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すーさんのストーリー〜年収1000万円を捨てた男〜

こんにちは、すーさんです!

今回は僕が副業始めて2ヶ月で月利24万円達成するまでのストーリーをお伝えいたします。

僕は大学卒業してから8年ほど大手商社で働いていて、ボーナス含めると年収は1000万円。

不況の今の時代にしては、それなりにお金に余裕がありました。

でも、コロナ騒動をキッカケに自分の人生を見つめ直した時

「収入の柱が1つだけというのは結構リスクなんじゃないか?」

と真剣に考えるようになりました。

そこで出会った副業が、メルカリせどりです。

僕が本業と副業両方で武器にしているのは”時間効率

会社員をやりながらだと、使える時間は限られてくるものです。

でも正しい時間の使い方と正しい努力をすることで、初月から10万円以上の実績を出す事も出来ます。

僕の小さい頃からの経験を通して培ってきた”時間効率”ですので、ストーリーから少しでも何か役に立つことが伝わればなと思います。

それでは少し長くなりますが、僕のストーリーにお付き合いください!

クラスの中心人物でサッカー少年

僕が生まれたのは兵庫県。母親は専業主婦で父親はペンキ職人で兄弟が1人の4人家族です。

物心がついた頃からは猪名川町という田舎でずっと過ごしてきました。

幼稚園に行くためには歩いて1時間かかる。景色を見渡せばほぼ田んぼ。小学校は1クラス10人くらいという田舎っぷりでした(笑)

そんな中でも友達は多い方。とにかく活発で、6歳になってからはサッカーチームでひたすら体を動かしていました。

成績も優秀で、僕は常にクラスの中でも中心人物。生徒会に入っていたこともあり、とにかく目立つことは好きでしたね。

(小学生時代の写真)

中学校に入学してからも楽しい青春は続きます。

ずっと目立っていたので、よその学校からも名前を知られるようになって仲間はどんどん増えていきました。

僕の入学した中学は地元だと有名な強豪校で、一層に増して練習に励むようになりました。

普段は朝から晩までサッカー漬け。休日は遠征で忙しかったけれど、好きなことだったので充実していました。

一方で勉学事情。成績は小学生の頃よりは下がってきたものの、勉強自体はそんなに嫌いじゃありませんでした。

部活を引退後は受験勉強に力を入れ、希望した地元の高校に入学することになりました。

しかし、この先初めて人生の壁に当たることになります。

努力の経験+目に見える成果

高校生になると”目立つのが恥ずかしいな”という感情が芽生え、少しずつシャイになってしまいました。

なので高校からは引っ込み思案気味。あまり目立たないような学校生活を送ることに。

さらには辛かったのは人間関係です。

高校でもサッカー部に入部しましたが、先輩のいじりやいじめが不快でした。

女子にモテたり目立ちたいためか、先輩が人前で後輩を怒鳴りつけて、マウントで自己アピールするのが日常になっていました。

そんな歪んだ上下関係の文化を目の当たりにしたり、自分も対象になることが多くなっていきます。

先輩がとにかく嫌いになり、練習に行くのが辛くなり、サッカーも嫌いになり、学校に行くのも嫌いになりました。

結局、1年生の時にサッカー部を辞めることに。そこから先の学校生活は、かなり気の抜けた人間になってしまいました。

一番記憶に残っているのが高校2年生の夏休み。

今までの仲間たちは部活に励んでいる中、僕は実家のリビングでクーラーをつけてボーッとしていました。切なかったですね。

進路相談の三者面談の日。担任の先生に言われました。

「このままじゃ大学に行くのは難しいですね」

僕の学校の成績は下がり続けていて、数学では8点だったことも。

昔は目立つことで持っていたプライドも崩れていたので、勉強を頑張るという気もしませんでした。

しかしその時、担任の先生は怒るというよりは親身になった励ましてくれました。

「あと1年だけ頑張りなさい」

と優しく。

その瞬間。僕のマインドは変わりました。

周りで見てくれる大人がいるんだなと。その気持ちに応えたいと思って、1年間死ぬ気で勉強しました。

人から応援される事でモチベーションは続き、プライドも湧き上がり、勉強も楽しくなり、気がついたらいつの間にか成績上位に。

結果、関西大学に合格することができ、通うことになりました。

努力の経験+目に見える成果

この2つの大事な体験を出来たのが、高校時代の最後でした。

商社マンで年収1000万円

大学在学中は、ごく一般的な快適キャンパスライフを送っていました。

バイト→勉強→遊ぶ

をひたすら繰り返していたら、あっという間に卒業だったと記憶しています。

当時の僕は将来なりたいものが特になくて、就活は若干燻ってました。

でも、友達に「商社とか向いてるんじゃない?」と勧められてからはモチベエンジンが稼働。商社に絞って就活を開始。

本気で行きたいと思えた企業が見つかってからは、また努力を重ねて無事第一志望の商社に内定が決まりました。

これも努力が報われた成功体験です。

そして会社に勤めてからなんですけど、正直毎日が楽しすぎました。

多分相当運がよかったのだと思います。

会社の同僚にも恵まれ、休日出勤でも苦じゃありませんでした。

1日も早く先輩みたいな優秀な社員になりたいと考える毎日。(新入社員のお手本のような振る舞いでした笑)

青春時代、仲間とサッカーで切磋琢磨した頃の感覚が戻ってきました。

給料はボーナス含めずに、月の手取りが40万円くらい。金銭的にも幸せいっぱいのサラリーマンライフを送っていましたね。

また楽しむだけでなく、時間効率も考えるようになりました。というより、考えないと作業時間が足りなすぎて。

メインの業務は生産管理という、アパレル関連の仲介マネジメント業務だったんですけど、とにかくメールや商談などの分量が多い。

自分一人でなんでもやりたい性格だったけれども、徐々に人に任せて時間を作ることも覚え、作業をどんどん効率化していきました。

この時の効率化の経験は今の副業にも大きく活かされ、一生の武器にもなっています。

7年目になると海外転勤の辞令が降りました。

語学研修を目的とした上海行き。中国への派遣です。(実は今でも中国語を話すことができます。)

上海に住み始めてからは、価値観がまた一変しました。少し物事を柔らかく考えるようになったというのでしょうか。

現地の欧米人や中国人と会話をしていると、一貫して日本とは価値観が違うんですよね。

日本だと、学校・就職・結婚のような形式的なことに囚われている傾向にあります。

一方海外では、やりたい事をやりたい時に素直にする感じ。人生をラフに考えていて、素直に幸せを追求している感じでした。

僕もそんな海外の自由な価値観に触れる事で、少しずつ頭が柔らかくなっていき

「将来これから、このままの生活で幸せになるのかな?」

こんな疑問が浮き出てきました。

それからは毎日、自分と対話する時間が増えていきます。

自分主体で人生を決める時期

これまではどっちかというと受動的な人生でした。

サッカーも勉強も就職も仕事も”誰かが与えてくれたから”それを楽しんで一生懸命やって来ました。

でもこの時初めて真剣に

「本当はなにがしたいのだろう?」

と、自分主体で人生の選択について考えました。

今このまま会社にいたら出世もするだろうし、給料も余裕はあるだろう。でも本当にそれがしたいことなのか。

こう考えると、そうじゃない気がしてきました。

この時に

アパレル会社を立ち上げたい

という夢に初めて出会います。

ここまで具体的ではなかったんですけど、アパレル業界かつ海外での工場員が幸せになるような仕組みを作り上げたいというビジョンが浮かび上がっていました。

そこで、商社にずっと勤めるのではなく、ひとまず中国で働きたくなりました。

考えていたらすぐにモチベーションが湧いてきて、中国に対する憧れも増す一方。

中国での研修も終えて日本に帰ってきましたが、すぐに中国への転職活動を始めました。

帰国してから1年。中国への転職も決まり、同時に会社を辞めると決断。

一昨年の11月(2019年11月)の事です。

無事に就労ビザ(中国に滞在するためのビザ)も獲得し、さぁこれから新たな人生をスタートするぞ!という最中、あの騒動がやってきました。

ご存知、コロナ騒動です。

いつ世の中が変わるか分からない

コロナ騒動が最初起こった時は「まぁすぐに落ち着くだろう」という感想でした。

しかし世界情勢はそれとは裏腹に、どんどん大事になっていき、中国政府からも入国制限がかけられてしまいました。

僕が取ったビザの期限も切れてしまい、中国で働くという目標は強制シャットダウンです。

一応向こう(中国)の会社の仕事をやる事にはなりました。しかし、向こうの従業員にも会えないですし、海外で働いている実感がありません。

とにかく今の自分には待つ事以外の選択がなく、無気力になってしまいました。昔、長年続けたサッカーを辞めてしまった時の感覚。

この時に初めて、人生に対して”不安”を感じ始めました。

自分は平和でいるつもりでも、一方的に緊急事態になって世界が変わることがあるんだなと。

そう考えると、日中の国交もいつまでも続くとは限らない事にも気付きます。

この時に”副業”というワードが頭に浮かびました。

収入一本では、緊急的な何かが起こった時にリスクがあるなと。

会社だっていつまでも続くとは限らない。そんな時に、今の生活や将来を支える収入が0になってはならない。

逆に今までは運が良かったのかもしれないと思い、来るべきリスクに備えて副業を探すことを決意しました。

物販なら出来そうだと思った…

早速YouTubeで検索してみた時、物販でお金を稼ぐという世界を知りました。

商社で働いていたこともあり、FXやブログなどの副業よりは興味を持ちやすかったんだと思います。

中古のお店などに行き、売れそうなものを安く仕入れてメルカリで高く売る。

そんな動画がいくつもあって、僕の中で「これなら出来そうだな」と思いました。

で、実際に見よう見まねでやってみました。近所の中古ショップで売れそうな商品を仕入れて。

結果…1円にもならずに赤字です(笑)

たかが挑戦して1週間でしたけど「副業は向いてないんじゃないかな」とネガティブになって挫折しかけました。

そんな時に情報収集用で使っていたTwitterで、たまたま見つけたのがGさんという物販スクールの講師でした。

Gさんは物販を人に教えている他、自分でも月10万円以上は稼いでいるようでした。数字だけじゃなく、本人のYouTubeやノウハウを見た限りは嘘ではなさそう。

Gさんの配信やツイートに日々触れていると、次第に本人にも親近感が湧いて

「会ってみたいな」

という気持ちになりました。

思い立ったら行動せずにはいられず、Gさんの公式LINEから連絡をとって、時間を作って会ってもらえる事に。

僕の住まいは大阪でGさんは東京でしたけど「新幹線で行きます!」と行って、直接話を聞きに行きました。

通話で人の話を聞くことと、実際に会うのでは伝わり方が全然違います。

その事は、商社での経験でいやというほど知っていたので、自分の足を動かして会いに行きました。

Gさん本人に会って、物販の他にもスクールや副業の業界のことなど、知らない世界の話をたくさん聞けました。

僕は自分の性格は素直な方だと思っています。でも

「ネットビジネスはなんか怪しい。詐欺なんじゃないか?」

という一般的に浮かびそうな疑問は当然ありました。

でも、実際に副業。物販で稼いでいる人に会うことで、その疑いもだんだん払拭されて行きました。

喋っているうちに、僕はGさんに勧められるまでもなく

「ちゃんとスクールに入って、勉強して稼いでみたいです」

と口にしていました。

僕はその勢いを信じて、その日中にGさんのスクールと契約を交わしました笑

スクール代金も70万円支払いました。

決して小さい金額ではないけれども、学歴という肩書のために数百万円必要な世界だから、ちゃんと稼ぐスキルを得られるなら数十万円は妥当かなと感じました。

その後は地元大阪に帰り、僕の副業は本格的にスタートしました。

2020年10月4日です。

受け身じゃなく自分で考える

スクールに入った頃は、5万円くらい稼げれば十分かなと思っていました。

僕の場合は本業もあったので、それを考えると副業で5万円くらいプラスであれば十分かなと。

結果としては、初月で月利15万円。2ヶ月目も3ヶ月目も24万円の実績を出すことが出来ました。

スクールの人にも驚かれ、周りの人からも”実績者”と言われるようになりました。

僕としてはあまり「儲けよう!」という感覚はなく、ただゲーム感覚になって夢中で作業をやっていただけでした。

儲けようと焦ってしまっては、冷静な判断が出来なくなります。本業の収入がある分、心に余裕があったのがよかったのかもしれません。

それではこの先は、僕が物販で意識して取り組んだ事についてお話しします。

結論から言いますと

苦労はしてないけど努力は人一倍した

というのが僕なりの答えです

本業をやりながらの副業なので、時間は限られています。

時間効率を上げるために、エクセルの表は最初に相当工夫しましたし、外注化もいち早く取り入れました。

「どうやったら短い時間でも成果を出せるか?」

を、自分の頭で必死に考えた努力の量には自信があります。

仕入れに関しては、人に教わったことをただ受動的に行動するよりかは、ある程度自分の頭でも考えて仕入れをしました。

最初の頃は教わっても、専門用語も何も分からず不安になっていました。

「本当にこれ稼げるのかな?」
「ライバルも多いし無理なんじゃないかな」


いろいろ疑問が出てきたけれども、僕は何から何まで講師の人に質問を続けました。

そうやって疑問を払拭していくうちに、一連の作業は出来るようになり”リサーチを考える”段階に行き着きました。

「この先は言われたことだけじゃなくて、自分で考えなきゃダメだな」

とも思って

「コロナウイルスが流行っているから、ウイルス対策にもなる加湿器はどうだろうか」

という、自分なりの考えで仕入れをしたら、それが売れたんですよね。

要するに”需要を考えた”ということです。

コロナが流行してるんだったら、加湿器。それに限らずとも関連してくる家電が売れるんじゃないかなとか。

季節ごとに需要のある商品というのは変わってきますよね。

この自分なりの考え。他の人も思いつくかもしれないけれども、自分なりの根拠で仕入れて売れたことが、僕にとって大きな自信になりました。

そこから先は、需要を考えるのが楽しくなってゲーム感覚です(笑)

楽しくて楽しくて、自然と作業量も増えていき、毎日夜中の2時くらいまで作業に熱中してしまいました。

同時に「作業時間が足りないな」という段階になって、商社マンの経験を生かして徹底的に効率化。

初月で月利15万円。2、3、4ヶ月目も月利20万円以上の収入になっていきました。

元々は5万稼げればいいやと思っていたくらいなので、夢中になっていたら勝手に周りから”実績者”と言われるようになった。

というのが本音です。

収入の柱は、ないよりはあった方がいい

僕がこのnoteを通して一番伝えたいメッセージは

「収入が困ってない人でも、世の中この先どうなっていくか分からないから、収入の柱は増やした方がいい」

これが本音です。

収入がそこそこあれば、それで幸せかもしれませんけど、選択肢はその収入に制約を受けます。

自分の見ている世界は、それ以上は広がらないんです。

投資とか車とか家とか。色々手に入らない物を知った気にはなっても、体験する選択肢は得にくいんですよね。

また、もし会社員以外の収入を得たことがないのであれば、自分自身で稼ぐことで自信が着くと思います。

副業は物販に限らず100%自己責任の世界ですけど、その分だけ自分一人で稼いだ喜びが大きいんですよね。

これは値段に関係なく、自分自身の力で稼いでみるという体験からくる喜びです。

僕も最初、副業の目標は5万円でしたけど、また新しい目標にたどり着くことも出来ました。

スクールに入ると、自分より収入が高い方もたくさんいますし、高い目標を持った人も多くいます。

価値観というのは、新しい環境に飛び込んで見ないと中々変わらないんですよね。僕が上海で海外の人と触れ合った時もそうでした。

今出来た新しい目標は

あなたの背中を押すこと

です。

もちろん物販なり他の副業なり、新しい何かに挑戦する気が無いのであれば、僕が何を言っても意味はないですしお節介です。

でも

「副業を始めてみたいけど、情報が多すぎて一歩が踏み出せない」

こういった悩みを持っている方の背中を押す事に価値があるんじゃないか?

と思って、今こうして情報発信をしています。

僕の武器は”時間効率”なので、特に本業をやりながら副業をやってみたい人には、有益な発信が出来るんじゃないかと自信を持っています。

このnoteを読んでくれている方は、何かに迷いながらも何かに挑戦しようと考えているんですよね。

僕は物販で成果を出すことが出来たので、物販をぜひお勧めしたいところですけど、まずは自分の迷いを払拭することが大事かなとも思います。

ぜひ、小さくても良いので一歩踏み出してみてください。

僕で良ければ、いつでも壁打ちの相手になります。

僕も最初は、人に質問責めでしたから(笑)
でもそういう姿勢も結、果を出すのには大切だったのかなとも感じてます。

一人で悩んでいても、自分の経験した世界からしか物事は見えませんから。ピンと来た誰かにアタックしてみてください。

世界が開けるキッカケになりますよ。

それでは僕のストーリーはここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!














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