見出し画像

少数派として生きると決めたら

突然ですが私は屋外でマスクをせずに生活しています。

2年前でしたら何変なこと言ってるんだと突っ込まれそうですが、今はマスクをしていない方が『変』になっていますからね。
私が変なおじさんです(笑)

でも、変なおじさんも周りの目とか気になりますよ。
人間だもの。

この話題は、いろんな意見も反論もあるとは思いますが、私自身一度まとめてnoteに書くことでこの話題に終止符をつけたいという思いがあり、あえてこのタイミングで書き記しておきます。

私はこの2年間、屋外では基本的にマスクをしていません。
室内で求められる場所(保育園や全国チェーンの飲食店など)や公共交通機関の密室空間ではマスクをするようにしています。

職場では、同僚の希望からマウスシールドのような透明口隠しをしています。接客業ですが、お客さんからのクレームは今の所ないです。


このご時世、このようなスタンスで生きることは、正直かなり肩身が狭いですし、いちいちマスクをつけたりはずしたりとめんどくさいです。

そんな人目が気になるならさっさとつけて楽になればいいのにとお考えになる方も多いかと思います。
でもできないんです。

去年1年間、たくさんの時間とお金(本やインターネットの有料コンテンツなど)を使いありとあらゆる情報を仕入れ自分なりに勉強してきました。
もともと勉強は得意ではなかったのですが、おかしなことはおかしいという純粋な熱意からとにかく情報収集ばかりしていました。

その結論は「自分はやっぱりいろいろ考えても、マスクをすることができない」ということでした。
ここで、科学的・心理学的に理由を説明することはやめておきます。(やってもうまくできないでしょうし)
とにかく集めた情報からはマスクをする理由が見つけられなかった。
だから信念に照らし合わせてマスクをすることができなかった。
それだけなんです。
いわゆるめんどくさい頑固人間。

その頑固さがあるのでしたら、図太い神経されているんじゃないですか?など思われるかもしれませんが、そんなこともないんですよ。
ドキドキ、イライラすることも多いです。

そのドキドキ、イライラの気持ちを整理してみると
1、恐れ
 純粋に他人からどう思われているのか?怒鳴られたり暴力を振るわれるのではないか?という恐れ。

2、不安
 私だけが他人と違うことに対する不安。集団に所属できていない不安感は海外に一人旅に出かけた時のような感覚に近いかも。
歩く病原菌、ウイルス発生装置に思われているのではないか?という不安もあります。

3、怒り
 こんなに意味がないというデータもあるのに、、、海外では抗議活動をしてマスクをつけない権利を主張しているのに、、、子供達にはデメリットの方が多いというデータがあるのに、、、、、なんでみんなは、、、、
なぜなぜなぜ、、、、
、、、、わかってもらえない怒り。

そんな気持ちで街を歩いていると、どうなるかというと、
眉間にシワがよって、人と目があうとガンをつけるか逆に伏し目がちになってしまう。
他人に優しくなれなくなってしまう。

あれ、これって自分が望んでいた世界だっけ?

こんな息苦しい世界がいやで、こんな嘘と不安と怒りに溢れた社会がいやでマスクをつけずに頑張ってきたのに、これでは自らそちらに近づいているのでは?とふと気がついたんです。

人間はエネルギー(波動、バイブス、オーラ)の発信機でもあり受信機でもあると考えています。
負のエネルギーを自ら発信していると外からますます負のエネルギーが集まってきて増幅してしまう。
恐怖や対立はどんどん増えて負のループに自分も加担してしまう。

じゃあどうするか?

少数派の生き方をすると決めたならば、
恐れ、不安、怒りのエネルギーを発信したくないのであれば、それと反対のエネルギーを発信しよう。

優しさのエネルギー。
安心と思いやりのエネルギー。

具体的には、人と接する時は口角をあげていつも笑顔を絶やさない。
マスクをしている人は周りの人たちのことを考えて、優しさからつけているんだと考える。
目の前の人に「ありがとうございます」と感謝を伝える。もしくはそう思いながら良いエネルギーを出すように心がける。
ノーマスクの人は変であぶない人だと思われないように、いつも以上に礼儀礼節身だしなみに気をつけて『感じのいい人』を目指す。

そんな良い感じの波動が出せるようになったら自分の周りだけでも優しい空間が作れるのではないだろうか?
それが理想論だとしても、少なくとも自分の心の中だけは平和が訪れる。
そう思いませんか。
そう思いませんよね…

でも私はそう決めたので、愛と優しさと覚悟を持って今を生きていこうと思います。
(6/45)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?