イリュージョニスト 感想覚え書き

2021/1/27〜29
ミュージカル「イリュージョニスト」世界初演コンサートバージョン@日生劇場

3日間5公演お疲れ様でした。


いやぁ、ほんと上演できてよかった(言い方がおかしいけどイチ観客です)

制作側、キャスト・スタッフ皆々様の苦労は私がいくら想像して書き出したところで到底足りないし足りてたまるか、だと思うので、何としてでも上演することを諦めず、この公演を初演として世に送り出していただいたことに心から感謝します。

それと同時に、これがワールドプレミアであり、今後日本・世界でさらに進化し、完全版として上演される時を心待ちにしています。


まず全体の感想から書く。

・とにかく曲が難しいのにとてもお歌がうまい
イリュージョニストの曲はまず全体的にミステリアスなうえに予想がつかないメロディー展開が多く、そんな音に飛ぶ?!とか不協和音?!って思ったりする。

けどそれが、この話の一つの筋である「何が真実?何が幻?」というものを表しているのかとも思った。これが真実だと思っていても、急に不安な音が鳴るその危うさ、実は消えてしまう幻かもしれない、と思わされてしまうような。

かと思えば、このフレーズどこまで続くの?ってぐらい喋るように紡ぎ出される歌詞があったり。

そしてそれらを盤石のキャスト陣が届けてくるので、ただ圧倒されるしかなかったです。


・衣装が豪華
これは公演後に画像が上がってきているので、そのまま。

でもコンサートバージョンへの変更により日の目を見なかったお衣装が色々あるようなので、その意味でも次回が楽しみです。



さて。


このお話、結末を知らない人には次回上演まで知らないままでいて欲しくて、気軽に中身を呟けない…けどどこかに残しておきたい…とずっとぐちゃぐちゃしていたので、思い切ってまとめて書いてしまおうとここを開設しました。

そのため、もしここを読んでらっしゃる方がいたとして、その中で今回観ていなくて次こそは!と思っている方がいたら、以下は読まずにいて欲しいです。絶対にその方が楽しめる。

ということで、以下話の結末に触れてネタバレをしています。








初回を観た時、ラスト2〜3分でぶわぁっと鳥肌が立った。

完全に騙された!!
と気づいて、次に観た時の感想を主に並べてます。


・剣から宝石を取るのがスムーズ
これ、2回目に観た時に「ほんとだこの時に取ってたんだ!!」と納得した。奇術師は周りから見て違和感のない動作でコトを終えなければならないからね、気づかないねそりゃ、うん。


・「ゲームさ」
皇太子とソフィが揉めている手前で歌われている「ゲームさ」では数フレーズごとにピタッと動きが止まるが、その中で動いている2名。

そわそわしているアイゼンハイム、何してるんだろうと思ったらしきりに懐中時計を気にしていた。そしてそんなアイゼンハイムを離れた場所から監視していたウール警部。

ジーガが動いていなかったのはアイゼンハイムと警部のやりとりには関わらず、ゲームを他の客にさせている興行主だから?(気づいてなかっただけで動いていたらごめんなさい)そして止まってる側は本当に動かなくてそれもすごかった。


・皇太子は悪か
映画版では「皇太子は既に女友達一人を殺している」という描写がある(これも噂ではあるが)。「公爵令嬢と警官一人を殺す罪」と言われても、わざわざ否定はしない。
一方、今回の舞台では皇太子は人を殺すことはしていない、ただ冷たく高圧的な人間である。
とはいえ、「私は理性の男」と言いながら囚人を吐かせたくてボコボコに殴ったり、「公爵令嬢と警官一人を殺す罪」と言われて「私は殺していない!」と大声で否定したり、「皆あいつにはめられているんだ!」と叫んだり、映画版よりは人間臭さがあるように見えた。

最期に自分を撃つのは、ほどなくして玉座につくはずだった計画がぶち壊しになることをプライドが許さなかったのかと思ったけど、「どいつもこいつも仕事ができない」「手を尽くしたのは私だけ」等々を聞くと、こんな奴らが住む国をひとりで必死に立て直そうとすることに意義を見出せなくなったのか。「もううんざりだ」の意味が今分かった(遅い…)。

皇太子は結局「法は守るべき」は有言実行していて(理性の方は置いておく)、これが正しいと思う道をひたすら進んでいるだけなので、本人としては悪・間違いと言われる筋合いは何一つないんだなぁ。
周囲から見たら、過激派へ傾倒していく皇太子は「悪」と見做されるのだろうけど。
でもやはり、婚約者の棺を踏み台にしてしまうあたりはゲスい。「生きてる時より死んだ今の方が人気がある、今ならソフィの思い出のもとに何でもできる」と、死してなお道具として使おうとしているところとか。

そういう姿勢だからアイゼンハイムに民意を煽動されてしまうんだよ…


・紙吹雪
紙吹雪1回目で「葬儀のミサなのに紅白…?ここはウイーン、紅白ものは慶事に使われるのは日本だけの考え方なのかいやでも…」となり、2回目(皇太子が囚人を殴る)でなるほど血を表しているのか、と理解する。

ラストは一見、真実の愛を取り戻して結ばれたアイゼンハイムとソフィを祝福する紅白の紙吹雪。

に見えつつも、さっき血を表していた紙吹雪と同じ色だよ、これは皇太子のものか…?皇太子というある意味「真実」を犠牲にすることで成り立つ愛っていうめちゃくちゃ皮肉なんだろうか。

舞台ではなかったような気がするけれど、映画版ではアイゼンハイムが皇太子に挑発された際「では次はあなたを消しましょう」と返している。

ほんとに『消した』んかお前…怖すぎるぞ…

さらにこの場面で「完璧なトリック」のメロディーが聞こえてくるのがもう、、
「当代一のイリュージョニスト!」と紹介され、華やかで笑顔が多い舞台上に目がいっているので(かつ、どうしても主演に肩入れしながら観てしまうため、おめでとう!という感情が勝ってしまいがちなので)最初はスルーしてしまったけれど、バックの音楽に”この100分間あなた方が観てきた全てはこのイリュージョニストが仕組んだトリックでした、完璧だったでしょう?”と突きつけられ、マスクの下で口は開きっぱなし、もう少しで「うわぁ……」と口走るところだった。

さらに、無実の罪を着せられ結果として自死を選んだ皇太子、公には無実であることは伝わらず、そして皇太子が存在していたこと自体が忘れ去られそうな勢い(地位的にはそんなことはないはずだけど、ラストの雰囲気的に)なのが、無念というか哀れというかもう言葉にならない。

確かにソフィのことは国を手中に収めるための道具として見ていただろう、そして過激派な彼がそのまま皇帝になっていくことが望ましいかというと違うかもしれない。でもそのことと、彼の命をこんなにぞんざいな扱い方することは違うんだ…!

と言いたいところだが、私はアイゼンハイムに完璧にしてやられてしまったのでひれ伏すしかなかった。ごめん皇太子。(軽い)

ところで結末を迎えてから振り返ると、1回目の紙吹雪は、ソフィが「『亡くなった』とされた」ことにより、どこまでも追いかけてくる皇太子から解放されたことへの祝福という意味で紅白だったのか?
「生きている限り私たちをどこまでも追いかけてきて殺される」と言っていたソフィのセリフからすると、あながち間違ってもないかなと。「生きている限り」というハードルをこんなふうに越えてくるとは思わなかったけど!


・真実とは?
最後にずっと騙されていたことに気づき、最高に幸せそうなアイゼンハイムとソフィの傍らで「真実は…」と呆然とした表情で客席に向けて呟くように歌う警部、直後暗転。こっちでは警部の歌う「そう、真実とは陽炎〜」を反芻しながら客も呆然としていましたよ…。

警部だってこの「真実」を暴いたことで警察署長に昇進したんだもんね、違ってたとは言い出せないよなぁ〜〜

その対比で、カテコのラストで「真実は…」と眉をくいっとしながら得意げな顔で歌うアイゼンハイム、こと海宝氏。いや、海宝さんの手のひらで転がされ続けましたよ。

真実ってなんなんでしょうね。ここまできて放棄するなよって感じだけどもうそんな感じになってしまう。


・ロケット
ウール警部が干し草の中から拾ったはずのソフィのロケットを、いつの間にかアイゼンハイムが取り返していたんだけど、あれはいつやったんだろう…?
というのも舞台観てる最中はそこまで気が回らなくて、後から映画版にそのシーンが描かれていることに気がついたのだけど。もう幕が降りてしまったので、舞台でその描写があったかどうか確認できない。完全版が上演される時の楽しみとしてとっておきます。



ひとまず書きたいことはこれくらい。

感想を書き残しておきたかっただけなのでまとめとかはありません。
また何か思い出したら追記します。(してます。)
もしここまで読んでいただいた方がいたら、何か違ってる点とかあったらDMとかでご指摘くださるとありがたいです。適宜直します。

それから、今回の舞台を観た方は、映画版「幻影師アイゼンハイム」を見ることもおすすめです。
抽象的だった部分を補完できる映像もあるし、あとヤングアイゼンハイムが何となく海宝さんの面影があります(面影とは?)。


以上!

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