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ケルト人と謎の古代人スキタイ(2)

「ナルト叙事詩」はコーカサス山脈起源の物語群です。
ウィキペディアによると、「ナルト叙事詩は、この地域の民族の神話基盤を形成しており、あるものは単純な物語だが、創造神話や古代神学に匹敵する価値を有するものもある。」
と出ています。ナルト叙事詩の最大の英雄バトラズは、ナルトとして知られる戦士団の首領であり、アーサー王と同様、魔法の剣を持っています。
そもそもナルトとは、叙事詩の中では、巨人の種族として描かれており、ナルト叙事詩の中のいくつかのモチーフはギリシャ神話とも共通しているとされていますが、この点においても後ほど考察してみたいと思います。
アーサー王伝説とナルト叙事詩に類似したエピソードの代表的なものは、父親を他のナルト達に殺されたバトラズが復讐のため、多くのナルトを殺害するが、後に後悔の念に駆られ、生き残ったナルトの戦士たちにバトラズの剣を海に投げ入れるように命じます。しかし、ナルトたちは剣が大きすぎて投げ入れることができなかったため、バトラズに嘘の報告をします。バトラズは剣を海に投げ入れたら何が起こるか知っていたため、再度、命令通りにするように懇願します。剣を投げ入れると水は荒れくるい出し、鮮血色に変わったことをバトラズに報告すると彼は息を引き取り、ナルトたちの手で葬られます。

一方アーサー王伝説では、アーサーが死の直前に円卓の騎士の一人ベディビアに、湖にエクスカリバー(剣)を投げ込むよう指示しますが、剣のあまりの美しさに戸惑い、やはり同様に嘘の報告をしました。何の奇跡も起きていないことからアーサーはベディビアの嘘を見抜き、ベディヴィアは仕方なく湖に剣を投げ入れます。

これは、アーサー王伝説とナルト叙事詩のパラレルを示した一例にすぎませんが、本稿は一つ一つのパラレルの事象を紹介することを目的とはしていません。
二つの伝説に、なぜパラレル関係が起こるのかを追求することに重きを置いています。

かつて中央アジアでスキタイ同様、遊牧騎馬族として有名を馳せていたサルマティアのイアジュゲス族は、8千人の重騎兵をローマ軍団に重用されたことが、225年に書かれたディオ・カシウスの『ローマ史』に記載されています。さらにこのイアジュゲス族のうち5500人がブリテン島に送られ、500人ずつのグループに分けられ、ハドリアヌスの城壁沿いに配備されました。
このあたりの話は、2017年1月から開催された「落合莞爾塾第3期」の第1回目講義で、落合先生が「ワンワールド文明の成り立ちと日本民族の源流」で少し触れられており、正に落合莞爾塾第3期生の自分としては、原点に帰る気持ちでこの文章を書いております。

話しを戻し、さらにここで重要なことは、ハドリアヌス城壁に配備されたイアジュゲス族の最初の指揮官が、第6ウィクトリクス軍団の長官だった「ルキウス・アルトリウス・カストゥス」というローマ軍の将校であったことです。
実はこのアルトリウスは、アーサー王のモデルではないか、との学説があり、様々な説が唱えられているアーサー王伝説の一説となっているのです。

アーサーはウェールズ語でアルスール(Arthur)と呼ばれ、これはラテン語のアルトリウス(Artorius)をウェールズ風の綴りに直したものになります

余談ですが、人気アニメ「ヴィンランドサガ」の主要登場人物に「アシェラッド」という戦士が登場しますが、母親はウェールズの元王女で、自身のことをアルトリウス(アーサー王)の末裔であると称しており、本名をルキウス・アルトリウス・カストゥスと名乗っています。このアニメのネタ元が非常に気になります。

このあたりで、読者の方々が混乱するといけないので、少しスキタイについての真の姿を述べておきます。スキタイは深淵な戦略的思考と、極めて有能な少数精鋭の戦闘集団を形成し、文字を持たずに、戦争の火付けと火消し、所謂マッチポンプを行い、自らは積極的には表に姿を出さず、「潜入」というかたちで工作を行う謎の集団であるということです。

前回書いた(1)の中で、スキタイは「アッシリアの首都「ニネベ」の襲撃やウラルトゥ王国の破壊に積極的に参加した」、と述べました。さらに、アケメネス朝ペルシャの初代国王であるキュロス大王(2世)を討ち取った「女王トミュリス」というマッサゲタイ人がいますが、ヘロドトスの『歴史』によると、マッサゲタイ人はスキタイ人と同種、との記載があります。
そのため以下に記載する内容は前提として、トミュリスをスキタイと見做した場合の説になるのですが、トミュリスは幼少の頃、王であった父のスパルガピセスを同族に殺され、逃亡中にサルマティア人に保護されます。サルマティア人の保護のもと、たくましく成長したトミュリスは、最終的にはキュロス大王を討ち取るのですが、このあたりの故事がマッチポンプ的に僕には映ったのです。その理由は、キュロス大王が討ち取られた時点で、すでに一部の統治権が譲渡されており、皇太子であるカンビュセス2世への政権移譲は滞りなく行われていたからでした。カンビュセス2世は、紀元前525年に、残る大国であるエジプトを征服し、オリエントに広大な統一帝国を誕生させています。
要は、完全な形でカンビュセス2世に政権移譲を行わせるために、前国王派の古参をまとめて葬ったのではないかと推察されます。

このスキタイは、東方にも遠征しており、朝鮮半島や日本にも出没しております。そしてほとんど自らの名前では痕跡を残さない恐るべき有能な族種であるということです。
このあたりで察しがつくと思いますが、落合史観でいうところの「國體」そのものと言えます。
特に朝鮮半島での痕跡は潜入時のもので、明らかなものがたくさん出てきておりますので、後に述べたいと思います。


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