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訳ありの出生

私は40うん年前の197〇年12月31日に栃木県宇都宮市で生まれた。

母は「未婚」で私を出産した。
父と母は不倫の末に妊娠し、駆け落ちした。
当時母には結婚を前提にお付き合いしている方がいたとか、
たまたま仕事に来ていた既婚者の父と出会ったことで、急展開してしまった。(親戚談)
しかしこれが私の人生の始まりであった。
かっこいいこと言っているが、不倫はご法度である。
父がしたこと、母がしたことは消して許されないことではある。
不倫をきれいに話するつもりは一切ないが、この世に生を受けさせてくれたことには、父にも母にも心から感謝している。
そして父は私のことを「認知」し、父の子どもとなった。
ただ、母の実家は栃木の田舎町。
このような出来事は田舎中で「騒ぎ」になった話。
(田舎あるある)

私は出生後、母と二人で父が仕事をしている拠点の近くであった、埼玉県A市に転居した。
A市は今でこそ住宅街であるが、かつてはニンジン畑、ブドウ園、豚小屋など田舎であった。
まだ出生間もない私は、いつも母と二人で過ごす。
雨戸もしめっきりで、赤ちゃんの泣き声も聞こえない、いるかいないかわからない生活をしていたのであった(幼馴染のママ談)
写真を見る限りふっくらしていたから、たぶん虐待はされてはいなかったとおもう。
1歳ぐらいになると、外の生活の写真も出てきている。
それまで、穴倉生活のように2人で暮らしていたのだと思う。


訳ありの出生ではあるが、「認知」をしてくれた父
世の中に認められない関係の中で出産を決めてくれた母
本当に感謝しています。

続く

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