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F13 ヨッシャマンは2度死ぬ

告白しよう。
私は重度の「山」依存症である。
山中毒。略して山中。
字面が山中さんと混合してしまうので、ヤマチューとカナ表記にしよう。
ヤマチューの症状としては、定期的に山を摂取しないと無気力になり、手足が震え、山の動画にかぶりつき、ひどい時には山が付いていれば何でもよいとばかりに山中さんに会いに行く。(ウソだけど)

血中の山濃度が薄くなってきたので、先週の休みに山に行ってきた。
芋けんしーさんに教えていただいたオニヤンマの虫除けブローチも装着。
適当な所に車を停めて、さぁ行くかと思ったら雨が降りだした。
さっきまで晴れていたのに。
やはり3日前に見た天気予報ではあてにならないか。それでなくても山の天気は変わりやすい。
まるで女心にように。
「完璧彼氏」と言っていた彼女が「見てる分には面白いんだけどね」と生類憐れみの目をするくらいに。
私は遠い目をそのまま雲に向けた。
私くらいになると、天候はすぐに読める。この空の感じなら、ただの行きずりの雨だ。


土砂降りになった。


これはもう、今日はダメだなと思った。
雨あがりの山が危険なのは身をもって知っているから。
少し雨が落ち着くまで、昔話でもしよう。


まだ私が駆け出しのヤマチューだったころ。
二十歳くらいだと思う。
その日は鬼怒川をストーキングしていた。
源流探しだ。
山道を登っていると、途中でロープがかかり、そこに「立入禁止」の札がこれ見よがしにぶら下がっていた。
禁を破りたくなるのがストーカーである。こういう輩が人に迷惑をかけるのだけれど、まだ尻の青いヤマチューに撤退はない。
立入禁止というだけあって、結構険しめの道だった。なぜあのような札がかかっていたのかと言えば、今思うとだが連日降り続いた雨のせいだろう。
地盤が緩く、滑りやすい。
滑るのは慣れているから、などと呑気な事は言っていられない。右手は山肌なので服が汚れる程度で済むが、左斜面の行く先は切り立った崖である。
もちろんこの先の展開はあなたの想像通りだ。
湿った土には十分注意を払っていたつもりだったが、濡れた落ち葉があんなにツルツルしているとは想定外であった。

私は華麗に滑った。


それは見事な滑りっぷりだったと思う。誰かが動画を撮ってくれていたならば、なんらかの賞をもらえるくらいの。
勢いそのままに、私は全身で斜面を滑り落ちた。まるで、この先の人生を暗示するみたいに。
繰り返す。その先は崖である。
こういう時には木にぶつかって九死に一生というパターンかと思いきや、私はむしろ器用に木と木の間をすり抜けた。なんでなん?
パニックではあったと思う。
「あ~~れ~~」などという声も出ない。出るうちはまだ余裕があるのだ。
が、人の防衛生存本能はそれでも生きる道を探す。
私は滑り落ちながら、とにかくその辺の長い草やらつるなんかを両手でかき集めた。文字通り必死に。
そのおかげで、私は一命を取り留めた。
しかし、困ったことに助かったのは私の上部3割で、残りは私の預かり知らぬ所にあった。

これが世に言う70%崖に宙吊り事件である。


私の人生でこれ以上怖い思いをしたことはないと思う。
死がすぐ目の前にあった。
私を現世に繋ぎ止めてくれているのは植物たちで、その柔らかい土から彼らが私の体重で引き抜かれてしまったら、私にはなす術が何もないのだ。
自分の命を、自分ではどうしようもないという恐怖。
詩的に表現させてもらえるなら、今思い返しても玉が縮み上がる。
「生殺与奪の権を他人に渡すな!」と富岡さんに怒られそうだけれど、

相手は草。ww

私はとにかく慎重に、慌てず、体重を分散させながらゆっくりと体を引き上げていった。
できる限り植物ロープに負荷をかけないように……。こんなことになるなら、もっと本気で舞空術に取り組んでおくのだった。
本当に生きた心地がしなかったが、冷静さを欠いたら本当に死ぬと思った。握りしめた草たちが私の命運を握っているのだ。
結果的には、1年分くらいの集中力と体力を使って私は生還した。
ほら、やはり懸垂力はいざという時に必要なのだ。
呼吸を整えながら空を仰いだ。こういう時はやっぱり空を仰ぐのだ。体に残る震えが消えるまで。


普通はここで引き返すものだと思うのだけど、私はまだ諦めなかった。
私にとって若さとは、愚かさと同義である。
ようやく沢沿いに出た私は、もうこれで落ちる心配はないと、ホッとして歩いていた。
が、それもつかの間、ミニチュアの崖みたいな場所が私の行く手をさえぎった。
思い切り跳べば向こう岸に届くだろう、という絶妙な距離。とは言え、今度は失敗した所で沢に落ちるだけのことで、大したことはない。
それなのに、私はどうしてもその先に行けなかった。
跳ぼうとしても、足が動いてくれない。
ももの内側には、まだ解消されていなかった微細な震えがあった。
動け!と私は命ずるのだが、私の下部70%はまだ宙吊りにされたことを根に持っているようだ。
ならば仕方ない。
私はグローブを片方外して、向こう岸に投げた。
私のお気に入りの冒険グローブだった。
さぁ、どうする?
相棒を見捨てるのか?
私は意を決した。


帰ろう。


まったくロクデモナイ1日だった。
源流を探し出せもせず、失くす必要もなかったグローブまで失った。
よかった事と言ったら、せいぜい、

命拾いしたことくらいだ。



私としたことが、つい長々と昔話をしてしまった。
雨も上がったので、せっかくだから明るいうちに帰ろうか。
車を出し、峠の長いトンネルに入る。ライトを点ける。

私は、なぜあの時動けなかったのだろう?
もしあの先に進んでいたら私はどうなっていたのだろう?
私が置き去りにしてきたものは、グローブだけだったのだろうか?
いや、そもそも

私は本当にあの山から帰ってきたのだろうか?


3時間後、埼玉に帰ってきた辺りで日が沈み始めた。
小灯をつけようとした私は、はれ?っと思った。


トンネルからずっとライトが全開だった。


拾った命で、周りを照らしてゆくのです。
そんなメッセージだろうか?

ま、違うと思うけど。

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