見出し画像

【百年ニュース】1921(大正10)8月15日(月) 外務省情報局の初代局長に伊集院彦吉が就任。前年官制によらず非公式に設置された組織が正式な部局となった。日本の国内事情を外国に向けに発信する,対外宣伝専門部局である。パリ講和会議を通じて国際広報の重要性が認識された。現在の外務報道官に当たる。

画像6

外務省情報局の初代局長に伊集院彦吉が就任しました。前年の1920(大正9)年の4月に官制によらない形、すなわち非公式な形で「情報部」という名前で前身の組織が設置されました。非公式組織なので政府の予算の裏付けがなかったのですが、このたび正式な部局として、官制によって情報局となりました。

日本の国内事情を外国に向けに発信する,いわゆる対外宣伝専門部局です。1919年のパリ講和会議を通じて、広報の重要性が認識されたのが設置の理由です。現在の外務省で言えば、外務報道官に当たるのが情報局です。

情報というと、いわゆるインテリジェンス、情報の収集や分析をイメージしがちですが、この部局はあくまでも宣伝、広報、いわば外国向けのプロパガンダをつかさどる機関です。外務省の情報局は対内広報、日本国内向けの宣伝活動も多少はやることになりましが、あくまでも二義的なものでした。むしろ陸軍のほうが、こちらの方面、すなわち日本国内向けのプロパガンダには力を入れていました。1919年に、やはり官制外の非公式組織として情報係をもうけ、翌年には新聞班と名前を変えました。当時はシベリア出兵に対する日本国内の批判が高まりつつある時期だったので、それに対する宣伝工作を担う組織として発足したものです。

画像5

さて初代情報局長となった伊集院彦吉は明治から大正期にかけての著名な外交官です。1864(元治元)年、薩摩藩士の伊集院吉次の長男として生まれ、1890(明治23)年に東京帝大政治学科を卒業するとにすぐ外務省に入省。同期には石井菊次郎がいます。伊集院彦吉の妻である芳子は、大久保利通の長女になります。伊集院は清国公使,イタリア特命全権大使,関東庁長官,外務大臣(第2次山本権兵衛内閣)を歴任しました。1924(大正13)没。享年は59歳でした。

伊集院彦吉 (2)

画像2

伊集院彦吉 (3)

画像4


よろしければサポートをお願いします。100円、500円、1,000円、任意のなかからお選び頂けます。いただいたお金は全額、100年前の研究のための書籍購入に使わせていただきます。サポートはnoteにユーザー登録していない方でも可能です。ありがとうございます。