見出し画像

音を楽しむ天才からの招待状 ~初来日公演のトム・ミッシュに駆らされた衝動~

※rockin'onのウェブサイトにあったコンテンツ『音楽文』が2022年3月末を以てサービス終了してしまう為に、かつて書いた自身の音楽文を保存用にこちらに掲載します。

画像1

【本文はこちらから↓↓↓】

学生の頃は毎年のように季節問わずフェスに行き、洋・邦問わず単独のアーティストのライヴや、果ては新たな音楽との出会いを求めて下北沢界隈のライヴハウスを回ったりとどっぷりと音楽に浸かっていた日々。今も音楽は好きだし、毎日のように聴いてはいるけれど、年齢を重ねるに連れ、仕事のこと、生活のこと、家庭のこと、その他諸々も含め考えたり、こなしたりしなければならないことが増えると、悲しいかな、音楽に対するプライオリティは自然と下がって、同時にその音楽のリアルな体験となるライヴの場に足を運ぶことからも遠ざかっていた。

そんな自分が彼の単独公演の情報を手にした時、それまでの自分の中の音楽に対する序列が一瞬で覆り、あの十数年前の若い頃の感覚と記憶を呼び起こすように、すぐにチケットを購入していた。東京公演のチケットは程なくしてソールドアウト。大阪公演もほぼ満員だったようだ。

彼の名は、「トム・ミッシュ」。
ロンドンが生んだ天才ソングライター、トラックメイカー、そんな肩書きを耳にしたのは後になってからのことだったが、彼の曲を一聴しただけでその流麗さと心地よさに心奪われ、同時に落ち着きと安心感を感じるような、こんな素敵な、素晴らしい曲を書き、奏でるアーティストをこの目で観たいと思わせてくれた。

2019年5月27日(月)。平日だが何とか仕事を早めに切り上げ、新木場スタジオコーストへ向かう。数週間前までは5月だというのに暑い日が多かったが、この日は夕方になるにつれ少し落ち着いた空気で、新木場周辺は海の近くということもあり、少し冷たさを持った海風が吹いていた。

スタジオコーストに着くと、既に入場待ちの列ができ整理番号順に入場が開始されていた。トムの音楽性からか、ライヴに来ている人たちも老若男女問わず、且つユニークでファッショナブル、そんな人たちが多かったように思う。

定刻を過ぎて、5分くらい経った頃か、オープニングアクトの「Kan Sano」が登場。スリーピース体制でキーボードにKan Sano、サポートにベースとドラムというミニマルなセット。初めて観る、そして聴くアクトだったが一聴で惹きつけられた。曲の展開も構成もユニークなのだが、美しい余韻を残す。さらにKan Sanoのマルチプレーヤーぶりに驚かされ、キーボード主体でスタートした後は、ベース、さらにはドラムとそこにあるすべてのセットを見事に一通りこなしていった。これにはトムを観に来たオーディエンスも大喝采だったし、その音楽性も通ずるものがある最高のオープニングアクトだったと思う。場の空気を暖め、そのままトムにバトンを渡すように駆け抜けていった。

そして、Kan Sanoからセットチェンジをし、時計の針が20時を指す頃、場内が暗転。いよいよお目当てのトム・ミッシュが登場。これまで過去に様々なアーティストのライヴを観てきたが、トムのセットは今まで観てきたいわゆるスリーピースやフォーピースのバンドセットとは異なっており、ギター、ベース、ドラム、キーボードの他に、エフェクト的な音も含めた専門のパーカッション、セカンドギタリストが奏でるヴァイオリンやゲスト参加となったサックスと、そのセットを見ただけでこれからこのステージでどんな音楽が奏でられていくのだろうと期待感で胸が高鳴った。

実際に、ステージが始まりトムが歌い始めると、紛れもなく(もちろん、そうであるのは言うまでもないが)トム・ミッシュの歌であり、音であり、あのチケットを即座に購入しようとした衝動に駆らされた彼の曲が繰り広げられ、フロアーも熱を帯びていく。音源で聴いている際は、Kan Sanoのセットのように非常にミニマルな感じで展開している曲なのだろうと考えていたが、実際のライヴでは先程出てきたセットにおいて幾重にも音と音が重ね合わされてトムの曲が成り立っているということを確認できたことは新鮮な驚きであった。それは通常の編成に加え、その他に居るパーカッションやヴァイオリン、サックスなどが奏でている音であり、トムはアルバムに詰め込んだ音の宝箱をそのまま、ここ日本において同じ様に開きオーディエンスを魅了してくれた。彼のライヴにおける元々の楽曲の中のひとつひとつの音にかける情熱と、その再現性を目の当たりにして、ただただ舌を巻く外なかった。

彼の音楽を耳にした瞬間、この公演のチケットを購入しよう、この人の奏でる音楽を観てみたい、というその衝動ははたして何から生み出されたものなのか。その答えはこの日のトムのステージが物語っていたと言っても過言ではなかった。

それは、音楽の本質、すなわち彼自身が「音を楽し」んでおり、それがフロアー全体にも波及し音楽のユートピアのような空間を作り上げていた(実際、トムは実に楽しそうにギターを奏でながらペンギンのようにステージ上を所狭しと歩き回っていた)。月並みな表現ではあるが、よくいう「人を幸せにするには、まず自分が幸せでなければ~」という感覚にも通ずる部分があるが、トムの発するポジティブなヴァイヴスは間違いなく音源からも我々の耳に届いていたし、それを実体験として感じられたこの日のステージは、あの日感じた衝動が間違いのない感覚であったことを証明してくれた。

この日のスタジオコーストはソールドアウト、大阪もほぼ満員というような状況を踏まえると、今後トムをこのレベルのヴェニューで観られることは難しいのかもしれない。そういう意味でも初来日でもあり、この貴重な公演を自分自身久方振りの「音楽の現場」としてその場に居られたことはとても幸せな時間であった。トム・ミッシュという「音を楽しむ天才」はきっとこれからも世界を驚かせるような良質の楽曲を作っていくだろうし、それを以て我々に楽しむという「音楽の本質」を感じさせてくれるだろう。それを楽しみに待ちたい(音に触れる以前に待つことすら楽しませるなんて凄すぎる)と思うし、次に私が感じたような「衝動」に駆られ、彼の音世界に足を踏み入れるのは、ここまでお付き合い頂いたあなたであってほしいと願うばかりです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?