F6 ヨッシャマンと禁忌の言葉たち
少し前に催眠術について書いたので、すっかり催眠の人だと思われているようだ。
補足的なことだが、大人よりも子供の方が催眠術にかかりやすい。
それは、大人の脳波がβ(ベータ)であるのに対して、子供は日常的にα(アルファ)波の状態だからだ。
何が言いたいかというと、メチャクチャ暗示が入りやすいのである。子供は。
彼らにとっては大人の言葉、特に親のそれは催眠術師に言われたようなものであると認識しておいたほうがよい。
なので子供にかける言葉は、面の皮が爬虫類のように厚い大人よりも、慎重に選ぶべきではないかと思う。
例によって個人的な見解である。
あくまで私個人が子供たちに言わないように気を付けている三つの言葉について書かせていただきたい。
それは、
「信じているよ」
「期待しているよ」
「心配しているよ」だ。
どうだろう?
どれも、何も悪い言葉には聞こえないと思う。
実は三つとも根っこは同じなのだけれど、一つずつ偏屈な解説をしていこう。
あなたが男性だとしよう。
あなたは先週、女友達だか職場の後輩だかと食事に行き、それが今目の前にいる恋人にばれてしまった。
むろん、やましいことは何もない。あなたにはそんな勇気などないことは私が知っている。
しかし、それを一生懸命説明すればするほど、まるで言い訳をしているみたいになってしまい、あなたは焦ってくる。じっとりと額に油っぽい汁まで浮かんでくる。
彼女は、にっこり笑ってこう言うだろう。
「私、あなたのこと信じてるから」と。
その純粋な瞳を見て、あなたは安堵する。
よかった、分かってもらえた。
そのおめでたい目ん玉で、もう一度恋人の目を覗きんでみるといい。その奥深くまで。
それが「疑いの目」というものである。
本当に彼女があなたのことを信じていたら、信じているとは言わないと思う。それは、信じたいという事であって、裏を返せば信じきれないという事でもある。
子供はこの手の腹芸みたいなものに敏感だ。
「信じてるからな」と言われたら、信用されていないんだな、とミニヨッシャマンは感じたものだ。
信じられないかもしれないが、これは自分自身にも当てはまる。
ある時、「私は言葉の魔法を信じている」
そう発したあとで、ハッとした事がある。
なぜ私はそんな事を口にしたのだろう?
信じているのなら、ただ魔法の言葉を口にすればいいだけだ。
これではまるで、信じこもうとしているみたいではないか。
そう。私はまだそれを100%信じきれていなかったのだ。それに気が付いた。
さて、また例を出そう。
あなたは上司に呼び出され、新しいプロジェクトを任せると言われた。
ようやく実力が評価されたのだと浮かれているあなたに、上司が言った。
「期待しているよ」と。
あなたは鼻の穴を膨らませて、やる気をみなぎらせるかも知れない。しかし、
これが「脅し」というものである。
私が望むような結果を出せよ、と言われているのだ。
「期待」というのは、残念なお知らせなのだけれど、信じきれていない相手にするものだと私は思う。
本当に上司があなたという人間を信用していたならば、ぽんと肩を叩いて
「やりたいようにやれ」というはずなのだ。
そのプロジェクトが成功しようが失敗しようが、あなたの糧になることが分かっているから。
もちろん、期待してはいけないという事ではなくて、子供には言わないでおこうと私が思っているだけの事である。誰かを、何かを100%信じるというのは難しいし、誰もがプレッシャーに強いわけではないのだから。
学生の頃、カッコいい美術の先生がいて、憧れていた。
その先生が、難易度の高い課題を私に出したあとでチラッと私の顔をみて、独り言みたいにこう言ったのである。
「ま、こいつなら大丈夫だろう」
今思うと、まんまと乗せられた気はするのだけれど、あんなにやる気が出たこともそうそうなかった。
最後はリアルに私自身を例に出す。
父親が病的なほど心配症なのである。
少し前も、私が家を売って山暮らしをするつもりなのだと言ったら、不眠症になってしまった。
さらには、いかに山暮らしが危険で大変なのかというレポートを書いて寄越した。
独り暮らしすらしたことのない男がだ。
かくいう私は寝袋で1ヶ月旅をしたり、半年間車中泊した経験もあるので、父親の言うことなど片腹痛い。
「男がそんなことでどうする!(セクパワハラ)」と今なら説教してやれる。親父ならどんと構えておけ、心配する顔など見せるな。いざという時は俺がなんとかしてやるとなぜ言えない。←元凶
というように、大人になってしまえば、別に心配されることなど何のこともない。
むしろ美女には心配されたい。
「もー、私がいないとダメね」とか言われたい。(コニシ木の子さん、お借りしました)
しかし、子供の時分はそうはいかない。
親とは絶対的な存在である。その親に心配されると不安になる。
「心配だ」と言われたら、心配をかけてはいけないのだ、と思ってしまう。私のような良い子ほど。
これが「呪い」というものである。
「お前の将来が心配だよ」
そんな言葉を浴びたら、子供はどう感じる?
なので、私は娘に対してこの3つの言葉を言わないようにしている。
あいつらなら大丈夫だろう。
少しずつ、そう思えるようになったから。
もちろん、それでもまだ心配はしてしまう。
そんな時は「祈る」のだ、と整体の師匠が教えてくれた。
心配の「念」を相手に送るのではなく、天に祈るのだ、と。
ちなみに、最近また追加で禁忌ワードが増えた。
「頑張って」を言わないように気を付けている。
使い勝手がいいもんですぐ言ってしまいそうになるが、「頑なに張る」なんてあまり良い言葉ではないよな、と思ったりするのだ。
何より、加齢と共に脳みそが溶けて緩くなってきているようで、
私自身が頑張りたくないのである。
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