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【百年ニュース】1921(大正10)6月11日(土) のちの参議院議員,楠正俊が東京で誕生。日本大学法文学部哲学科。戦中は海軍。復員後文部省大臣官房宗務課。1951(昭和26)退職し新日本宗教団体連合会(新宗連)結成に参加,のち事務局長となる。新宗連の組織推薦議員として自民党公認で参議院議員を3期務めた。

のちの参議院議員、楠正俊が東京府で誕生しました。日本大学法文学部哲学科を繰上げ卒業し、第二次世界大戦では海軍に従軍しました。復員後は文部省の大臣官房宗務課(しゅうむか)に勤務しますが、1951(昭和26)の新日本宗教団体連合会(新宗連)結成に際して文部省を辞職し、立ち上げに参加しました。のち楠は新宗連の事務局長となりました。そして1965(昭和40)年、新宗連の組織推薦議員として自民党公認の参議院選挙の全国区に出馬し当選、議員を3期務めました。

自民党内ではタカ派で知られ、1973(昭和48)には玉置和郎、藤尾正行とともに断交後の台湾を訪問した親台派でもあります。同年の自民党タカ派政策集団の青嵐会の立ち上げにも参加しています。青嵐会は、石原慎太郎が幹事長、中川一郎、渡辺美智雄が代表世話人、浜田幸一が事務局長でした。さらに同年11月の第2次田中角栄改造内閣では通商産業政務次官となりましたが、1983(昭和58)年の第13回参議院議員選挙で落選し引退しました。2007(平成19)没、享年は86歳でした。

Youtubeに1971(昭和46)年の参議院選挙の選挙活動のニュース映像があり、そこに楠正俊も映っていました。中日ニュースの「タレント候補の泣き笑い」というものです。落語家の立川談志や、放送作家の野末陳平らが当選した選挙になります。リンクを貼っておきます。

この1971年の参議院選挙では、タレント政治家が多く当選しています。社会党から社会党からはニュースキャスターの田英夫、さらに女優の望月優子、自民党からは歌手の安西愛子、無所属からは落語家の立川談志、さらに放送作家・テレビタレントの野末陳平と当選が続きました。またちいちいさんご指摘の、日本指圧協会元会長、「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く。」で有名な浪越徳治郎は無所属で全国区に立候補しましたが落選しました。

さて楠正俊の支持団体であった新宗連、新日本宗教団体連合会ですが、首都高代々木インターチェンジ「代々木出入り口」の近くに本部ビルを構えている団体で、加盟教団がそれぞれの立場を保ったまま参加している超宗派的な組織とされています。理事長も各教団のトップリーダーが務め、初代の新宗連理事長が、パーフェクト リバティー教団の御木徳近(みき・とくちか)、2代が立正佼成会の庭野 日敬(にわの・にっきょう)、3代が松緑神道大和山(しょうろくしんとう・やまとやま)の田澤康三郎、4代が円応教(えんのうきょう)の深田充啓(ふかた・みつひろ)、5代が立正佼成会の庭野日鑛(にわの・にちこう)、6代が解脱会(げだつかい)の岡野聖法(おかの・せいほう)、7代が大和教団(たいわきょうだん)の保積秀胤(ほずみ・ひでたね )、 そして現在の第8代理事長は崇教眞光(すうきょうまひかり)の岡田 晃弥(おかだ・こうや)とのことです。

なお湊川神社の「楠公同族会」は1935(昭和10)楠正成没後600年を期に結成されましたが、その初代会長は満州太郎ことアラビア石油社長の山下太郎、続く2代目の会長がこちら参議院議員の楠正俊でした。

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自民党の友好団体は、2016年1月現在、523を数える。自民党はこれを各種団体協議会に組織化し、団体総局の15の関係団体委員会ごとにグループ化している。(中略)

ただし、宗教団体は例外扱いであり、各種団体協議会には入らず、関係団体委員会の社会教育・宗教団体委員会が個別に対応している。自民党は、日本宗教連盟(日宗連)に加盟する連合体のうち、日本キリスト教連合会を除く、教派神道連合会、全日本仏教会、神社本庁、新日本宗教団体連合会(新宗連)と協議を行うほか、いずれにも加入していない霊友会、世界救世教、仏所護念会教団などを含め、各教団とも話し合いの場を持っている。

中北浩爾『自民党―「一強」の実像 』中公新書,2017,183-184頁

宗教団体の集票力を測ることは、容易ではない。業界団体も、日本医師会のように組織の内部から候補者を擁立しているケースを含め、単独で選挙運動を行っているわけではないが、とりわけ宗教団体は、得票数を通じて自らの組織力が明らかになることを避けるため、他の団体や教団と相乗り的に支援したり、著名人を推したりする傾向が強い。しかし、宗教団体が中心となって支援した候補者を見ると、やはり集票力が大幅に低下していることを読み取ることができる。

例えば、与野党伯仲などを背景として、自民党による宗教票の動員が目立った1977年の参院選の全国区では、生長の家が全面的に支援し、神社本庁の政治団体である神道政治連盟の一部が推す玉置和郎が111万票あまりを獲得した。また、立正佼成会を中心とする新宗連の事務局長を務めた楠正俊も、104万票強を得ている。それに対して2013年の参院選の比例区で、神道政治連盟や仏所護念会教団などが支援した有村治子は、19万票あまりにとどまった。

その原因のひとつは、有力な宗教団体の自民党離れである。すなわち、生長の家は、1983年に「生長の家政治連合」の活動を停止し、政治から手を引いていった。また、立正佼成会を中心とする新宗連も、1999年に自民党が創価学会を支持母体とする公明党との連立に踏み切ると、それに反発し、参院選の比例区などで主に民主党候補を支援するようになった。立正佼成会は少しずつ自民党との距離を縮めているようであるが、自公連立の余波は未だ払拭されていない。

中北浩爾『自民党―「一強」の実像 』中公新書,2017,209-210頁

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石原慎太郎

中川一郎

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藤尾正行


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