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【百年ニュース】1921(大正10)9月24日(土) 新任の米国大使チャールズ・ウォーレンが皇居牡丹間で天皇代理,皇太子裕仁親王に信任状を捧呈。随員18名とその夫人も含め計28名が宮中参殿。儀装馬車11両。前例のない多数が参内する国書捧呈式となった。米国大使団の迎引は式部官の渡辺直達(松平直克次男)。

新任の駐日本米国特命全権大使チャールズ・ウォーレン(Charles Beecher Warren)の信任状捧呈式が行われました。皇居の牡丹の間で病気療養中の大正天皇に代わり、皇太子裕仁親王が信任状を受け取りました。

信任状捧呈式とは、新任の外国の特命全権大使が君主からの信任状を赴任国の君主、すなわち日本の場合は天皇になりますが、こちらに捧呈・提出する儀式のことです。天皇に直接信任状を手渡し、日本では外務大臣または他の国務大臣がつき従って立つこととされています。この際、大使の一行の皇居への送迎に関しては、大使の希望によりまして、皇室用の自動車か儀装馬車が提供されています。戦前もそうですが、現在でも同様に行われています。

外国大使には様々な外交特権が認められていますので、このような信任状の捧呈式を行い、正式に受理されたことをもって、特権的な赴任国での外交活動が開始されるとされています。また同時に前任者の解任状も捧呈されることが通例です。新任の大使が信任状と共に前任者の解任状を捧呈するのが慣例となっています。

さて百年前の今日行われた米国大使チャールズ・ウォーレンの信任状捧呈式ですが、非常に異例なものでありました。

チャールズ・ビーチャー・ウォーレン

チャールズ・ウォーレンは、1870年4月10日ミシガン州ベイシティで誕生しました。日本に赴任した当時は51歳です。地元ミシガン州の有力な共和党員であり、第一次世界大戦では米国陸軍の法務官をつとめ、大佐で退官しています。古参の共和党員であること以外目立つ経歴がない時点で、駐日本大使に抜擢されること自体が異例な人物でありました。

このウォーレン大使の信任状捧呈式ですが、大使側のリクエストによって、随員が18名、さらにその夫人も含め計28名が宮中に参殿するという大規模な訪問団となりました。日本側が用意した儀装馬車は11両。もちろん前例のないものでした。皇居内において大正天皇に代わり貞明皇后が主催するランチ会も催されました。

なおこの米国大使一行を米国大使館から皇居に迎える責任者として派遣されたのが式部官の渡辺直達なおたつです。出発前のアメリカ大使館玄関で撮影された写真がありましたので貼り付けておきます。渡辺直達なおたつは、川越藩第7代藩主、のち前橋藩主ともなった伯爵の松平直克なおかつの次男として、1872(明治5)年に誕生しました。宮内官僚となったのち欧州に2年間派遣され現地の儀式を研究、1911(明治44)年英国皇帝ジョージ5世の戴冠式にも出席していました。外国語にも堪能でこのような場面で活躍した人物でした。

渡辺直達

当時の日米関係は米国ウィルソン大統領の理念外交に代わって登場した、現実的なハーディング大統領のもと、まもなく2か月後の11月からワシントン会議が開催されるというタイミングでした。2年前のパリ講和会議では、山東問題などを巡って、米国のウィルソン大統領と中国外交団が結託し、日本が孤立するという苦い経験をしていました。その教訓から日本は原敬首相の強い意向によって、ワシントン会議の全権代表のひとりに幣原喜重郎駐米大使が指名され、対米協調が模索されていた時期でした。

そのような情勢もあったのでしょう。新任のチャールズ・ウォーレン駐日大使の信任状捧呈式に関しても、全力で希望を叶えようと努力をしていたように見えます。

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