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F17 ヨッシャマンVS100パーマン


赤い顔をした女性がうちわで顔を扇いでいた。
美女の微熱をうばったその風を浴びたい。
そんな願望を押し留めなくてはならないほどに暑い。
それほどに暑いというのに、私はクーラーもない灼熱の体育館に武術の稽古に行くのである。
本能的欲求を除けば、「おもしろい」以上の動機ってあるだろうか?

中国武術の先生は、「実験」と称して色々な稽古をつけてくれる。
今回のも面白くて、二人一組で腕相撲をするのだが、1人はこう言うのだ。
「(自分の名前)は、全力で稽古をします」
これだけで圧倒的に強い。
ひょろい私が、リアルキングダムみたいな先輩を倒せるほどに。
「50%の力で稽古します」と言うと、本当に力が入らなくて負ける。
「明日から全力で稽古します」
これもダメだった。明日やろうはバカやろう、という名言が実験により証明された瞬間だった。
先生いわく、
言葉で100%の力が出せる「身体の状態」を作れるとのこと。
これはすごいと思った。
頭に「全力」とか「100%」とかつけて宣言するだけでいいのだ。

これ、入門初日に教えてくれればよかったんじゃない?


だいぶ習得が早かったはずではと思ったが、これから存分に生かしていこう。
この実験は「筋力」だったけれど、何にでも使えると思う。非常に助かる。
というのも、私はずっと人知れず、厄介なモンスターと戦っているからだ。

そいつの名は「メンドクサイ」。
こいつさえ倒せたら、平和で美しい世界(部屋)が手に入るはずなのに。
そもそも、なんか毎日「ダルい」。
やる氣が起こらない。仕事したくない。
やりたいことだけやりたい。
ずっとふざけていたい。

これが更年期というやつなのか?


いや、違うと私は思った。
なぜかというと、「全力稽古」をした後に氣だるさがとれて身体がスッキリしていたから。
しかも、それが翌日も続いていた。
もしや、メンドクサイのもダルイのも、私がこれまで全力でなかったせいなのではないか?
常に不完全燃焼の状態だったのではないか?
そう思い始めた。
例えるなら、う○こである。
トイレに行き、わざわざあえて余力を残してくる人がいるだろうか?
常に出し切るはずである。
はからずも出しきれなかった時の気持ち悪さといったらない。
その残念なもやもやが「メンドクサイ、ダルイ」の正体だとしたら?

メンドクサイ、ダルイはエネルギー(氣)の便秘である。

そう仮説を立ててみた。
仮説とはレシピである。料理は作ってみなければ分からない。
というわけで全力で1週間を過ごしてみることにした。

朝、目を覚ましたら高らかに宣言する。
「私は今日1日を全力で過ごす!」
足元で丸くなっていたネコが氣だるそうに首をもたげ、「今度はなんなのよ」みたいな白けた顔をするのだけれど氣にしない。

仕事が一番分かりやすかった。
私は整体師なので、施術の前に「全力!」を心の中で唱える。
これまで「手を抜いている」という意識はもちろんなかったのだけれど、「全力」を意識したら分かった。私は明らかに次の患者さんに備えて余力を残していた。無意識に「出し惜しみ」をしていたのである。疲れは最小限に留めたかったのだ。
しかし、全力施術をしたらどうなったか。
体は動きやすく、感覚は深くなる。
考えてみれば当たり前だった。セーブしていないのだから!
無駄な動きが減り、より効率的で効果的に仕事ができた。
そして、なんということだろう。

「全力を出した方が疲れなかった」のだ。

信じがたいことだ。そして、私はさらにすごい発見をしてしまった。
なんと、

リキんでると全力が出せない。


あれ?
ご存知?
力むと、エネルギーが無駄に分散してしまうのだ。まさに「氣が散る」という状態。
ネコ師匠を見ていれば分かる。ゆるんでいないと瞬時に動けない。
いくら思い切りハンマーで叩いても薪は割れないのと同じだ。研いだ斤であれば、その重みだけでスパンと両断できる。 
無駄な力を抜けば抜くほど、エネルギーは「集中」する。私はそれを体感したのだ。

全力とは、すなわち集中力である。

多分!

全力というと、熱血漢のイメージがあるかもしれないが、実際には逆のような気がする。
全力状態の時は、心は鎮まり、視野も広い。
「頑張って集中する!」とかもいらない。
「全力で仕事します」と魔法の呪文を唱え、全身の力を抜いてゆるめば、「勝手に集中する」のだ。あとはただ、事を成せばいい。

世紀の発見ではなかろうか?



氣が付けば、「メンドクサイ」も「ダルイ」も消えていた。
思えば、それは「便秘」のお知らせだったのだと今は思うのである。
仕事に限らず、私はいつしか「まぁ、このくらいで」という力の出し方が癖付いてしまっていたようだ。
「出し切る」ということをいつしか忘れていたのだ。
もちろん、これはあくまで私のケースなので、例によって当局は一切関知しない。ここまで力説しておいてなんだけど。

こうして私の全力ウィークリーは終了したわけなのだが、完全に後戻り出来なくなってしまった。
全力ライフラリーに移行する。
その先にあるのは、多分これだと思う。

我が生涯に一片の悔いなし

私はこれが言えるのは特別な人なのだろうと思っていた。
しかし、ラオウは全てが上手くいったわけではない。
ただ、「出し切った」のだと思うのだ。
だったら、私にも出来るかもしれない。

100パーセント全力を出し切るマン。
略して「100パーマン」に私はなりたいと思う。
全力で。

続きはまた次回。
出し切れなかったので。



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