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カエルは飛んでいく

 修業時代に全寮制を3年ほど経験したせいで、他人と同じ空間を共有することに全く抵抗感がなくなってしまった。むしろ誰かと一緒に住んでいないと生活が堕落するのでちょうどよいくらいに思っている。月日がたち、一人暮らしになった後でもうちの書斎にシェアメイトを住まわせるようになった。シェアメイトに請求する家賃は光熱費込みで月3万円。寝室6畳と作業部屋6畳(ただし僕の本棚付きなので使用可能スペースは4畳くらい)が与えられる。ネット使い放題もオプションでついてくる。特記事項は、ぼくが夜遅くまで配信をしていても文句を言わないことだ。

 同居人の入れ替わりは激しい。事情が重なって半年ほど繋ぎで住む場所が欲しいという理由が最も多い。そのような方は目的を達成すれば、再び新しい住まいへと引っ越していく。今の住まいになってからは3人が入れ替わり住み、現在は4人目が住んでいる。

 そのうちの2人目について話そう。彼はある年の6月に、知人の紹介で来た。事情があって家がなく、友人の家に居候をしていたが狭くて大変ということだったらしい。それなら、自分の部屋に来ればよい。部屋は余っているからいつでも来てほしいという旨を話すと、ありがたいことに来てくれることになった。
 
 さて、その2人目はこれまで同居してきたあらゆる人よりも、ある一点において個性的だった。

 カエルが好きなのである。

 大学時代にカエルの研究で卒論を書いたこともあるらしい。それが発展し、「カエルの養殖をしたい」と言った。

 驚いたのは自分の知人である。知人は起業支援を営んでおりその実績は百戦錬磨、これまで数多の起業家を世に送り出した。彼も起業の望みがあり、支援をすることとなっていた。ところがカエルはさすがに聞いたことがない。しかも調べると、ウシガエルの養殖は日本の法律で禁じられているとのことである。食用ガエルであるウシガエルができないとなると、国産ガエルの研究から始めなければならないという。

 そこで、とりあえずカエルの料理研究から始めて果報が訪れるのを待つことになった。その間、カエル氏は自分と同居しながら、金を稼ぎつつカエル料理の研究をすることとなった。
 
 カエル氏はまず、共用の冷凍庫下半分を中国から輸入した食用冷凍カエルで一杯にした。入れておいたガリガリ君がなんとなく生臭くなった。そのカエルを日々解凍しては、様々な料理を作って研究をする。イタリア風だったり韓国風であったり、その内容は実に多様だった。

 そうしてできた料理を、彼はぼくに食ってみろと言って食わせるのである。これを小説の執筆中にやられるものだからたまらない。カエルは鳥のささ身のようで意外と悪くない。それに、一匹数百円となかなかの高級食材である。本来ありがたがらなければならないものなのであるが、毎日食わされるとさすがに飽きてくる。ぼくは結局、10種類以上のカエル料理を食わされその都度感想を言うこととなった。

 まあこれくらいなら別に良いのである。ただ一つだけ困ったことが起きた。彼があまりにもカエル料理をするものだから、台所の排水溝がなんとなくカエル臭くなってしまったのである。こんな匂い、ペットショップの両生類売り場くらいでしか嗅いだことがない。掃除をしろと本人に伝えたところ、まったく気が付いていなかった。日々カエルに触れすぎて鼻がバカになってしまったのだろう。掃除はしてくれた。

 さて、カエル氏は次第に、本人が持つ明るさと扱っているものの異質性から周囲の地域コミュニティの間で評判となっていった。飲食店でカエルイベントを開き、興味を持ったお客を集めることに成功した。そしてとある養殖業者と知り合うことになり、カエル氏はそこで養殖を行いながら空いたイケスを使ってカエルの研究を続ける環境を手に入れることとなった。

 現場は隣県なので、カエル氏はぼくの家を引っ越すこととなった。出立の日、カエル氏はぼくのことを歯が浮くようなセリフで褒めちぎって去っていった。ぼくは場所を提供してカエルを食っていただけで、ほかのことは何もしていない。しかもありがたいことに前日に部屋をすべて掃除していってくれた。立つ鳥跡を濁さずとはこのことだ。
 
 彼を見送ったのち、ぼくは自室に戻ってにぎやかさを失った寂しさを抱えつつ、自分が特に何をしたわけでもないのに謎の達成感を覚えながら、小説を書くべく机の前に座った。と、その前にアイスを食べようと思い、ぼくは冷凍庫のドアを開けた。

 そこには彼が残した10数匹の冷凍ガエルが残されていた。

 ぼくは慌ててカエル氏にメッセージを送った。冷凍庫にカエルが残されているがどうすればよいのか、と。マメな彼からはすぐに返事が返ってきた。

「お疲れ様です!食べても大丈夫です!」

 カエルは食った。食われたカエルの怨念なのか、臭いが二週間ほど冷凍庫に残った。

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【追記】
 今もカエル氏はカエルの研究を続けているという。国産養殖カエルが流通する日も近いかもしれない。

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