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【百年ニュース】1922(大正11)年5月26日(金) 初代JR東日本社長,住田正二が誕生。父は鈴木商店船舶部で金子直吉の秘書を永らく務めた住田正一。東京帝大法学部在学中学徒出陣で朝鮮半島へ。戦後は運輸省。1978(昭和53)運輸事務次官。1987(昭和62)東日本旅客鉄道初代社長に。都営大江戸線実現にも奔走。

初代JR東日本社長となる住田正二すみた しょうじが兵庫県神戸市で誕生しました。

父、住田正一

父は鈴木商店船舶部で金子直吉の秘書を永らく務めた住田正一(1893-1968)です。1922(大正11)年当時の鈴木商店(本店は神戸)は、第一次世界大戦の反動不況により徐々に運転資金が圧迫されている状況でした。

鈴木商店本店跡地(神戸市中央区栄町通7丁目1−1)

1918(大正7)年に鈴木商店に入社した住田正一は船舶部を経て、すぐに鈴木商店の実質的な経営者である金子直吉(1866-1944)の秘書になりました。1924(大正13)年に巌松堂書店から出版された金子直吉の唯一の著書『経済野話』は、住田正一が東京ステーションホテル20号室で金子の口述をまとめたものです。

兄、住田俊一

さて住田正一には二人の息子がいました。長男の住田俊一(1921-1996)は東北帝国大学を卒業したのち運輸省に入省し、航空局在任時には航空法や日航法の立案に携わりました。そして船舶局長で退官し、のち日本旅行業協会会長も務めています。住田家は運輸一家と言ってもいいでしょう。

住田正二

次男の住田正二(1922-2017)は東京帝大法学部に進みますが、1943(昭和18)に学徒出陣で朝鮮半島に出征しました。復員後に大学を卒業すると、兄と同じ運輸省に入省し、若い時からエースとして順調にキャリアを重ねていきました。2年間の防衛庁出向、大臣官房長、鉄道監督局長などを歴任したのち、1978(昭和53)年に運輸事務次官に就任しました。

運輸事務次官になった住田正二

1981(昭和56)年に次期社長含みの常勤顧問として、当時ロッキード事件で揺れていた全日空に入社しますが、同社会長の若狭得治と対立し1年で退社しました。のち国鉄再建管理委員会の委員として国鉄分割民営化路線をリードしたほか、鈴木俊一都知事に請われ都営地下鉄12号線(大江戸線)の実現にも奔走しました。

全国初の環状地下鉄計画をまとめた住田正二さん

1987(昭和62)年に東日本旅客鉄道(JR東日本)の初代社長に就任。会社発足時に11万8,000人いた社員を、6年間で5万9,000人にスリム化するなど合理化を進めました。1993(昭和5)年に同社の会長に就任し、のち最高顧問、相談役と徐々に一線から退きました。2017(平成19)年死去。享年は95歳でした。

1987(昭和62)年4月1日に国鉄はJRに生まれ変わった
住田正二

今井善衛

元通産省の事務次官だった今井善衛いまい ぜんえい(1913-1996)は、城山三郎の小説『官僚たちの夏』に登場する官僚「玉木」のモデルとして知られています。今井は官界きっての囲碁の達人でもあり、代々木上原駅近くの石田芳夫(二十四世本因坊秀芳)道場に通っていたとのこと。

またどのような縁でこうなったのかは分かりませんが、今井善衛と住田正二は自宅が隣り合せでした。

1997(平成9)年ころの地図


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