8.23 雑記
生活をしたけどやっぱり難しい。
社会人になってしまったことは、実は嬉しさの方が優っていると思っていたけど、やはりどうしても「なってしまった」とつい口を衝いて言ってしまうし、指を衝いて打ってしまう。先輩や上司は私のとげをなくすのに一生懸命で、すでに10年以上、もしくは20年以上、生活をしてきた大先輩だ。
私は生活が嫌いで、友達が好きな音楽は好きになれないし、土日にすぐ東京に遊びに行ってしまうし、4,000円のパフェの写真をインスタに載せるし、恋人が映った写真をストーリーにあげないし、1人海外旅行をしてひきこもるし、東京ディズニーランドには行かない。
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人に自分の話をするのが苦手で、ひとの話ばかり聞いている。話している時のみんなはすごく楽しそうで、私がつまらない思いをしていることなんかどうでもいいと思えるくらいにはそれが嬉しい。
人に私の話をしている間は不安になる。一生懸命聞いてくれる人もいるけど、つまらない思いをさせていないかと思うとできなくなる。「生活をしたくない」と話すと、人の反応が悪いからしない。生活をしたい人はたくさんいるからスルーされる。ご飯を食べないひとは生活に抗うひとだ。夜中の3時に出かけていくひとは生活から抜け出したいひとだ。定職に就かずにフリーターを続けるひとが世界で最も偉いのに、資格の勉強なんてしないでほしいと思う。
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noteを書くなら絶対にpcがいい。スマホの方がハードルが低いけど、でも文章を書くなら絶対にpcがいいと思う。スマホは生活をするのによく使うから、書きたいことを上手く書ききれない。LINEで遊ぶ段取りを取る必要はない。メールで欠勤の連絡をする必要はない。生活必需品をワンタップで買い足す必要はない。(生活必需品という言葉は気持ち悪すぎる)
書くように努力しないと、書かなくなる。書かなくなったらより書けなくなる。最近はよくひとの文章を読んでいるから、何か自分も書かなきゃ、書きたい、と思っている。文章を書く習慣をつけたいし、私の話もひとに聞いてほしいと思う。ここは地獄のことを書いてもいい。書き言葉の中では素直でいてもいい。人は文章を見る時にはひとになるしかないからだ。だから私は、知らないひとの文章が読める今の時代に生まれて本当によかったなと思う。顔も住んでるところもイマイチ分からない人に、私の話を聞いてもらう。
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ひとに優しくできる人になりたいと、中学生の時から思っている。それは、中学生の時の私ですら、Yahoo知恵袋で質問をするくらいには切に思い続けている。(ちなみに、その時初めてインターネットの悪いところを知ることになった。) 最近はその欲求がまた一段と強い。
私はよく「言葉が強い」「毒舌」と言われるし、ひとを言動で傷つけてきた思い出が多分人より多い。そして、ひとよりキラキラして生きている自覚もある。生活からいかに離れるかだけを人生で考え続けている。それは行動力の高さ、自信家な性格、実家の太さに支えられているもので、わたしのこれらのとげとげやきらきらは、今までたくさんのひとを傷つけてきた。みんなが生活をしているのが悪い。みんなは生活ばかりしているから、私がまぶしく見えているだけだ。
でも貧しいひとは生活しかできないのかもしれない。生活以外をする余裕がなくて、必死に生きているだけだとしたら、分かってもらえないのは当然だし、だから余計に、ひとに自分のことは話さなくなる。留学をしてない人に留学の話はしない。大学に行っていない人に大学の話はしない。そのひとが行ったことがない国の話をしない。正社員じゃない人に仕事の悩みを話さない。そうして私は話ができなくなる。インターネットだけが唯一全てを話せる場になる。
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