真のアスリートに対して「オリンピックに向けてどうですか?」なんて質問はナンセンス

 運動あそび塾しらさん家の参加者のみなさんへお配りしている「ササめがね通信」をこちらに掲載しています。
(5月号 No55.2021年4月20日発行より)

オリンピックが、あるかないかの瀬戸際だ。

 「そんなことやっている場合か」という気持ちもあるし、金やら政治やら権力やらが見えまくっている現状に辟易とするし、子どもたちに「オリンピック楽しみだね!」なんて言う気持ちにはとてもなれない。
 けれども、私もスポーツを愛してきた人間として、アスリートの気持ちを考えずにはいられない。多くのアスリートはそこへ向けて全てを掛けている。金メダルをとることができるのなら、たとえ命が尽きてもよいというくらいの気持ちで取り組んでいる選手もいる。

 分かる。競技者としては全くそんなレベルには達しなかったが、私にも、死ぬほど競技に打ち込んだ時期がある。だから、そこに掛ける選手の気持ちは理解できる。

 そしてこのコロナ禍で、多くのアスリートが、それぞれのレベルを引き上げたのではないかと私は思う。オリンピックを目指す選手たちは考えたはずだ。「オリンピックがなかったらどうなるんだ」「自分はなぜこのスポーツに取り組んでいるのか」と。この悶々とした時期に手に入れたもの、それは、その競技に対する揺るがない人間力ではないか。

 グランドスラムで優勝し、現在テニスの世界ランキング2位の大坂なおみ選手はこう言う。「正直ランキングのことは全く考えていません。自分が出場する全ての大会で良い成績を収めたいと思っているだけ。」彼女のコート内外での心身の成長ぶりには目を見張るものがある。そして黒人差別に対するメッセージなど、自身が発信することの影響をよく理解している。もはやオリンピックであっても、彼女にとってはそれだけが特別なのではなく、全ての試合が大切なものなのだろうと感じる。

 先日、プロゴルファーの松山英樹選手がマスターズで優勝した。こちらも日本人には無理だと思われていた偉業だ。しかし彼は10代の時からマスターズ優勝を公言していて、そこに向かって血のにじむ努力をし続けてきた。悔し涙も何度も流してきたのに、今回の優勝で浮かれる様子はみじんも感じられない。「これからまだまだ活躍しないと(子どもたちに)そこを目指したいと思ってもらえないかもしれない。(自分も)頑張って、10年、15年と長く、第一線で活躍できるように。」と発言している。見ている先が、自分の結果だけではないのだ。オリンピック代表にも選ばれているが、彼にとってはそれも通過点に過ぎないのだろう。

 冬の競技になるが、ノルディック複合で金メダルまであと一歩の渡部暁斗選手はこう言う。「オリンピックで金メダルを取りたいんだったらスキーじゃなくてもいいのか。じゃあ転向して、例えば他の競技で頑張って金メダルを取ってもいいわけじゃないですか。でもそうじゃないんだなって。僕がやりたい目的は金メダルを取ることじゃなく、本当はスキーが好きで上達することが僕の喜びで、その先に金メダルがあるというだけ。」彼にとって、オリンピックがあろうとなかろうとその気持ちは一緒だ。

 マスコミはどこへの忖度かは知らないが、こういう選手たちへも「オリンピックに向けての意気込みは?」と平気で聞いてくる。しかしもう次のステージへレベルを上げたアスリートたちに対して、そんな質問はナンセンスだ。
 真のアスリートたちのこたえはこうではないか?
 「常に準備はできている」

 進化したアスリートたちが、これからどんなパフォーマンス、いや、生き方を魅せてくれるのだろうか。そう考えたら、オリンピックがあってもなくても、やっぱり今年の夏以降が楽しみになってきた。子どもたちにも生き様を見てほしい。

 スポーツができるというのは平和の象徴だ。戦争をしている国ではそうはいかない。しかし誤解を恐れず言うならば、争いのある国の人たちは生きるか死ぬかの緊張感の中で毎日を必死で生きている。さて日本はどうか。無論、戦争などあってはいけない。だからこそ、スポーツという形で届けてくれるアスリートたちの真剣勝負から、私たちは多くを感じ取り、日々の姿勢を正さねばならないと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?