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第4「カム世界」と「スピリチュアル」

スピリチュアル(spiritual)とは、ラテン語のスピリット(spiritus)が由来となって出来た「キリスト教の用語」で、精霊や天使、魂や霊、精神などを示す言葉ですが、近年の日本では、科学で証明が出来ない、「目に見えない」不思議な世界を示す言葉として使われています。

しかしながら、目に見えない事を「不思議」と考えたり、科学で立証されない事は「否」と判断されるのは、私には些か「乱暴」で「視野が狭く」、カタ世界により過ぎた感覚で、ある意味「洗脳」と考えてしまいます。

この世の中は、目に見えなく、科学では証明出来ない事の方が、圧倒的に多いの現実です。この見えない世界を「カム世界」と呼び、現代の私達が失いかけている「感性」や、無意識でいる「感じる世界」です。

ここでは、カム世界のメカニズムや構成を説明している「カタカムナ」の視点から、いくつか「スピリチュアル世界」の原理を説明して行きます。

「スピリット」

上文でも触れましたが、キリスト教用語の「スピリチュアル」の語源は、ラテン語の「スピリット」から来ています。
音の思念では、濁点や促音の概念はありませんので、「スヒリツト」が音のヒビキとなります。
それを踏まえて「音」の思念を読み解くと、

=一方向へ進行
=全ての根源
=分離・繰り返す
=集まり
=統合

と成ります。
皆さんはこれをどうイメージして読み解きますか?

音や光などの世界には言葉はありません。
ヒビキで感じ取るのが「カム世界」です。

カタカムナを理解している方は、「ピーン」と来るものがあったのではないでしょうか?
生命体のヤタノカガミ、「ムナヤコト」の「フトマニ」の活動に、とても酷似しています。

「スヒリツト」とは、「ムの世界」(肉体を離れた「四相」の生命粒子)から「トの世界」(統合して「ヒの世界」へ向かう)までを、一方向に分離を繰り返しながら進む世界。

このように私は読み解きます。
生命体の「フトマニ」と同じ進み方ですが、「視点」が違うので「スヒリツト」と響かせるのでしょう。

現代で表現する「スピリチュアル」とは、肉体から離れた「四相」(生命・魂・思念等)が、次の肉体に宿るまでの、様々な「存在」と、「現象」や「活動」を指していると考えます。

ハイヤーセルフ(四相の原点)

近年、「ハイヤーセルフ」と言う言葉を耳にする機会が増えましたが、その多くは「高次元の自分自身に繋げる」「高次元からのメッセージ」等と伝える事が多いようです。
商売でしている事は、その「四相」の広がりが、「伝える側・受ける側」に対価(お金に変換)を感じているのであれば、私は否定する立場にはありません。

いくつか「ハイヤーセルフ」の「ブログ」や「サイト」、「メディア」を拝見させて頂いていますが、その多くは、カタカムナの「カムヒビキ」「アマウツシ」の活動を、高次元と理解している内容が多いようです。カム世界の光と、スピリチュアルの光を混同している内容が多く、私には、少々乱暴な捉え方では無いかと感じています。

そもそも高次元とは、何処の「次元」を指しているのでしょうか?

この、よしなお的~「カタカムナの教科書」では、初級編中級編上級編と書いていますが、それぞれの「ヤタノカガミ」の世界を、「ヒフミヨイ マワルテメク」「ムナヤコト アウノスヘシレ」「カタチサキ」と、「四相」(思念・魂)が活動して、リサイクル(循環)している事を説明してきました。
そして、この「四相」が自分であり、その命は永遠に続いている事を、カタカムナウタヒから感じ取りました。

生命体の「ヒ」が始まる前、「コ」と「ト」の世界を通過しますが、第2章の「太陽系銀河」を参照して見て下さい。

「ト」のブラックホールでは、様々な惑星の「四相」が、「単体(極小)の生命粒子」となり、それが統合して行きます。
これは、生命体のリサイクル(再生)活動ではなく、生命体の「源」となる活動の話です。

各惑星の性質を持つ生命粒子の結合後は、「クラトの現象」をしながらブラックホールから抜け出し、ヤタノカガミの「ヒ」からスタートして、フ⇒ミと進み、ヨで「四相」が創られます。そして、「ヨの世界」である「地球」で、私たちは「四相」の活動(フトマリ・フトマニ)を肉体と共に歩んでいます。

この「四相」の原点となる、「惑星の生命粒子」の世界が、「光と闇(ミクマリ)の次元」になります。この次元が「ハイヤーセルフ」を行う場所です。

四相を掘り下げて行く事で、基本となる惑星が分かり、その性質や進むべき方向、今に対する修正が分かり、生命粒子からのメッセージとして受け取っています。
言葉にするとこのような説明になりますが、時間軸も場所や空間も違う世界ですので、行ける人は、瞬時に肉体から四相を切り離し、テレパシーのような感覚で、その存在を見聞きしています。これは自分だけではなく、他者の次元にも行き来きする事が出来ます。なぜなら、ヒ~イまでのカム世界ではなく、ム~トのスピリチュアル世界の行動だからです。そして厳密には、トとヒの「境」にある「光と闇(ミクマリ)の次元」で、ハイヤーセルフを行っています。

また、ハイヤーセルフはこちらから行くだけではなく、自分の生命粒子から頻繁に、メッセージが送られて来ています。自分がその瞬間を無意識で過ごしているので、気がついていないだけです。
感覚は「アマウツシ」に似ていますが、ハイヤーセルフからのメッセージは、何かしら温かいと言うか、ボヤーっと全体を包み込むような感じで、自分の「四相」に響かせてくれます。

宇宙は、惑星の繋がり、銀河の繋がりで「オホトノチ」しています。
「ハイヤーセルフと繋がる」とは、自分の原点となる「惑星」の性質を意識して、「今」の自分の状況を確認したり、修正すべき点、向かう方向等を、メッセージとして受け取る事を指します。(音声ではなく、光と闇のヒビキを体内で感じる事で、理解が出来ます)

また、この「視点」が身に付いたり、たまたまこの「視点」になってしまったりした時に、他者の「生命粒子」を感じる事があります。

ハイヤーセルフとは、自分が生命体となる前の、生命粒子を感じる「光と闇(ミクマリ)の次元」での対話を指しています。

因みに惑星の数は多々ありますが、ギリシャ神話に出てくる「プレアデス星団」の惑星達が有名です。日本の古事記でも「神名」をつけて、物語風に人のサイクルや性質を語り継がれています。
他にも、各惑星の特徴を表現した書物はたくさんありますが、これは、私達一人一人の、基本的な性質を、書き表した古書であり、文字の無い古代人の時には、これを壁画や音の響きで理解していたと私は考えています。

人類は、道具や知恵を発展させながら、便利の良い社会を作って来ましたが、一方でこの「視点」を退化させて来たのだと感じています。
なぜなら、この視点が備わっている人には、少々不便な社会だからです。

他にも様々な惑星の生命粒子が、私達の元となっている事が理解出来たでしょうか?

それ故に、宇宙の法則を犯すような行動は、宇宙の秩序を乱し、宇宙全体が変化して行きます。現代の、宇宙へ対する人類の活動は、大きな変化に関わりを持っているような気がしますが、これもカタカムナの活動として、私は捉えています

精神関与は医療行為

皆さんは「占い」と「スピリチュアル」の違いを把握しているでしょうか?
占星術、風水術、四柱推命、数秘術、手相学、姓名判断や誕生日など、その種類はキリがありません。

人間の行動や構造のパターンを学ぶ「統計学」、自然界の法則を学ぶ「四柱推命」、環境の対比や気の流れを学ぶ「風水学」、惑星の性質と配列を学ぶ「占星学」、数や数字の法則を学ぶ「数秘学」などがあり、これらはを学問として学ぶ事で「占い」をする事が出来ます。

人の身体を科学で対応する「医療」に対して、これらのパターンや法則は、人の心身に対応した「医療」なのですが、政治や経済とは真逆の世界ですので、今の社会構造では、その価値を認知されません。また、占いをする側も、される側にも、その意識が低い人が多いのが現状ではないでしょうか?

肉体の外傷や病気を、科学で改善して行くのは理解出来ます。なぜなら、肉体はカタ世界の存在で「カタチ」ですので、メンテナンスが必要です。

心身(四相)は、目に見えないカム世界に存在しています。
カタ世界の科学的な薬や治療では、一時的な抑制を促しているだけです。せめて、自然由来の薬を処方した方が、心身には効果だと私は感じています。

人は何故「科学」と言う、一方向の「視点」に偏るのでしょうか?
カタとカム、2つの「視点」のバランスで、社会は構成出来ないものなのでしょうか?

近年、この占いに「スピリチュアル」を組み合わせた「施術」が広まって来ています。
「スピリチュアル」とは上文で述べたように、肉体から離れた生命粒子の、「ミクマリの世界」を活用し、「今」や「未来」の「四相」を感じ取るものです。
また、過去を振り返る作業は、占いによる「学問」や、「フトマニ」の「カム世界」を活用しています。

英語では「サイキックリーディング(psychic reading)」と言い、一つには、人の五感(六感)を最大限に発揮させて、「今」の視点から、様々な事を読み解き、「タロット」や「神通力」「オーラ」「透視」「遠隔」などがそれに当たります。
ただし、これはスピリチュアル世界と言うよりは、「ミ」「ヨ」「イ」である「フトマリ」の「カム世界」を活用したものだと考えます。

もう一つには、自分の肉体から離れて、「フトマニ」「光と闇(ミクマリ)の世界」の「視点」を活用する方法があります。
「心霊」「魂」「陰陽」「天使」「悪魔」「ハイヤーセルフ」「エネルギーのメカニズム(神)」等が有り、これが「スピリチュアル世界」を組み合わせた「占い」になります。

これらの違いを把握して置く事で、「自己啓発」や「セラピー」「占い」など、自分の「精神世界」を効率良く調整し、精神(四相)を壊すこと無く、整えて行けるのではないでしょうか?
信じる、信じないの世界ではなく、目的が何処で、何なのかを把握して活用する事が大切な事です。

もう一度繰り返しますが、カタ世界の医療に対して、カム世界の医療が、「占い」や「自己啓発」「セラピー」等の「精神関与」する事であり、「スピリチュアル世界」の活用は、その最高峰にある事を、「施術する側」も「される側」も、認識して行う事をお勧めします。

病院には、肉体の「治療と予防」が目的で、皆さんは行かれると思います。
症状と科目に合わせて、病院選びをしているはずです。
精神のメンテナンスも、自分の症状と科目を把握しながら選択して下さい。

「浄化」と「無」の世界

スピリチュアルな体験をする入り口として、「瞑想」する事が良く知られていますが、心を「無」にする事と、心を「浄化」するとは、全く違う事をご存知でしょうか?
皆さんは、この違いを把握して「瞑想」していますか?
また、神社やパワースポットへ行った時には、「浄化」をしていますか?

浄化


私達は、惑星の生命粒子から始まり、ヤタノカガミの「ヒ」から生命体と成りました。ヒフミの段階を踏み、「ヨ」の四相を広げているのが「今」の状況です。
この「四相」は、日々その瞬間、瞬時に広がりや深みを増し変化させながら、私達は暮らしているのですが、何処かのタイミングで「整理」が必要になります。整理をしなければ、自分の進むべき方向、自分らしさ等を見失しなってしまいます。
この為に、日々の「睡眠」が必要であり、寝不足が続くと「判断力」「感受性」などが鈍くなり、肉体にも影響が出て来てしまいます。

一定量の四相が貯まると、本来の自分らしい四相に組み直す必要があります。システムクリーンをし、アップグレードして、デフラグするような感じです。
その時の自分をクリーンにして、今の基本を創る作業を「浄化」と言います。決して、「ゼロ」や「無」にする事ではありません。

そして、「浄化」はスピリチュアル世界ではありません。
四相を整える自分の「カム世界」の作業です。
私たちは、「カタ世界」にある病院やジム等で、肉体のメンテナンスをしていますが、精神のメンテナンスが「浄化」だとイメージすると、分かり易いかも知れません。

「瞑想」だけではなく、イヤシロチへ行き、静寂な環境の中、自然界の「音」や「視覚」などを全身に響かせ、そのヒビキがアマウツシされて、四相が浄化されます。
ですから、その後の決断や思いは、自分らしい「ピュア」な目標となります。


自分を「無」の状態にした事はありますか?
おそらく多くの人は、「浄化」や「心」を穏やかにして、何も考え無い事を「無」の状態と、勘違いされている人も多いのではないでしょうか?

「無」の状態になるとは、自分の「カタ世界」にも「カム世界」にも、「四相」の存在を無くし、肉体から離れた世界に行く事を指します。
ですので、肉体に触れられても分からず、暑い寒い、辛い、痛いなどの感覚もありません。
また、自分から離れる事で、違う視点から自分を見たり、他者のヤタノカガミに入り込んだり、宇宙のカム世界を体感したり、目に目えない世界に入り込まる状態でもあります。
いわゆる「スピリチュアル世界」です。

ですので、肉体に戻って来た時には、その記憶が思い出せない時があったり、その体感を自分や他者の肉体を通して伝えたり、その体感を自分の四相に反映させたり、様々な現象が可能となります。

その逆に、「無(ム)の世界」の存在(四相)が、私達の前に現れる事もあります。これは、まだ「ナの世界」へ進めない状態の「四相」(思念)が、こちらへ現れる現象です。霊やゴースト、ポルターガイストなどがそれに当たります。

このスピリチュアル世界へは、練習や修行を行えば、「瞑想」をしなくても感じられ、触れ合う事が出来るようになります。
なぜなら、その感覚の「視点」を、人類は自らが「退化」させているだけで、全ての生命体には備わっている感覚(視点)だからです。

自分を「無」の状態にする為に、世界には様々な修行や方法がありますが、
私達に馴染みのある「瞑想」方法に、
・ヨガ
・禅行
・滝行
などがあります。

ヨガは、呼吸や姿勢を調整してながら、四相を「無」の世界へ進めて行きます。他にも「カム世界」のチャクラを開花させ、宇宙や自然界のエネルギーを感じ、「浄化」なども行っています。

禅行は、一定の呼吸や姿勢、目を半眼にしながらカタ世界を停止させ、カム世界の四相を、肉体から離して行きます。行の最中、警策(けいさく)で背中を叩かれる事がありますが、「無」になっていると、痛みや叩かれている事にも気づかないようになります。

滝行は、手を合わせながら水を体に打ち付け、痛みや寒さ、上からの圧力など、「カタ世界」と「カム世界」を一気に「麻痺」させ、四相を肉体から離します。「無」の状態になると、体は石のように固まり、呼吸も止まってしまう事もあるので、とても荒い行です。

他にも「音」や「香り」などを活用したり、数え切れない程の「瞑想」方法があります。
これらの体験を何回もする事で、その感覚(視点)が身に付き、ナチュラルに「無」の世界を感じる事が出来るようになります。

「浄化」と「無」の違いは理解出来たでしょうか?

カタ世界にある「肉体」だけではなく、カム世界の「四相」(精神)を「浄化」をさせ、「無」のスピリチュアル世界の「視点」を持つ事で、自分の存在や、それを取り囲む環境を理解出来、自分たちは宇宙と共に一体化している事が分かります。

カム世界を活用する能力

「超能力」は、「感覚的知覚」(ESP)「念力系」(PK)に分けられて居る事をご存知でしょうか?

ESP系には、「テレパシー」「透視」「未来予知」等が代表されてあります。これらは、カタ世界にある「肉体の五感」を、カム世界にある、それぞれの「四相」を強める事で、必要とされる「感」の能力を上げて、様々な事を把握して行く行為です。

例えば、犬の「嗅覚」は、人の数億倍の能力があると言われていますが、それを超能力と捉える人はあまり居ないでしょう…
「視覚」を主としていない動植物には、「波」(周波)を使った「テレパシー」で環境を把握しています。

それぞれの生態によって、必要とされる「能力」が、他の種よりも優れているは当たり前の事です。

これらの主となる能力は、生態と環境によって、その「四相」が鍛えられるものです。
道具や知恵を使う事で、人の五感は「退化している進化」を辿っているに過ぎません。

ESPとは、スピリチュアルな事ではなく、カム世界の「四相」を活用した能力であり、不思議な事ではありません。むしろこれらの能力を退化させている、私達人間の方が、不思議な行動をしているのではないでしょうか?

PK系には、「念動力」「テレポート」「浮遊」、そして「ヒーリング」(治療)などが代表として挙げられます。
これは、人の五感ではなく、「思念」(四相)によって、「カタ世界」の物体等を動かす行為です。

これは、カム世界で創られている、各「四相」を活用する事で、カタ世界に「力」(ちから)を創り出す行動です。
力の源は、目には見えないエネルギーの「波」や「凪」で創られます。これらの動きをコントロールして、力を集中させる事で、目に見える「カタ世界」に現象として現れて来るものです。

ヒーリング(治療)の場合も同様です。
肉体に流れる力(エネルギー・気)を、その人に合わせた「流れ」に整えてたり、特化した「流れ」を創り、「心の悩み」や「病気」を治癒する行為です。
勘違する人がいますが、ヒーリングとは、自分の「四相」で、自分のエネルギーを整え、自分で「自然治癒」している事を知って下さい。

私がお譲りしている「カタカムナ数珠」は、
身につけた人の、「ヤタノカガミ」の各エネルギーバランスを、あなたらしく整えるのが目的であり、「四相」の浄化が目的の「ヒーリング」です。


近年「〇〇ヒーリング」や「〇〇セラピー」など、施術を含めたヒーリングが多くありますが、ヒーリングをするのはあなた自身です。
そのきっかけを創っているのが「施術士」です。

「する側」も「される側」も、この「違い」と「立場」を理解して下さい。
「四相」には「個性」がありますので、施術方法や施術士との「相性」も必須となります。
「金銭」だけが目的であったり、「癒される」だけが目的の行為は、結果が変わりますので、慎重に考えて選択して下さい。

PK系の能力は、肉体を使わずに、カム世界の「四相」だけを動かす行為です。目には見えない微量の電気粒子を、「共振」や「共鳴」させながら増幅させて行きます。
もちろんこれも「スピリチュアル世界」ではありません。
人の「カム世界」を「浄化」する行為です。

因みに「スピリチュアル世界」の視点に立つ時には、名前や生年月日、性別などは必要ありません。人に触れる必要もありません。
「光と闇(ミクマリ)の世界」には、生命の性質があるだけですので、このような行為は、とても人間らしい「カム世界」を活用しているものだと考えて下さい。

カム世界の「立証」は、量子解析の未来

人類の科学は、約1500年をかけて「量子」の発見まで辿り着きました。
これによって、目に見えない「カム世界」の「科学的根拠」に、大きく近づいて来ました。立証される日も、そう遠くない未来になると思います。

「元素」を「科学の起点」と捉え、それを「正義」とする「視点」を持っている政治家や科学者達は、今後どのようにして、民衆の上に立って主導して行くのでしょうか?
そして、これまでに「科学的な根拠が無い」と排除して来た「責任」や「罪」を、どう償って行くのでしょう?
これらの科学による判断は、自分たちの利権による行為としか、私には感じ取れません。
民主主義では特に、「民衆側」に立つ人は排除されます。
なぜなら民衆は「消費」する側であり、生産側ではありません。消費側には、利権を発生させる事が出来ないからです。

この量子の発見は、まるで「天動説」(コペルニクス)と「地動説」(ガリレオ)の歴史を感じさせます。

量子を「とても簡単」に説明すると、現代の私たちは「光」の中でしか物事の存在を把握する事が出来ません。その中の極小が「元素」なのです。
目に見えるとは、「光の存在」が前提条件です。ですので、目に見えない存在は、軽視するか、認めない選択をして来ました。

ところが、量子の発見によって「闇」の存在が認められました。
「闇と光」が対になってる事が証明されたのです。
「光があるから闇があり、闇があるから光がある」
これにより、極小の単位は「量子」に変更されています。

カム世界を理解している人には当然の結果ですが、人類の科学は、やっとここまで来たのが現実です。私は科学の立証を優先していませんが、資本主義の政治や経済には必要なのでしょう。

カタカムナで説明すると、光が「カム世界」で、闇が「カタ世界」になりますが、地球に存在する生命体は、「カガミ」で正反していますので、闇が正反する光に「カタ世界」が存在し、光が正反する闇に「カム世界」が存在しています。これはとても難しい「視点」だと思いますが、これが「重合」(ノ)の構成なのです。

この対になっている量子の活動が、カタカムナでは「ヤタノカガミ」の「ヒの世界」に当たります。ですので近い未来には、「ヒフミヨイ」までの、「カム世界の活動」が科学的に立証され、「ESP」「KP」の能力が認知されるようになると考えています。

しかしながら、量子(ヒの世界)が出来る前には「クラトの現象」がある事を、カタカムナウタヒでは述べています。これを科学で立証出来る日は、程遠い未来になるでしょう。なぜなら、量子を分離出来たとしても、それを確認する術が無いからです。
「闇の世界を目で見る事が出来ません」
「光の世界を目で見る事が出来ません」
目の視覚では…

私達が、日常的に実感している「形」や「思い」は、カタカムナで理解する事が出来ます。
「カタ世界の現象、カム世界の潜象、そしてナ世界の無」
この仕組が、私達一人一人、社会全体、地球環境、銀河、そして宇宙に至るまで、このカタカムナの仕組みで出来ており、これらが全て重合しながら、成り立っています。

形のあるカタ世界、形のないカム世界、光と闇のム世界の、それぞれの境界線を知る事で、日頃の活動や、社会の流れが把握出来て、自分の行動にも、方向性の判断が出来ます。

カム世界の解明に一歩近づいた現代科学ですが、それを待っている時代はとっくに終わっています。
現実に直面している「カム世界」、そして「スピリチュアル世界」を理解して、私達「生命体」の宿命を生きて行きましょう。
そして、自分の障害とならないように、様々な「視点」を広げる事が大切です。

ムナヤコトの「光と闇のミクマリの世界」、トからヒまでの「ミクマリ世界のクラトの現象」の「スピリチュアル世界」が、科学的に立証出来る日は来るのでしょうか?
実際に体感しているの事実です。

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