そこに存在する

人は死に向かう歩みを止めることができない。生まれたときからカウントダウンが始まる。決して自分の意志で進めているわけではない。ただ、そうせざるを得ないだけなのだ。ゴールや終着点というよりも、締め切り。しかも、その目的や期日を知ることはない。普通、〇〇のために〇〇までに〇〇をやらなくていけない、という目的と期日とやることのセットで締め切りが決まっているはずなのだが。ただ、やることだけが決まっている。

しかも、締め切られたことを自覚することさえできない。その時にはもう、意識がないからだ。その状態を死と認識するのは、本人以外の誰かにだけ許されている。わけもわからず進めてきた歩みは、最後まで自分の意志でどうこうすることはできず、不意に始まったように不意に終わる。

先にも触れたように、この締め切りには目的が定められていない。しかし、他人のためのものであることは確かだろう。なぜなら、死は実在しなくなった人を他人の意識の中で存在させるからだ。本人が定めていたとしても、定めていなかったとしても、強制的に他人のためのものとなる。

不意に始まったカウントダウンに、自分の意思とは関係なく進まざるを得ず、ある時になると問答無用に断ち切られる。その軌跡が、何のためのものだったのかを決めるのは、本人ではなく、他人なのだ。そこにも本人の意志は存在しない。人は最初から最後まで自分の意志とは関係なく存在していくのだ。

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