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大阪のおばちゃん

 なぜか時々微笑ましく思い出してしまうのが、以前、北海道新聞で約2年連載した「大阪おばちゃんが行く」というコラムエッセイだ。これは大阪のおばちゃんの暮らしの機微を延べ100パターンほど描いたもの。
 よく言われる、ど厚かましくて派手好きな強烈的大阪のおばちゃんではなく、親しみやすくて人情に厚く、合理的でおしゃべりな上に世話好きで、愛想よしの反骨精神旺盛なおばちゃんたちを登場させた。

 私自身が初めて「おばちゃん」と呼ばれたのは、8歳年上の姉に長女が生まれて、しゃべり出した時。まだ短大生だというのに「よしこおばちゃん」なんて呼ばれたときには、「な・あ・に?」と愛らしく笑顔で応えてはいたものの、そりゃあ複雑な気持ちだった。

 第2段階が、結婚して長女が生まれ、お友だちと遊び始めた時期である。
 近所のあどけない子どもたちから、いきなり笑顔で「○○ちゃんのおばちゃん」と呼ばれるようになった。27歳ぐらいだったか。「あ~、娘のお友だちなら、なんとでも呼んでくれ~! もう、おばちゃんなんや」と観念した時でもある。
 3年後には次女も生まれ、私の中に「○○ちゃんのおばちゃん」は、自然に静かに定着していった。

 しかし当時、自分にかけられる「おばちゃん」と、「大阪のおばちゃん」は、決してイコールではないと信じていた。
 たとえ同じ大阪に暮らしていようとも、「大阪のおばちゃん」とは、すでに固定観念化された一つのブランドだった。「まけてーな」が口癖で、駅の対面のホームからでも大声で会話ができて、「タダ」のモノに目がなく、ヒョウ柄好みの派手好きで、電車では10センチの隙間があれば割り込み座りができるような人たち……と。

 ところが、長女が成人して結婚し、孫まで誕生した頃には、我ながら「フツーのおばちゃんも徐々に大阪のおばちゃんと化していくやん」と認めざるを得なくなっていった。
 長い人生で酸いも辛いも経験し、転んだり、ぶつかったり、噛み付いたりしていると、少々のことには動じず、めげず、へこたれず。何があっても笑い飛ばして暮らしたほうが勝ちという、大阪のおおらかな渦のようなもの巻かれていった。
 人間本来の優しさに巻かれることの心地よさを体感して、「まあ、ええやん」「しゃあないやん」「かまへん、かまへん」と大阪のおばちゃんに自然になってしまっていく。「ああ、どうぞどうぞ、大阪のおばちゃんと呼んでくださいな」となってしまうのである。

 この人こそ真の大阪のおばちゃんと感じたのは、今は亡き作家の田辺聖子さんだ。ある月刊誌の取材でご自宅に伺った時、80歳を目前にした田辺さんは、テーブルに置かれた小さな金平糖入りのキャンディボックスの蓋を取りながら、絶妙な表現をされた。
「私、とてもいい人生を味わわせてもらってて、人生の美味しいとこだけを人差し指でぐ~んとすくった感じです」と。
 なんと素敵な言葉だろう。
「かつて大阪といえば、お金もうけばっかり考えてる大阪商人の話が主流やったけど、普通の大阪人って、そんなんやない。お金よりも、笑うて面白おかしく暮らそうやないかという人ばかりでしょ」
 そして、「人生たくさん笑ったほうが勝ち」
 としめくくられたのだ。透き通った声の優しい大阪弁で。
 それ以来、ますます大阪のおばちゃんを愛らしく思うようになった。なんと自己肯定感の強いことか。少々の悩みごとがあろうとも「人生、笑うたもん勝ち!」というおまじないをかけてもらった。
 
 もう一人、大きな影響を受けたおばちゃんが、西宮市にある「つどい場さくらちゃん」の代表・丸尾多重子さん(愛称まるちゃん)だ。
 つどい場とは、介護者する人やされる人、介護職など、介護をつながりに誰でも集えて、食卓を囲んでランチを楽しみ、日ごろの悩みや疑問、グチなどをとことん話せる場。とにかく「安心」の空気が漂ってる場とでもいうのだろうか、
私も10数年前に雑誌の取材で訪れ、そのおおらかな空気が心地よく、取材以外でも通うようになった。
 まるちゃんは、10年間で両親、兄と3人の家族を看取った、いわば介護のベテラン。自身が介護者の時、外出がままならず、人と話すことの大切さを痛感して介護者がいつでも集まれる場所をと、20年前にオープンしたつどい場だ。

 介護の考え方も経験者ならではの重みと信頼があった。「医者の言いなりやなく、賢い介護者にならなあかん」と、いくつもの「介護講座」をスタート。また、介護する人もされる人も家に閉じこもっていると煮詰まってしまう。どんどん外出しようと「おでかけ」を提唱。電車にも乗って、お花見やカラオケにも行こう。車椅子で旅行しようと、飛行機でのツアーは北海道から伊勢、沖縄、台湾、韓国まで計16回も。

 車イスの人が旅に出ると開放感から食欲が出て生き生きとされ、社会も変わっていく。車椅子対応が整っていなかった航空会社が翌年にはできるようになり、旅先の見物席には車椅子ブースができていった。
 海外旅行の飛行時間は、車イスの人が頑張れる2時間半まで。介護される側は人の世話になるばかだから、パスポートで堂々と税関を通り、一人の人間として認められる満足感こそ大事と説いた。
「車イスの人を実際に見なければ社会は変わらない」
「楽しいことがあればお年寄りは笑顔になれる。そういう姿を子どもに見せるのが教育」
とも。

 私はまるちゃん と出会って取材テーマも介護分野が増え、多くの関係者と出会え、数えられないほどの勉強をさせてもらった。もう感謝しかない。
 その「つどい場さくらちゃん」も20周年を迎える2024年春、多くの人に惜しまれながら幕を下ろす。


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