こんにちは、CADDiの白井です。@yskeee000
CADDiにおけるSaaSプロダクトであるCADDi DRAWER事業を新規事業開発室としての立ち上げからかれこれ2年ちょっとやってきました。その間に正式にプロダクトとしてリリースをしたり、お客様が増えてきたり、組織も100人を超えてきたりなど、わちゃわちゃしながら何とかやっています。少し前に肩書きが変わり、今はCPO of CADDi DRAWER、みたいな感じになっています。
この度、弊社はシリーズCの資金調達を実施いたしました。
前回の資金調達(シリーズB)からの間に、事業/プロダクトとしては以前の記事に書いたユーザーの課題とプロダクトの構想に基づいて、粛々とshapeしながら一つ一つ進めてきております。
プロダクト自体はちょうどほぼ一年前の2022年6月に正式ローンチし、これまでの間に色々なお客様に新規にご採用いただき、ありがたいことに数十人規模から数万人規模のエンタープライズの会社まで、製造業における様々な業界/規模の顧客にご活用いただいております。(プロダクトについては是非こちらをご覧ください)
さて、広報からの圧力が強いので今回の資金調達を節目として何か書こうと考えていたのですが、上記のように一つ一つ歩を進めてますという色気のない話になりそうで終わりそうになり途方に暮れていたところ、2年ほど前に実施した前回の資金調達時に書こうとしてPublishしないままお蔵入りになっていた文章を見つけました。
そこに書いてあった話と、プロダクトのローンチから1年の間今日までにあったいくつかのことを思い出しながら今回は書いてみようかなと思います。
合理も不合理も、未来のために
2021年8月に公開したCADDi DRAWERのための採用サイトにこんな段落がありました。
合理が不合理になること
少し話が逸れるんですけども、ソフトウェア開発の世界には技術的負債という言葉があります。
既に存在しているコードや設計が新しい進化や改善のための足枷になってしまうような際に使われる言葉であり、"返済すべきもの"として捉えられるものです。
この技術的負債は、単純に元々イケていない設計やコードを書いてしまった、ということももちろんありますが、「当時はそれがいいと思って作ったのだけれど、事業やプロダクトの進展などの状況の変化によって、それが結果として最適でなくなってしまった」という場合もかなりあります。
得てして、悪いもの・消し去るべきものというニュアンスを感じさせるこの言葉ですが、今日自分たちが立っている場所はそういう過去の遺産が作り上げてきたものなんですよね。要するに、今日から見れば非合理に見えても、今日を作り上げてきた当時の合理にリスペクトを、ということです。そして、ほとんどの場合そういった負債となっているものを全て0にするわけではありません。その中で、これからも有用な要素を正しく取り出して残していくことが日々行われている技術的負債の返済です。
CADDi DRAWERをお客様に説明するとき、我々は「図面やデータを管理するのではなく、【活用】するんだ」ということを強調します。
今日では「データを活用する」ということは擦り切れるくらいいろんな場面で言われることだと思いますが、データを活用するという現代のスタンダードな見方で振り返った時、長い歴史がある製造業において蓄積されてきた図面やデータは必ずしも最適な状態でなかったりします。
紙のまま残っている図面もありますし、データ化されていてもPDFなどの画像に近いようなデータになっているものがかなりあります。そのようなデータを分析したり活用できるように構造化して取り扱うことはそのままでは難しい。
しかし、それらはその歴史の時々において最先端であり、当時の習慣において最適化されていたものだったりするわけですよね。いまだに製造の現場で色々取り回すなら紙のUXは圧倒的です。
そして、そういう遺産はJapan as No.1とまで言われた製造業を今日に至るまで作ってきたものなわけです。
部分の合理と全体の合理
データの活用を考えるときに、もう一つよく現れる不合理がサイロ化です。
製造業では、バリューチェーンが長いため、ほとんどの企業が成長するどこかの段階で組織構造が設計や製造など機能別になっていきます。スケールすることを考えた時、専門性ごとに組織を分け、その専門性のもとで人員を増やしていくことが合理的なためです。
組織が機能別になると、予算や権限の管理もそれに従うようになり、システムも自然とその単位で導入され活用されることが多くなります。そのため、多くの部門でシステム導入が進み、デジタル化が進んでる昨今でも、それらのデータは部署内にとどまっている場面がかなりあります。
データを活用して何かをしたいと思うとき、そこにはそれによって達成したい目的があるわけですが、そのために必要なデータが必ずしもそういった機能ごとに完結するわけではありません。
例えば「製造原価を下げたい」という話題の時、部品の仕様に関する仕様書や図面は設計部門に、調達原価のデータは調達部門に、製造工程の履歴は製造部門に、とバラバラに存在していて、総合的に最も良い打ち手を考えるにはそれらを統合して分析する必要があります。
何かがバリューチェーン上を流れる瞬間に合理的な構造と、それら全体を俯瞰して統合したり分析したりする瞬間に合理的な構造が異なるということです。
テクノロジーと文化
私が先述の採用サイトの構成を考えたとき、今日を築いてきた遺産/資産たるものが内包している不合理も、部分と全体の合理が異なることも、そこへのリスペクトの上に立ちながら「これから」を作るために軽やかに超えていくことを助け、過去と未来をつなぐことができるプロダクトにしたいと思っていました。
そのために、過去からの蓄積が多少「不合理な」状況を含んでいたとしても人の手をできるだけ煩わせることなく、できる限り自動的に解析し、統合し、データを活用して仕事がよくなるという体験を最速で提供できるためにテクノロジーを使う。そうして、データが使える!という体験から出発して、それであればそもそも自分たちの業務もデータも最初からこうしておいた方が使いやすいよねというアイディアと、そして何よりそんなふうに知恵を回していく文化を作っていくことを手伝う。
どんなテクノロジーもそれ単体でできることは限られています。データもそれを活用する手段も、活用したい、活用して何かを生み出したいという意思があってこそ意味が生まれます。
最初の半歩をテクノロジーで、その先を文化とテクノロジーの両輪で進めていけるようなプロダクトにしたいなと思っていました。
習慣と文化が変わり始める瞬間
プロダクトのリリースから1年間の間に、幸いなことにそれを体感できる場面のいくつかに立ち会うことができました。
作り手の我々が想像していなかったやり方でプロダクトから活用法を創発しているユーザー、部門を超えて同じ事実を見てコミュニケーションが取れるようになったことを報告してくれたユーザー、今までなかった新しい業務のフローが自然と生まれたユーザー、などなど。
足元の機能や活用手段、それによって生み出される効用を弾みにしながらその先にユーザーや会社の習慣や文化が変えられるならばそれによって作られる価値はもっとずっと大きい。
作り手として、これ以上の喜びはない瞬間であるとともに、自分たちも期待に応える、変化し続けられる存在でありたいと思います。
最後に、そんなユーザーの中の1人が(こちらのお客様です) 送ってくれた手記を引用させていただいて締めとしたいと思います。読んでいただければわかるように、そこには我々のプロダクト以外にもいろんな人の思いと行動があり、それが何かが変わる瞬間につながっているのだと我々も後になって知りました。そして、そういうものが交わるところにいられるということが、ビジネス上の成果以外に与えられた僕らへの幸運であると思いました。
一緒にプロダクトを進めてくれる仲間を大募集中です!