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過去日誌:コンクリート像見学

アートライティング、履修と反省

2021年・冬期、課題は『街をえがく』として、
「”自分のまち”の独自の文化をとりあげ、その歴史的・社会的背景を調べてレポートにする」というようなもの。

ほかにも名古屋の独自文化はあっただろうに、なぜかコンクリート像をテーマに選んでしまった。結局、リサーチに時間がかかったあげく、どうにも書きたい核心にはたどりつけない。
そもそもレポートという文章でこれらコンクリ像の奇妙さを”えがく”のは無理があったのです。
以下、当初の日記より。

2022年2月10日(木)の日記

午後三時、南区道徳駅前、雨がぽつぽつ、車をTimesに停めた。
商店街はほとんどシャッターが閉まっていてさみしい、それなのに200メートルくらいのあいだにタコ焼きとお好み焼きの店が3軒も営業している。
道徳公園は野球グラウンドがあるような広い公園、雨なので誰もいない。

およそ100年前に造られたコンクリートのクジラ像

国の登録有形文化財であり、夢名古屋400どえりゃー大賞のクジラ像。
ハンドルをひねるとちゃんと背中から水を噴き出す。

あーなるほど。
あーなるほど。。

さて車でなければタコ焼きでビールを飲みたいところ。
この後、お母のいる施設まで走る、南区から北区まで名古屋を縦断しなければいけない。

道徳公園のクジラ像について
1927年(昭和二年)、道徳公園の開園時にに山田光吉と後藤鍬吾郎(ごとうくわごろう)という師弟によって製作された。(ふたりは同年にこの先の東海市に聚楽園大仏も建設している)2016年に国の有形文化財として登録。全長9.7メートル、高さ1.9メートル。

中日新聞WEB『1927年製作のクジラ池噴水、国文化財に 名古屋・南区の道徳公園』 https://www.chunichi.co.jp/article/292690
名古屋市図書館HP『名古屋の偉人伝 No.27 後藤鍬五郎(ごとうくわごろう)の巻』https://www.library.city.nagoya.jp/reference/ijinden/ijinden_027.html

2022年2月19日(土)の日記

仕事が半日で終わり、地下鉄で東山動物園へ向かう。
小雨。
昼は何も食べていないのでフードスタンドを探す。
いつのまにか園内が大改装されていてフードコートができている。
チュロスとビールを期待していたのにアルコール類が見当たらない。

名古屋人なら子供の頃から馴染みのある三体の恐竜の像

戦前生まれの恐竜像はどことなく可愛らしい顔立ちである。
長く放置されてボロボロだった姿が補修されてきれいになった。
取り壊し寸前だったが、県民の愛着で救われた。

腹が減ったが丼という気分でもなく、仕方なくきしめんをすすることにした。
こういう公共施設の麺類に期待はしてなかったが、立ち食いの煮詰まった醤油っ辛さがなく麺も幅広、意外に美味かった。

雨が強くなってきたので帰ることにした。今になってビールを発見したよ。

東山動物園・恐竜像について
昭和13年、初代園長の北王英一の発案でドイツハーゲンベック動物園の恐竜像を模して建設。造形が容易で強度も高いコンクリート像だったが、地震などでできたヒビから雨水が入り鉄筋が錆びてしまうという大きな欠点があった。その修復は容易ではなかったようだ。文字通りの産官学の協力で2014年になってようやく実現。

レファレンス協同データベース 
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000072801

東山動植物園HP 恐竜像のおなかの中
https://www.higashiyama.city.nagoya.jp/blog/2014/10/post-2115.html

コンクリート工学年次論文集
『報告 東山動植物園のコンクリート製恐竜像の内視鏡による内部調査
https://data.jci-net.or.jp/data_pdf/36/036-02-1351.pdf

2022年10月20日(木)の日記

履修は終わったが、浅野祥雲のコンクリ像を見ておきたくなった。
お昼、星ヶ丘から名鉄バスで五色園に向かう。星ヶ丘からバスで二十分も走れば田園風景になるんだな。乗客は僕ひとりである。

五色園は宗教公園と銘打っていて、広大な敷地は大安寺の境内でもある。

こういう像が園内には100体以上あるのだ

思ってた以上に感想が浮かんでこない。
立像であると2mくらいあるので大きくて不気味である。
「北斗の拳」のでかい婆さんを思い出す。

どの像もどこかポーズがおかしい

基本的に親鸞上人の仏教的エピソードと、豊臣秀吉の歴史エリアに分かれている。
広い園内はなかなか手入れが行き届かないらしく、倒木で入れないところも多い。平日とはいえ他に観光客らしい人もいなく、錆びて朽ちた大型遊具などもあって廃墟感も併せ持っている。

夕日の中を歩き続けて疲れた。
どこかからずっと草刈り機のモーター音だけが響いている。
大学のレポート向けではなかったな。

帰りのバス停で座っていると、小学生が次々と挨拶していく。日進市は素晴らしいじゃないか。
しかし周囲はなにもないので、星ヶ丘へ戻って餃子を食べたい。

浅野祥雲について
浅野祥雲は明治24年、現在の岐阜県中津川市生まれ。昭和初期から40年代にかけて無数のコンクリート像を手掛ける。五色園の他、桃太郎神社、関ケ原ウォーランドなど東海地方で多くのコンクリ像がみられる。

参考文献:大竹敏之『コンクリート魂 浅野祥雲大全』青月社、2014年




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