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20年前のアメリカ大陸縦断旅行(ルレナバケ、2000年12月)

ラパスを後にしてルレナバケに向かった。南米に来たからにはアマゾンに行ってみたいと思い、アマゾンの上流にあたるこの町に行くことにした。ラパスからは屋根まで荷物を満載したボンネット型の旧式バスに揺られること丸一日、アンデス山脈を越えてジャングルまで下っていくことになる。気候も違えば人も違う。ルレナバケにはラパスなど山岳地帯にいる昔ながらの民族衣装を着た人たちはいない。

ルレナバケに到着し宿を決めた。宿でアメリカ人、カナダ人、オーストラリア人と仲良くなり一緒にジャングルツアーを申し込むことにした。ガイド一人ついて川下り・ジャングル歩きをするというツアーである。思ったより過酷なツアーだった。まず、川岸の木を切り出して自分たちで筏を組み立てて、それに乗って川下りをした。浅瀬で筏の底が川底にぶつかって筏の丸太がばらけてしまいみんなで丸太をおさえながら紐で縛りなおして修理しなくてはならないというハプニングも発生した。丁度、クリスマスの時期だったので、川岸の砂浜で砂のケーキを作ってみんなでお祝するなんてこともした。

ジャングル探検隊?

話がそれるが、中南米にはアメリカ・カナダ・オーストラリアなどからの旅行者はあまりおらず、ヨーロッパから旅行者が多かった。言葉が通じるはずのスペインの人はいないことはないが多くはなく、感覚的にはドイツ・オランダ・北欧(デンマーク・スウェーデン・ノルウェー)の人が多かったように思う。あと、たまにイスラエルの人がいて、彼らは大学を卒業して、もしくは兵役が終わって、仕事を始めるまでのギャップイヤーを利用して旅をしているということだったと思う。

ルレナバケでは他にも忘れられない出会いがあった。町をふらふらしていたら声をかけられて近くにハポネス(スペイン語で日本人という意味)が住んでいるから会ってみないかと言われた。こんな所に日本人?と思ったのだがせっかくなので案内をしてもらった。バイクの後ろに乗せてもらい、ベニ川という川をバイクと共に渡し船で渡って、渡り終わるとまたバイクで今度はジャングルの中へ入っていく。本当に大丈夫かな、騙されていないかと心配になっていたら、ようやく到着。おじいさんが日本語で話しかけてくる。アルマンド小野さんという方だった。当時もう90歳だったと思うがお元気だった。戦後(だったと思う)、ボリビアにやってきて、ボリビアで家庭を築き、今は一人ジャングルで農業の研究をしているということだった。また、よく日本の短波放送を聴いているということだった。そんな話をパパイヤかマンゴーをご馳走になりながら伺った。あとから調べて分かったことだが、小野さんはボリビアの日系人社会の中で活躍された有名な方のようである。




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