帰省

この日記を更新するきっかけって毎度「さすがにずっと日記書いてなさすぎるな…」なんだけど、どう思う?もっとコンスタントに更新していきたいですね。精進。
とはいえ、これもまた毎度のことなんだけど書くことがない。
最近なにしてたっけ。前回の更新が3月頭なので、おおよそ5ヶ月ほど空いている。半年近く経っていてなにも書くことが無いってマジ?頑張って思い出すか…ウーン…どうにも…周目に晒すにはあまりにも…恥ずかしいことばかりが思い浮かぶ…が、それでも楽しいことはさまざまあったはずだ。なんだろう…仕事…お酒…二日酔い…仕事…やけ酒…今世紀最大級の二日酔い…
ギーーーーッ わたしは仕事酒二日酔いを無情に繰り返す肉人形です!!!!!!!!!!!

そういや二日酔いの酷さって毎回自己ベスト更新していくよね。ボジョレーの評価をイジるアレにも通ずるものがある。
仮にここ数日をざっと振り返って評すなら、

8/16 ここ数年で最悪の二日酔い
8/22 γ-GTPが50000あるような感覚
8/23 吐き気頭痛ともに酷く気が狂うレベルの二日酔い
8/27 史上類を見ない頭痛と関節痛

といったような感じか。もう二度とお酒なんて飲みません。

そういえば二日酔いで思い出した。先日帰郷した折、三姉妹のうち真ん中の妹が「過去一度も二日酔いを経験したことがない」とかなんとか言うてたので、お姉様が手ずから地獄を教えてやろうと思い至ったのである。
8/10、世間より少し早いお盆休みに突入しまして、旦那を伴い徳島へ向かっていた。今年は香川に住む両親と妹たちも、母の実家である徳島へ帰省するというので、それに合流しようという算段である。11時頃に大阪を発ち、道中前見えんぐらいの豪雨にぶち当たったりしながらのんびり運転して16時前には徳島のクソ田舎港町に着いた。
ちなみにわたしは前日の8/9、諸般の事情で完全に頭がおかしくなっていたため絶叫大号泣しながら深夜までお酒を飲み続けていた。そのせいで祖母宅に着いてもなお前日の酒が抜けておらずまあまあな二日酔いであった。クソ〜この最悪のデバフがよ。許せん。絶対妹よりわたしの方が酷い二日酔いなるやろこんなん。
我々の到着から少し遅れて両親妹たちも着いたようで、挨拶もそこそこに飲み会が始まる。わたしと母、祖母は台所にて飯の仕度ついでにビールを空け、男連中と妹二人は居間で談笑しつつ飲んでいたらしい。
ちなみにビール2ケース、チューハイ1パック、いいちこ1.8L、日本酒1升があったみたいだけど翌朝見たらビールとチューハイは完全になくなって、その他も半分ぐらいになっていた。まあ人数おるしそんなもんか。
飯の準備を終えて18時頃から本格的にみんなで飲みはじめる。だら〜っと飲み続け、日付が変わる頃にはもうみんな眠いということで、わたしと真ん中の妹だけで二次会をやる運びになった。いくら田舎の一軒家(延べ面積180㎡)とはいえ、宿泊人数が多いせいで騒げるような余剰の部屋などない。協議の結果、台所のシンク下に二人並んで座り込んでだらだらとやることに。さながら田舎コンビニたむろヤンキーだ。というか二人ともすっぴんメガネジャージになっていたので全然普通に台所たむろヤンキーやった。なんか知らんけど途中妹にチャミスル飲まされて最悪やったし。わたしを先に潰そうとするなよ。
午前1時頃にはビールもチューハイも底をついて、ぼちぼちウーロンハイなどを舐めつつ、妹の彼氏や元彼の話を聞いていた。身内の恋愛エピソードってめちゃくちゃおもろい。
ちなみに彼女の好きな男加点ポイントに「標準語であること」が入るらしいのだが、わたしはめちゃくちゃ標準語の男を死刑にしたいと思っているので、男の趣味悪!キショ!と大騒ぎし、その腐った性根と嗜好を叩き直してやった。悪即斬である。具体的にどうしたかというと、妹を拘束具の付いた椅子に繋ぎ、目を逸らせないように固定したうえで「標準語の男」を映した動画を数日にわたって見せ続けるという施術を行った。反射的に拒絶反応が出るところまでいけば成功である。偉大なるアンソニー・バージェス並びにスタンリー・キューブリック両名をリスペクトしての懲戒である。これは正義の名のもとに行われる、神聖な医療行為にほかならない。いやまあ嘘やけど。てかなんの話やっけ。
まあでもなんすかね、彼女とは七つ歳が離れているのですが、こうやって対等に話ができるような年齢になったんだなあと感慨深いところがあった。
恋愛話や将来の展望、メンタルヘルスエラーについての見解などさまざま打ち明けたり打ち明けたりられたりなどしつつ、「結局我々って気分屋激重ヒス女なんやな〜」の結論が出た頃には夜も明けて蝉が鳴き始めていた。蝉早起きすぎる。時刻にして朝5時頃だったように思う。朝焼けを見に、散歩へ出ることにした。缶のお酒は尽きていたので、スマホとアイコスだけ持って表へ。God knows…を歌いながら闇雲に西へ歩いていると、波音が聞こえはじめた。見れば正面に堤防っぽいものもある。
やべ〜〜〜これで海に着いちゃったらさすがに青春すぎん?!とハシャギながら駆け寄ると、マジで見事なぐらい砂浜やった。明け方の太平洋の水はまだ黒くて、潮の干いていないせいで波打ち際が近い。背後の山から朝日が差してくる。七つ歳下の妹と動画を撮り合いながら足を浸けたりしてひとしきり遊んだ。


↑テキストに「背後の山から朝日が差してくる」って書いたけど全然背後じゃなくない?ウケる


気がつくと6時を回っていて、さすがに疲れたし帰るか、ということに。帰宅後は互いに即寝だった。 

そのあと10時に「海行くぞ!!!!!」の一声で叩き起こされ、伯父、旦那、一番下の妹の三人でまた別の浜へ行って泳いだ。普通に台風が来ていて沖までは無理だったが、ギリギリ足のつかないあたりで遊んだ。デカい波に飲まれたりしながら。波って本当に『壁』ですよね。重いし厚い。津波や雪崩に巻き込まれると上下が分からなくなるというが、マジなんだろうな。ただの波でも脳の片隅に死がちらつく。だからこそなんか変な興奮を生むのかもしれないが。頭から波に飲まれる遊び、楽しいです。気づいたら2時間ぐらい没頭していた。むちゃくちゃだ。

結局「妹に二日酔いの地獄を教えてやる」という目的は果たせず、普通に楽しく過ごしただけになってしまった。まあでもね、相手を潰そうとする飲み方ってね、よくないから。それやるとたぶんわたしの方が酷い地獄に送り込まれることになるから。そもそもこっち迎え酒やし。ハンデあるし。今回はこのあたりで許してやる。

総括、楽しい帰省でした。珍しくわりと真面目に日記を書けたので嬉しい。
2年後ぐらいには妹も大阪に出てくる(上阪とかって言わないのか?(←調べたら言葉としてはあるらしい たぶん上阪って言葉使ったことある人間この世に一人もおらん じゃあなんであるんだ へんなの〜))らしいので、そうなったらまた飲みにいこな〜の約束を交わして帰阪(帰阪!これはよく使う)いたしました。おつかれさまでした。

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