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【百年ニュース】1920(大正9)6月2日(水)上海の孫文に大阪朝日新聞記者神田正雄がインタビュー。当時の中国は南北に分裂中。南方政府(広東軍政府)は1918(大正7)5月に軍政府組織大綱を修正。孫文は大元帥を辞して一総裁となり、独裁制から総裁7人の合議制に改めた。改組直後に孫文は上海に居を移す。

広東軍政府(護法軍政府=南方政府)は元々革命派・軍閥・清末官僚の寄合所帯。7総裁(孫文・唐紹儀・伍廷芳・唐継尭・岑春煊・陸栄廷・唐継堯・林葆懌)のうち清末官僚の岑春煊が1918(大正7)8月桂軍(新広西軍)の支持を得て首席総裁となり政府の主導権を握る。孫文ら革命派とは徐々に対立を深めた。

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