【百年ニュース】1922(大正11)年1月19日(木) 釧路郵便局逓送人の吉良平治郎が殉職。享年35。暴風雪のなか釧路局と昆布森局の間の郵便物17㎏を逓送中に遭難した。着用していたマントを脱いで郵便物を包み雪中に埋めた状態で発見された。のち戦時下において滅私奉公の象徴として紹介され全国的に有名に。
釧路郵便局逓送人の吉良平治郎が殉職しました。享年は35歳でした。暴風雪のなか釧路局と昆布森局の間の郵便物17㎏を逓送中に遭難しました。着用していたマントを脱いで郵便物を包み雪中に埋めた状態で発見されました。のち戦時下において滅私奉公の象徴として紹介され全国的に有名になりました。
1886(明治19)2月3日、吉良平治郎は釧路の桂恋コタンで生まれました。父はヌサシベ(和名:縫治)、母はマツツル(和名:ミツ)といい、アイヌ人でした。炭焼きや薪割などをして育ち、生活は貧しくはありましたが、無口で実直な働き者でありました。その性格が買われ、昆布森郵便局の臨時逓送人に採用されましたが、不幸な事故で命を落としました。
命懸けで職責を全うした吉良の行いは日本全国に報道され、1933(昭和5)年には高等小学校修身教科書に「責任」という題目で吉良の逸話が掲載されました。
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