歴史と経済98〜可能性〜

未来について考える時、ワクワクしたい。
ワクワクする未来を作りたい。
そんな未来を創造するには、どうすれば良いのか。
まずは、可能性を見出すことではないだろうか。
フィリピン人からフィリピンについて話を聞いていたところ、フィリピンにはカジノが建設され、アメリカ人観光客が訪れているという風に教えてくれた。
(現在はコロナウィルスの影響があるだろうが・・・)

今後、日本も含めてアジア全体が少子高齢化に向かっていくことについてどう思うのか、尋ねてみた。
「たとえば、2050年のフィリピンに可能性を感じているか?」という大胆な質問である。
しかし、彼の答えは総じて明るく、前向きなものだった。
その受け答えを聞いて、東南アジアの経済発展はここからさらに続くのではないか。
そんな気がしたのである。
著名人の移住先としても、東南アジアは人気のイメージがある。

フィリピンは日本と同様の島国であるが、多様な文化が調和して発展してきている印象を受けた。
日本の影響も受けており、日本人の礼儀正しさとアニメの影響が大きいと語ってくれた。
こんなに嬉しい言葉もなかなかない。
「日本人はpoliteである」
国民性を褒めてもらえることは誇らしいものだ。


日本は昔と比べると、世界に対するプレゼンスは低下してきていると言えるだろう。
一方で、ジャパン・アズ・ナンバーワンを目指す必要性があるのかということも再考されるべきかもしれない。
日本の文化それ自体が、世界でもユニークさを放つものであり、無理に発展を目指す必要性があるのか。
世界基準の指標で測って、国柄を変えてまで発展を図るべきなのかは議論するべきだろう。
今や世界の発展の指向性も変わってきている。
人類は今後も発展を希求するに違いない。
しかし、それは右肩上がりの発展というよりは、広く豊かな、誰一人取り残さない「持続可能な発展」ということになるのではないか。
今や、グローバル化を背景に爆発的な成長を日本は期待できなくなっている。
そして、そのような方向性を目指すべきかを考えるために、これまでの歴史を振り返ってみると良いだろう。
日本の持ち物はそんなに貧相なものではない。
敗戦して、日本は漢字が廃止される可能性があった。
GHQの方針である。
戦後直後は、戦争をイメージさせる漢字の使用が忌避された。
当時の「あたらしい憲法のはなし」を見て、平仮名が多いことに違和感を感じた人も多くいることだろう。
これには、時代の風潮が作用していた。
湯川秀樹や志賀直哉も漢字廃止を支持していた。
日本人は文字文化の主要な構成要素の一つである漢字を失う可能性があった。
ローマ字使用であれば52文字でいいのだから、と。


1948年、史上最大の国語テストは行われたのだった。
平均点が70点を下回れば、漢字廃止。
なかなか厳しい条件に思えないだろうか。
敗戦直後の日本人にどれほどの学力があったのだろうか。


ところが、蓋を開けて見れば全国平均は78点。
漢字は守られることとなった。

この事実をどれほどの日本人が知っていることだろう。
そして、今思えばゾッとする話ではないだろうか。
アルファベットの使用が常態化すれば、日本の文化的本質が喪失されるのは免れないに違いない。
そうなれば、国柄も今とは違ったものになったのではないか。
だからこそ、当時の日本人のリテラシーの高さに感謝したくもなる。


国が傾きかけるほど、底力を発揮する。
特に、日本の歴史はそういう場面に何度か出くわす。
歴史的遺産をなぜ、残さないといけないのか。


時代の転換点においてその国の基盤となる「思想」や「その国らしさ」を象徴するものだからではないだろうか。
これを失ってはならない、今後も持ち続けなければならないというプライドが顔を出す瞬間だ。


日本の平成が「失われた30年」と溜め息まじりでよく語られる。
そして、今後の見通しについても少子高齢化などで暗いとされる。
しかし、過去を見ればこんなピンチはいくらでもあったと言えるだろう。
そして、必死に耐え、守ってきたものがあった。
その結果、日本は外国人が興味を持てるような豊かな文化を既に手にしているのだ。
未来を展望する前に、自国の価値を再認識する必要もあるだろう。


今でも、日本は新しい文化を発信し続ける土壌を持っているはずだ。
そこに日本の才能・頭脳が結集すれば、面白い未来が期待でき、希望がわく。
暗い話で終わってしまうのは、過去と向き合わず、未来を真剣に見つめていないからではないか。
何となくで、の世間の風潮に自分の意思を委ねてしまってはならない。
自分の頭で考え、判断していく。

何よりも私たちは、次の世代が生きるに値する未来を残す責任がある。
今、比較的豊かな社会で生活できているのは、やはり前の世代の遺産でもある。
将来の資源・資産を食い潰して、山積する課題を未来世代に背負わせてはならないだろう。

このことを重く受け止め、未来に対して前向きに考えていきたい。

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