だから私は優先席に座る
人前で話ができるようになるためにと、会社の朝会の時にみんなの前でスピーチをしなければならなかったので、小学生のころにあった話をすることにしました。
私が小学生高学年の時のこと、近くのスーパーで買い物をしていると背中が折れ曲がったおばあさんが山積みにされていたカップ麺を取ろうとしていました。
しかし、おばあさんは背中が曲がっているので高く積みあがったカップ麺を取ることができずに困っている様子でした。
私は、何の気なしにおばあさんに近づき、上の方からカップ麺を取っておばあさんに渡してあげました。
おばあさんは少し驚いた顔をしていましたがそのままカップ麺を受け取って買い物の続きを始めました。
私は、一日一善と思いながら得意げに母におばあさんに優しいことをした話をしました。
すると母は私が思いもしなかった一言を言いました。
「それは本当に優しいことだったのか」
母がいうには、優しさには2種類あると言います。
ひとつは相手の願ったことをかなえてあげる簡単な優しさ
もうひとつは相手のことを思い、あえて相手につらいことをさせる厳しい優しさ
私が習い事に行きたくないとごねているときに願いのとおり休ませてあげることも優しさだけれども、将来のことを考えて大変だけどもあえて習い事に行かせることも優しさだと母は言いました。
そして、願いどおりにしてあげることは大勢の人ができることだけど、相手に嫌われるかもしれない厳しい優しさはほとんどできる人はいないと。
私は母の言葉に感銘を受けました。
確かに簡単な優しさは誰でもできる。
しかし、本当に相手を考えるのならあえて厳しいことをいう優しさもあるし、厳しい優しさの方が本当の優しさなのかもしれないと思いました。
そして、できることなら相手のことを考え、厳しい優しさを選択できるような大人になりたいと、私は思いました。
そんなことを考えながら、私は電車に乗り、たとえ目の前に年配の人が立っていたとしても
「私はあなたの足腰を鍛えるために、あえて席を譲らずに座っているのです」
と私は優しさを押し付けるのでした。
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