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【百年ニュース】1921(大正10)5月16日(月) 第1回東方会議(植民地会議)開催。5日間に渡り東アジア外交に関連する外務,陸軍,海軍の責任者を集め開催。原敬首相と田中義一陸相が進めるシベリア撤兵の実行を決定。シベリア出兵は政府が軍部を従わせ撤兵に成功した戦前最後の戦争。

第1回東方会議が開催されました。当時は植民地会議とも呼ばれていました。5日間にわたって東アジア外交に関連する外務・陸軍・海軍の責任者を集め開催され、原敬首相と田中義一陸相が進めるシベリア撤兵方針の推進を決定しました。シベリア出兵は政府が軍部を従わせ撤兵に成功した戦前最後の戦争となりました。

(4月8日条)田中(*義一)陸相転地先より師団長会議にて帰京[*中略]シベリア問題につきこれも好機を捉えて撤兵を得策とす(樺太は別問題なり)と言うにつき,余は今はすでに対露方針を講ずべき時期と思うにつき,これを講究するを要すと言いたり。また余よりシベリア,満州,朝鮮等,すべて一定の方針を取らざるべからずと思うにつき,来月15日を期し,各地軍司令官および総督,領事らを東京に召集,相談しては如何と思う。このごとき会合は毎年1,2回は必要のことにて大小の政策,これより割り出しの必要ありと言いたれば,田中は,山東問題もあるにつき,青島司令官をも召集しては如何と言い,また内田(*康哉)外相は小幡(*酉吉)公使を召集することも可ならんと言うにつき,余はみな同意を表し各方面政策一定のため会議を開くこととなしたり。

原奎一郎編『原敬日記 第五巻 首相時代』福村出版,1981年,371頁 〔*は引用者註〕
(5月16日条)かねて召集しおきたる新領地長官等すなわち斎藤(*実)朝鮮総督,水野(*錬太郎)政務総監,大庭(*二郎)朝鮮軍司令官,山県(*伊三郎)関東長官,河合(*操)関東軍司令官,由比(*光衛)青島軍司令官,立花(*小一郎)シベリア軍司令官および小幡駐支公使,赤塚(*正助)奉天総領事に内閣員一同会合して会議を開き,余よりこの会議を開きたる趣旨を述べ,而してウラジオ軍および山東軍の撤兵を政府において決定したりと告げ,その条件手段等をも示し,また関係者の意見を聞きたり。山東より撤退青島に集中のことについては由比賛成,またウラジオ軍撤退については立花,河合多少後事の心配ありしも,政府の方針はすでに決定せしにつき,その手段等において陳述したり。また朝鮮国境警固については憲兵をもってせず巡査をもってし,なお必要の場合には何時にても兵を派することとして駐兵の配置を変更する必要を大庭ならび斎藤より陳述したり。

原奎一郎編『原敬日記 第五巻 首相時代』福村出版,1981年,387頁 〔*は引用者註〕

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