神から与えられたもの

セブンルールを見た。

藤原麻里菜さんという方を恥ずかしながら初めて知った。彼女は「神に無駄なものを作る力を与えられた」と言っていた。シンプルに凄い。

彼女の人生の超断片的な部分だけ見て結果論的に『彼女はこういう風に凄くてワタシはこう思った』みたいな事を書くのは嫌いなんだけど、不思議と書きたくなった。たぶん彼女がうらやましく、そして悔しかったんだと思う。

「ワタシにはこういう力がある」なんて人生で思ったことがない。人生でやりたい事・夢・目標・長所が苦手だった。今やっている仕事も当然やりたくてやっている仕事ではなく、とりあえず生きていかなくてはいけないからお給料をもらうためにやっているだけ。だからと言って別に人生つまらなくはないし、贅沢ではなくても車にも乗って結婚もして日々笑っている事の方が多く生活出来てる。

でも急にポカッとする時がある(語彙力)。

心に穴が開くというか、どうしようもない虚無感というか、深くため息をつく時間が長い期間訪れる。多分、夢や目標がしっかり定まっている人にはこの感覚は味わえないと思うんです。

神が力を与えているとしたら、僕には何の力が与えられているのだろう。そもそも神は平等に力を与えているのだろうか?何でもかんでも皆に平等に権利が与えられていると思う方が希望的観測すぎる。

彼女が素敵なのは『無駄なものを作る力』をここまでブランディング出来ている事、そしてこれからも続いていきそうと期待感を持たせてくれる所。

ワタシには簡単にできる事が他人には難しかったりする事ってあるのかもしれないが、その部分を自分で気付いてやり抜いていく事は、ワタシが喉から手が出るほど欲しい特技だ。日々笑って過ごしているワタシがそんな力まで望むのは贅沢なのか?いいじゃん、人間の欲望ってそういうもんなんだから(適当)。それくらい、あのポカッとする感覚は嫌なんだよなぁ。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

今日のよかった事は9月21日用のカンコワイヨット発注に踏ん切りがつきました。


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