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2023年3月13日の違和感

本日、2023年3月13日をもって、政府(厚生労働省)は、マスクの着用に関して「個人の判断に委ねることを基本とする」としました。

いわゆるコロナ禍になり、子どもからお年寄りまで、誰もがマスクを着用するのが当たり前になっていました。
振り返ると3年前の今頃、学校は突然の長期休校に入りました。
芸能人の方がコロナで亡くなるなどして、その恐ろしさに怯えたものです。
そして、コロナの感染予防を目的としたマスクの着用が当たり前になっていきました。

コロナ対策にマスクの着用が有効かどうかはさて置いて、この3年間、マスクの着用は「マナー」になっていたように思います。
「第○波」というものが繰り返され、コロナが落ち着いていた時期もありましたが、それでも、そんな時期でも、マスクを着用しない人は白い目で見られていました。

前記した、学校が休みになったり芸能人の方が亡くなったりした頃の新型コロナウィルスと、現在のウィルスとは性質が異なるようで、現在のコロナウィルスに感染しても、重症化したり死亡する例は少なくなっているようです。

かくいう僕も、昨年の2月にコロナに感染しました。
僕は喘息の持病があり、「基礎疾患持ち」に該当しましたが、ひどい症状には至りませんでした。
検査を受けた日と、その翌日は発熱しましたが、他の症状は特に無く、熱もそれ以降は出ませんでした。
コロナの症状に苦しむのではなく、10日間、自宅の一室に隔離され、何をするでもなくボーッと過ごす方が苦痛でした。

その後、昨年のうちに家族全員がコロナに感染しましたが、やはり軽い症状で済みました。

もちろん、今もってコロナで入院される方、亡くなる方もいらっしゃるので、「コロナなんて大したものじゃない」と言う気はありませんが、風邪で入院される方、亡くなる方もいることを思えば、もうコロナをそこまで怖いものと思う必要もないのでしょう。

そんな空気が日本の社会に流れ、コロナ禍は落ち着いた状況にあります。
そして今日の「マスク解禁」により、日本でのコロナ禍は終結したのかもしれません。

コロナ禍で、多種多様に大変な思いをされた方が、たくさんいらっしゃると思います。
その大変な思いを、もうしなくて良くなるのかと考えると、2023年3月13日はおめでたい記念日と言えるのかもしれません。

ですが、僕はなんともいえない違和感を覚えています。

僕はアレルギー性の鼻炎持ちでもあり、またメガネも着けているので、マスクは息苦しかったり、メガネが曇ったりで、できることなら着用したくありませんでした。
なので、昨年の秋くらいからでしょうか、一人で外を歩いているときにはマスクを外していました(人と会うときやお店に入るときなどは着用していました)。

昨日のことです。

仕事を終え、上着のポケットにマスクを入れて、夕食の材料を買いに一人、スーパーへ自転車で行きました。
そして、いつものように、スーパーへ入る前に、マスクを着けました。

買い物を終え、エントランスへ向かおうと1階行きのエスカレーターに乗っているとき、僕はマスクを外しました。
あ、でもまだか。
ちょっと早いか。
マスクを外すのは、店を出てからにしなくちゃな。
そう思いました。

こういうことをするのも今日までかあ。
明日からは、マスク無しで店に入ってもいいんだよな。

…ん?

ちょっと待てよ。

3月12日と3月13日で、コロナの何が変わるんだ?

今日はマスクを着けなくちゃいけないけど、明日からは着けなくていい。
国が決めたことだけど、これって別に法律じゃないよね?
マスクを着けないと逮捕されるってわけじゃなかったよね?

ちょっと調べてみたのですが、厚生労働省は「これまでは、季節を問わず、屋外ではマスクの着用は原則不要。屋内では、距離が確保でき、会話をほとんどしない場合を除き、マスクの着用をお願いします」としてきたそうです。

知らんかった…。

いや、だって、外を歩いている方々のほぼ100%がマスクを着けていらっしゃいましたよ。
あきらかにお一人で、スーパーやコンビニで買い物をされている方々も然りです。

屋外でマスクを着けないことに少なからず罪悪感を感じていた僕ですが、そんな罪悪感は不要だったんです。
スーパーやコンビニではマスクを着けていましたが、一人で買い物をする際にはほとんど会話をしません(会話をする相手がいません)。ってことは、昨日のスーパーでの僕も、マスクを着けなくてよかったんです。

もっというと、厚生労働省は「義務」ではなく「お願い」としていたわけなので、別にお願いを聞く必要もなかったわけです。

で、今日からは「個人の判断に委ねる」。
政府からのお達しにより。

コロナを怖がろうが怖がるまいが、個人の自由。
マスクの着用も、そもそも個人の自由。
のはず。

それをなぜ、国にいちいち指示をされなければならないのか。
しかも、「お願い」という、強制力の無い指示を。
(マスクの着用を「マナー」と感じていたのも、僕のモラルによるものなどではなく、国が創出する”空気感”によるものだったように思います)

大げさかもしれません。
ただ、(もちろんリアルでは知りませんが)戦時中の日本社会と、現代もさほど変わっていないのかな、と僕は思いました。
なんだかんだ言って、国の言いなりになっている。
それが日本人なのかな、と。

今日は自宅から事務所まで自転車で来て、「他人」をまだ一人も見ていません。
仕事が終わったら、スーパーに行く予定です。
はたして、お客さんたちはマスクを着けているのか。今日からは着けていないのか。

ちなみに、僕の子どもは今朝、しっかりマスクを着けて学校に行きました。
「もう今日からはマスクしなくていいんだよ」と僕は言いましたが。
「僕はするの」と息子は返答しました。

うん、それでいいんだよ。



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