に振り返って、価値を認めてもらえる。」
「私はずっと、
その『いいもの』の手助けがしたかった。」
……なんですよね。
兄さんという、『いいもの』を応援したい、手助けしたい、世間に価値を認めてもらいたい。一織の夢、やりたいことはそこにあります。一織はまさにその「自分の願い」のために頭を使って――そして三月に手ひどく拒絶される。
指図されてるみたいで嫌だと言われてなお、これが自分の夢、これが自分のやりたいことだと主張することは、兄を愛し慕う一織にはきっとできなかった。
でも、それでは、一織の夢は絶対に叶いません。一織の想いには行き場がない。スカウトされた頃の一織は、夢に破れて呆然としていたのかもしれません。
そして、大コケした野外ライブ。一織はふたつの「才能」に出会うんですよね。圧倒的な歌唱力と、ひとに愛される魅力を持つ、七瀬陸。マネージメントにおいてはポカも多いが、素晴らしい舞台演出をする小鳥遊紡。舞台上で一織は確信する。この才能があれば世界が獲れると。そして身震いする。自分がこの才能を知らしめたい――!
兄を支援するという夢に破れ、せめて兄を側面から支えようとアイドルになった一織が、IDOLiSH7という夢、七瀬陸という夢に出会った瞬間。
でもすぐに一織は思い知ることになるんですよね。打ち上げでも、水を差すようなことしか口にできない。自信を付けさせたいと思っているのに、陸を「なんかオレしちゃった?」と萎縮させてしまう。
兄のことも、うまく応援できなかった。マネージメントの才能はあっても、自信を与える才能がない。
この場面で「ああ、自分では駄目だ」と引いてしまうの、それだけ三月とうまくやれなかった過去が一織を苛んでいるんだろうなぁ。もう、すっかり諦めてしまっているんですよね。
事務所に足を運んだ一織のモノローグが胸に痛いです。
……彼女と一緒になら、
こんな私でも、
IDOLiSH7を栄光へと導いていけるはずだ。
「こんな私」ですよ。この、自己評価の低さ……。
いや、IDOLiSH7、自己評価低い子ばっかですけど。一織がしんどいのは、こういうとこがサイストとかラビチャで補完されないとなかなか見えないとこ!
だってこの場面、表のストーリーでは「パーフェクト高校生と呼ばれた私の力を~」ってなんかすごい自信に満ちたトンチキセリフで迫ってくるとこじゃないですか。「私って有能ですからアイドルやるだけじゃ物足りないんですよね、あなた頼りないから力を貸してあげますよフフン」みたいなキャラじゃないですかこの時点の和泉一織。
まさかその直前にそんなネガティブなモノローグ浮かべてるとか思わないってば……。
能力への自信と、人格への自信のなさ
このアンバランスさが、和泉一織という沼の深さだだなと想います。
一織、基礎能力がめちゃめちゃ高いんですよね。ダンス、歌、演技力、記憶力、分析力、企画力、etc。周囲からの評価も高い。そしてそのことについて、本人も自信たっぷり、できて当然、という顔をしている。
一織がしばしば「私はできますけど、他の人にはできないでしょ?」「私と比べては気の毒ですよ」のような言い方をするところ、めちゃめちゃ好きです。鼻持ちならない台詞とも言えるんですが、出来の良い子にありがちな「私にできるんだからみんなできるでしょう、やってくださいよ、なんでできないんです?」という態度にならないのは、美点でしょう。
一織は小言は多いんだけど、あくまで「相手ができるライン」に合わせた小言を言うんですよね。そういうとこほんと好き……。
彼は自分が生まれつきの才能に恵まれていることも、他人がそうでないことも知っています。
知っているというか、思い知らされていると言うべきかもしれない。だって、一織にできることが、三月にはできない。努力しても届かない。嫌でも分かります。自分が「出来てしまう」人間だということ。
一織のようにできないことに三月は傷つき続けていたんでしょうし、その裏で、「自分の生まれ持った能力が兄を傷つけていること」に一織も傷ついていただろうなと思います。
そして、一織は自分たちがそういう間柄だということに自覚的だけれど、三月は一織が「兄にコンプレックスを抱かせるような存在である自分」に傷ついていたことに、おそらく気づいていない。いない、ように見えます。
……いやほんと和泉兄弟しんどいわ……。
おそらくそういう経緯もあるのでしょう。
一織は「和泉一織という人間」が他人に愛される、好意を持たれる存在だと思っていない。愛される期待をしていない。していないっていうか、もうできないんでしょうね。
彼が他人にきつく当たるのは、愛してもらおうという努力をすっかり放棄してしまっているからなのかなと思います。やわらかく接したって、どうせ自分みたいな人間は、愛してはもらえない。なら言いたいことを言ってしまえ。そんな感じ。
時系列すっ飛ばして三部の例の「コントロール」の密約に触れますが、そこでも「私を嫌っても憎んでも構わない」って言うんですよね、あの子。
あれだけの絆を育んでいてなお、陸からの好意を簡単に諦めてしまう。
素の自分の人格に好かれる要素が見いだせないから、いま貰っている好意の連続性を信じ切れない。相手がなにか不快になるようなことをしたら、たちまち失ってしまう、そして、自分の行動でそれを再び取り戻すことはできない。
好いていて欲しいと期待するだけ苦しいだから、嫌われて当たり前なのだと思うことで、これ以上傷つかないように自分を守っている。
そんな風に見えます。
あ、そうだ。ユニットのラビチャで陸と喧嘩するくだりもそう。
あなたはもう、私と口を聞きたくないのかもしれないですけど。
喧嘩後の謝罪のメッセージに、こういう言葉がするっと入ってきてしまう。謝罪そのものも、かなり自己否定的なんですよね。自分の責任なんだけど、これまで友人が少なくて、友達と過ごす経験もなく、うまく振る舞えない。ごめんなさい。反省しています。という。
本当に、徹底的に、一織は自分という人間を愛していないし、愛されることを信じていない。
その一方で、能力については自信がある――というか、出来のいい自分を正しく見極めている。
和泉一織は、他人の目には自信家に見えるでしょう。その自信に見合う能力があるから、他人がその鼻っ柱を容易に折ることもできない。
そして、そういう振る舞いをするから、彼が内面に抱える自己否定は、なかなか他人の目には見えない。自分についてすっかり諦めきっていて、いまさら他者からの否定に凹むことなく淡々と結果を出せてしまうから、取り返しのつかないミスを犯さない限り、他者からフォローしてもらえない……。
陸や壮五、三月がわかりやすく自己否定で調子を崩し、周囲からのケアをいち早く受けるのとは対照的です。
一織のそういう「メンタル面になにを抱えていても、アウトプットに影響させずこなしてしまう強さと、それ故に見過ごされていくしんどさ」が、私は、本当に好きで好きで好きで。
健気で、いじらしくて、泣けてきてしまう。
一織と壮五という、出来のいい二人を比べて、大和はこう言うんですよね。「イチにあってソウにないものは、あのふてぶてしさ」。
正しく、わかりやすく、そしてひどく残酷な台詞だなと思います。ふてぶてしくなれない壮五も、ふてぶてしい最年少にしかなれない一織も、おそらくは根深い自己否定がそうさせているのだろうから。
アイドリッシュセブンはほんとうにこういうところが巧いなぁ……。
また長々書いてしまった。まとまらないまま③へ続く。
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