黒人についての僕なりの見解

あえて前述しておくと、タイトルに僕なりの見解という言葉をつけているのはこの問題が多くの人にとって大きな問題であり、それにより議論がなされ、時には一意見に対してしつこく執着し責め立てるようなことが起こりかねないからだ。あくまでも一意見、ということを最初に述べておきたい。

この世界にはありとあらゆる人種が存在し、そして全く違う見た目をしている。それも当たり前だ。何故ならこの地球上には人間の根本なる祖先がいくつか存在しているのだから。

だから人がそれぞれ見た目が違うことに対してはあたりまでだ。しかし、見た目以外において生まれた瞬間、もしくは生まれる以前に何か違う点があるとは僕はとても思えない。人は生まれた環境、育てたれた環境、周囲の人々の影響を受けて価値観を構築していく。しかし、それらの根本的に位置する部分において、もっと言えば見た目よりもさらに根本的なものについて、人はほとんど皆同じところにたどり着くのである。

決してこれは多様性がない、と言うことを言っているわけではないし、個々の性格を否定しているわけではない。性格や、多様性以前の話である。

それらにおいて僕らはほとんど共通の人間であると言うこと、そして意識を持っていると言うこと、二本足で歩き、そして生物的にはかなり珍しく脳が発達した生物であると言うこと。それらをまずは共通の認識としてもつ。そして、僕らの最も根本的な脳の部分(脳について詳しくはないが、野性的な部分?)、そこの部分において、痛みを感じたり、恐怖を感じたり、そう言った本能的なものは全世界皆共通で持っているのだ。それらについての例外はいくつかあるだろうがそれについてはこの文章についてほとんど意味をなさない。

それらをまずは念頭において、黒人について考えを述べていく。白人、黒人、黄色人種等の肌の色の人種が存在する。そして、こうして分けたのはそもそもただ単にわかりやすかったから、または分けやすかった、と言うそれくらいの理由だろう。人は見た目から多くの情報を得るし、それらにおいて人の肌の色というものはかなり印象的である。それにおいて人ははっきりと肌の色で人種を分けた。そして、さらに多くの歴史から黒人を奴隷にする文化があったり、それらによって黒人に対して下の民族である、という風に植え付けられた何かしらのメディア的影響を受けていることも一つ罪深いことであろう。

僕もそれらの洗脳に対しては根強く持っている。だからその洗脳に強く反抗するのだ。

そして、肌の色が黒いという一括りを一つ簡単な単位とし、そしてそれらについて、全てを一つの印象と紐付けた。それが奴隷や、危険、気性が荒い、等々である。

そしてこれらについて差別感を持つことはユダヤ人を迫害したナチスと何一つ変わらないことについて僕は胸を苦しませなければいけない。ユダヤ人に対して今でも強く反感を持つ人はキリスト教の中にもいるだろう。しかし、それは今ではマイノリティである。

しかし、黒人に対しての不要な印象を持っていない人はどれくらいいるだろうか?それらはほとんど黒人と親しくして、本当の黒人と付き合った人たちが身を持って体感して実際の経験として黒人に対しての不要な印象を拭うことができた人に限るのではないだろうか?僕らは実際に彼らと語り合い、それから彼らを理解することによりやっとこれらの不要な印象を取り除くことができる。

しかし、それは本当に必要なのだろうか?それらがなくても最初からそれらを僕らに受け付けなければいいのだ。そしてそれらを植え付けるもっともな要因はメディアであり、そして社会の風習と空気感である。これらが僕らの中に気づかないうちに染み込み、そして不要な物を僕らに植え付ける。そしてこれらが世界の半数を占める黒人という存在を何故か非難するような考え方につながるのだ。

これらがどれくらいおかしいことなのかわかるだろうか?少し前に僕ら人間は皆等しくして同じ痛みや苦しみを持っていることを書いた。そして、まるでそれらが無いかのごとく、むしろそれらを意図的に無視するようなことによって、黒人は奴隷として扱われ、そして苦しい生活を強いられてきた。そして、僕らが白人か黒人かはたまた違う人種かどうかの違いにおいて考えなければいけないのは、これらの違いはただ実際的に生まれてきた親が違うだけなのだ。それだけなのだ。たったそれだけ。本当にたったそれだけなのだ。それらによって、その人の人生の多くを左右する何かが決まる。

だからおかしいのだ。だからこの世は不平等なのだ。だからこの世はある人にはやたらと優しく、ある人にとっては地獄のように思えるのだ。これらの問題において、全世界において本当に心から怒りを持った人はマイノリティーに属するだろう。無論、黒人はそれらにおいて怒りを持っているだろうが、長年生きていくにつれそれらの怒りが当たり前のものと変わっていくはずだ。何故なら彼らがどれだけ抵抗しても決して数百年の歴史を動かすことができないし、彼らはどんなに抵抗しても全世界のこれらの差別的見解を拭い去ることができない。

何故なら彼らを差別する側の人間は彼らに関心がないからだ。これが最な悲劇だろう。