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羽生先生の思い出

 羽生先生のことを少しだけ話そうと思う。
 
 実は、ぼくは一度だけ先生のことを拝見したことがある。当時、まだ僕は140センチそこそこの少年だった。ある日、オヤジが僕にあるイベントが近々開催されることを教えてくれた。

 そのイベントは埼玉の上尾という街で行われるもので、会場でのクジに当たればプロ棋士の指導対局をうけることができるというものだった。自分たちの運を信じ、オヤジと僕は一念発起、電車を乗り継いて上尾に向かった。誰と指せるか希望は出すことはできず、当たりクジに書いてあった棋士と指す形式となる。オヤジはプロ棋士に一種の憧れがあるらしく、誰と指せるのかなと目に見えてテンションが上がっていた。上尾駅を降りて会場に向かい、係の人から提示されたくじを引いた。

 結論から述べると、オヤジはクジに外れ僕だけクジに当たった。哀れ、オヤジは白クジを手に息子の対局が終わるまで虚しくそれを眺めていなければならなかった。一方、僕はプロ棋士の名前が入ったあたりクジを手にすることができた (しかも僕の手にしたあたりクジが最後のあたりクジだった!)。

 ぼくは意気消沈するオヤジを尻目に両手を振って会場に入った。円形状に机が並べられており、その円の中を棋士たちが歩きながら多面刺しをする形式だった。席について少し待つと司会の人と偉い人(市長的な誰か)が挨拶を済ませ、棋士たちの入場となった。
 
 続々と棋士たちが入ってきた。といっても、幼少の僕は誰が誰だかさっぱり分からず、なんかすごい人が入ってきたくらいの認識で周りの人に合わせて拍手をするしかない(あとで知ったのだが錚々たるメンバーだった)。しかし次の瞬間、新聞やテレビを通じて一人だけ知っている人がドアを開けて入ってきた。

 その人こそが羽生善治先生だった。眼鏡をかけ、スーツを身に纏ったその姿は、NHKの将棋中継や新聞で目にする先生の姿だった。

 当時先生は、今思うととんでもない成績を出していた(今もとんでもないのだが)。何しろ通っていた街道場でおじさんたちが「羽生は二冠、絶不調だな」とか、訳が分からないことを話し合っていたのだ。日常的にタイトル戦を戦い、複数の冠を手に入れて当たり前。過酷なスケジュールの中で一流棋士をなで斬りにしていた。

 羽生先生は他の棋士の挨拶の後、マイクを手に取ると手短に自己紹介を済ませて、自らの持ち場へと向かった。たったこれだけの所作が、どういうわけかやけに目に焼き付いて10年以上経った今でも昨日のことのように思い出すことができる。

 その後、何で知ったのかまでは覚えていないのだが、先生のことを誰かがの鳥のようだと形容していた人がいることを知った。僕はそれで、先生のことを鶴のようなお人だと思うようになってしまった。おそらく当時図鑑で見つけた鶴の写真が綺麗だったからだと思う。

 幼少期の僕には、新聞で見る和服を着て盤に手を伸ばす先生は、美しく羽を広げた鶴が羽ばたいている姿のように見えた。鶴はその後何回もタイトル戦を戦い続け、渡辺先生、屋敷先生、森内先生、そして近々では藤井聡太先生といったライバルたちと激闘を繰り広げ、しばしば新聞をにぎわせた。僕は指導対局の時から数年経った13,14の頃に将棋から一旦離れたのだが、それでも羽生先生の記事を見かけるたびに、あの日の先生の姿を思い出したのだった。

 その勝手な悪い癖が抜けない。10年以上経った今でも先生のことがたまに鶴のように見えてしまうことがある。今期の王将戦リーグで5勝0敗としており、藤井聡太王将への挑戦権獲得まであと1となった。羽生先生は今、歴代タイトル獲得合計が99期となり、あと1期獲得すれば100の大台となる。もちろん史上初である。

 鶴は山を越えるか。一人のファンとして王将戦リーグとその先を見届けたい。

※え?お前はイベントで誰と将棋を指したのかって……?その話はまた後日。

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