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接待ぐせが抜けない話

2021/02/09


すべてのことを過去や環境のせいにしたくはないけれど、僕は無意識に従属的になる節がある。腰が低いといえば聞こえはいいが、勝手に奴隷的になりその自分に辟易となって疲れてしまうことが多々ある。
つまり誰にとっても「都合のいいやつ」になりすぎるのだ。自分でもわかっているし、何度意識したって身体が「誰にも嫌われたくない」と怒り出す。なんとも、怠惰な対人関係だ。
都合のいい人間に成り果てた僕は誰にでも接待してしまう。相手の話していることの内容なんか本当はどうでもよくてすべて翻訳されて脳に入ってきてしまう。

「最近新しい財布買ってさ、思ったより高くて〜(金のある俺、すごいでしょ。褒めて。)」
「課題が終わらなくて最近全然寝れないんだ(頑張ってるわたし、認めて)」

その人が「何を話すか」ではなく「なぜ今私にその話をしているのか」を勝手に想像してしまうから、その意図を汲み取って(または汲み取った気になって)理想のリアクションをしようとしてしまう。

「いい財布を持とうとする気高さがすごいし、何かを大切にできること自体才能ですね。羨ましい。僕も財布変えようかな」
「大変だ。なんの課題?」

どんどん自分の心とは離れたことを言ってしまい、それに疲れる。ちなみに財布を変えたいと思ったことは一度もない。古くなったら同じ店に行き同じ財布を買って今も使い続けているほどだ。

誰かに従属的に、奴隷的になることは、楽だ。
怠惰な僕は人と対立することを避け、会う人会う人をヨイショし続ける胴上げマシーンになってしまった。

その根底にあるのはなんだろうか。どんな思想が、どんな場所で醸造されると怠惰になってしまうのか。
まず安易な紐付けは、少年時代。僕は人より珍しくありたかったし、誰かに注目されることを望んだ。共働きの親の帰りが遅かったせいだろうか、憧れた漫画の主人公のせいだろうか、何か決定的なきっかけがあったのか、そのどれでもないし、全てでもある。
別の紐の先には、僕の心に問題があると書いてある。接待し、相手の望みを叶え、都合の良い人間になれば、誰かを自分の心に近づけなくて済む。頭の中や心の中を想像されずに済む。羞恥心が邪魔をして、僕に近づけないように、事前に柵を立てておく。何人たりとも入るべからず。そんなたいそうな心でも頭でもないくせに、惨めにも柵を外せない。観察者になったような自分がイタイ。


しかし最近、思いもしなかった場所で僕はまた少し変わろうとしてる。おこがましい話だが、尊敬する人が身近にいなかった僕の悩みは苦渋の決断で始めたバイト先にあった。自分の時間を切り売りするのが嫌でいろいろ試みたが結局背に腹は変えられず、バーでのバイトを始めた。
始めてしまったらそれはそれで楽しめた。できないことができるようになるのは楽しいし、知らないことを知るのは楽しい。中学生の頃、バーテンダーに憧れていたことなんてとっくに忘れてしまっていたが、シェーカーを振っているうちに思い出した。
仕事も覚えてきた頃店長が突然辞め、新しい店長が来た。
その店長と、会社の社長と先輩がとても尊敬できる、素晴らしい人間だった。久しぶりに、この人のようになりたいと思った。物腰やわらかで、ひたむきで、それを表には出さず冗談を言って笑っている。こんな時期でも従業員のことを気にかけ、お客さんも入らないのにシフトを入れて研修期間ということにしてくれている。
本当に頭が上がらない。この人達のために少しでも恩返ししたいと、そんな合理的じゃないこと、いつぶりに考えただろう。

何者かになろうとしたり、誰かもわからない敵を出し抜こうとしたり、毎日は本当に滑稽だ。
ジンフィズの泡がパチパチとはねて、明日を映した。

どうも。 サッと読んでクスッと笑えるようなブログを目指して書いています。