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『ひとくず』別府ブルーバード劇場 上映、舞台挨拶参加レポ


11月14日、別府ブルーバード劇場で、『ひとくず』の上映と共に、上西雄大監督、古川藍さん、徳竹未夏さんの舞台挨拶があったので、参加した時のレポをまとめました。


『ひとくず』観ようか、どうしようか?


コロナの影響で、順調に暇を持て余す毎日……
いや、ジリジリと崖っぷちに追い詰められていく感の否めない日々の中で、別府ブルーバード劇場での、『ひとくず』の舞台挨拶の告知を発見。
先の身の振りも決まらず、生活リズムも崩れ始めてきていて、今回の舞台挨拶は見送ろうかと、正直思っていた。また、『ひとくず』のあらすじから、擬似親子的な作品ということもあり、10月に『ミッドナイトスワン』『朝が来た』と、同じようなテーマの大作を続けて鑑賞していたため
「もう、同じ系列、テーマの映画で、自分の心に何か入り込むスペースは到底無いだろう」
と正直思っていた。

11月に入り、ふとした切っ掛けでトントン拍子に職が見つかり、16日から新しい会社へ初出勤することとなる。心に余裕が出来ると映画を観たくなるって不思議。『ひとくず』の舞台挨拶上映に、急遽参加することにした。
自分が、舞台挨拶付きの上映に参加する上で、作品を作った監督登壇というのは、かなりの優先基準となるのだが、この作品には”幼児虐待”という要素を含んでいるため、および腰になっていたのは確かだった。


『ひとくず』上映参加


劇場に着いて『ひとくず』のチケットと、今月末に岩井俊二監督のリモート舞台登壇も決まっている『ティファの手紙』の前売りも併せて購入。
場内に入り、いつも座る2列目の席を確保。かなり久しぶりにAPUの学生で、良く劇場にくるハーフの子と会ったので、上映までしばし談笑。眼鏡と眉毛の無くなった彼は、ドイツ人かと思う程、かなり風貌が変わっていたが、ばっさり髪を切った自分も人のことは言えない。
少しだけ遅れて、『ひとくず』の上映が始まる。

作品の感想は、とにかく子役の演技の光り具合が半端ない。『ミッドナイトスワン』の服部樹咲ちゃんの演技にも驚いたが、それに匹敵するくらい ”まり役” 小南希良梨ちゃん、”幼少期のカネマサ役” 中山むつき君の演技に圧倒された。小南希良梨ちゃんは、立ち姿に不思議な存在感があり、なおかつ子供らしさを失わず、大人の演技に引っ張られる感じが全くない。本当に必要なタイミングで、求められた感情を表現していて、そのリアルな演技、表情、反応に舌を巻き、そして、ちゃんと大人の泣きの演技を受け止めている感さえある。
末恐ろしい……
また、中山むつき君の演技もあまりにリアルで、なおかつ、甥にソックリなため、観ていて居たたまれなくなった。とにかく、子役の演技を観るだけでも、この作品には一見の価値があると感じた。

子役の凄さはさることながら、いわゆる ”くず” の大人、特に男性のキャスト陣、演技のキレにも驚かされた。ヒロ役、税所篤彦さん、カネマサの母の男役、城明男さんの嫌悪感を抱かせる演技には、本当に胃の辺りがムカムカするような感覚にさせられた。観ている側にそれだけの嫌悪感を与える演技力に本当脱帽する。
このおふたりに実際に会って、メチャメチャ優しく感じいい人だったら、人間不信に陥るんじゃないかってくらい衝撃を受けそうです。

刑事役の空田浩志さんが出てきた辺りから、作品が人情ものになっていくのかなと、少し気持ちが緩んだが、それまではピンと張った雰囲気で気が抜けずにスクリーンに観入っていた。物語に感情移入できないくらい、ちょっと張り詰めて観すぎてしまう。安心して、もう1回観たいなというのが、正直な感想。上映終了後には、鼻をすする音があちらこちらで聞こえる中、劇場に拍手が起こった。


上西雄大監督、古川藍、徳竹未夏、舞台挨拶登壇


司会は館主補佐、映画ライターの森田真帆さん。檀上に椅子が4脚用意されている。森田さんの呼び込みと共に、上西雄大監督、古川藍さん、徳竹未夏さんの3名が檀上に現れる。

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上西監督は、感極まったのか、紹介後立ったまま、映画への思いと、劇場後ろでこの作品を観ながら泣き、登壇前の横の控室で劇場内の拍手を聞き泣いた、この劇場を前から訪れたかった、映画をかけることができて嬉しいという話しが続く。話しながらも、また少し涙ぐむ。

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3人が立ったまま、熱く語られるが、
「とりあえず、どうか椅子に座ってください」
と心の中で思ってしまった。
3人の挨拶が終わり、同じことを思っていたのか、森田さんが
「どうぞ椅子に座って下さい」
と、いつもより食い気味にお勧め。

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森田さんからは、監督が普通の人で安心した、怖い人だったらどうしようと思いましたとの振りに
「あれは役なので、実際、あんなんだったら社会不適合者です。だけど、役と違いすぎて、お客さんの期待に応えられないという後ろめたさはあります」
という話しに
「以前にも同じやり取りを聞いたことがあったな」
とふと思い出す。
別府ブルーバード劇場で、『ガチ星』を上映して、主演の安部賢一さんが登壇した時、全く同じようなやり取りしてたなと、懐かしく思った。

上西監督からは、幼児虐待の実情を知って身体中怒りに震えたことが、この映画制作のきっかけで、話しを聞いたその日の深夜2:00から脚本を書き始め、昼前には書き終わっていたとのことだった。
「脚本って8時間で書き終わるんですか…」
監督の話しに、のっけから驚く。
作品中には、張り詰めた雰囲気にほんの少しガス抜きをするような、ちょっとクスッと笑ってしまうシーンが度々入っている。それは、無理矢理笑いを取りにいったり、主人公カネマサのキャラをブレさせてまで入っているものでは無く、乱雑に散らかった日常、ささくれた人との関係の中などで、本当にちょっとしたタイミングで入る笑いなのだが、これもこの8時間の執筆の中で、あらかじめ構成されたものだったのか、それとも後から綿密に組み込んだものだったのか、
「質問する機会があったら、聞いてみたかったなぁ」
と、今更ながら感じている。

森田さんが、舞台での演技と映画での演技との違いについて、監督、古川さんに伺う。その話しを聞きながら監督、古川藍さん、徳竹未夏さんの3人は、一緒に劇団をされているが、映画の中での演技に対して違和感を感じなかったなと改めて思った。
小説でいうところの文体、演技でいうと何というのだろう? 表現方法が、舞台と映画とでは、明らかに違う。『ひとくず』はそういう違和感を全くなかったなと思う。たまに、映像作品の中で舞台的セリフ回し、舞台的演技で通す作品があるが、リアルさが薄まり芝居がかっていて、映像作品として強く違和感を感じていた。
『ひとくず』は、そういう違和感が全くなかったなと思う。監督は”大きい芝居”という言い方をされていたが、発声法、表情の作り方、身体の使い方。映画用に調整していることは間違いないはずだ。非常にそういう面での力が秀でていることを感じる作品でもあった。

この作品は、上西監督を始め、古川さん、徳竹さんもスタッフとして携わっているという。上西監督が、主人公のカネマサを演じながら監督もするため、出演シーンで古川さんがカチンコを打って、「用意スタート」の掛け声をかけれるが、「カット」の声だけはかけられない、という話しに納得。
どうやら、演じながら「カット」の掛け声だけは、上西監督が行っていたそう。上西監督は、役者としても活躍されているので、他の現場で役者として関わっている時も、芝居しながら思わず自分が「カット」と声を出しそうで困ってしまうという話しに、思わず笑ってしまった。
また、カネマサという役は、もの凄く口、性格の悪い役なので、自分の出演シーンが終わると、そのままの勢いで監督に戻るという。その逆で、冷静に監督として作品を撮っていて、次にシーンが自分の番だと、
「ダメだ、このままの流れでカネマサを演じられないな。ちょっと時間下さい」
とか、撮影中断することもあって、気持ちの作るのが難しかったと話す。
北野武監督も、出演も監督も一緒にされているので、『アウトレイジ』のような殺伐とした作品を撮っていた時、役者と監督との切り替えはどうしていたんだろう?と、ふと考えてしまった。

別府ブルーバード劇場での舞台挨拶の時、これがあるから極力参加したいと思うQ&Aが今回もあり、周りを見渡しながらも、挙手している人が少ないのを確かめ挙手。質問する機会を頂き
「両方の子役の、あまりの演技の上手さに心を揺さぶられたのですが、キャスティングは、時間がかかったのでしょうか? それとも直感的に決定できたのでしょうか?」
と、質問。

”まり”役には、最後の最後まで、小南希良梨ちゃんと、作品中に出てくるもうひとりの女の子とギリギリまで決まらなかったそうで、監督は希良梨ちゃんを推し、その他のスタッフはもうひとりの女の子を推していたとのこと。
希良梨ちゃんが、しっかりしている印象のため、虐待のシチュエーションと合わないのではないかという意見が多かったそうだ。
自分は逆に、見栄えも中身も顔立ちに関しても、しっかりしているからこそ、陰惨に始まる物語の中に、この先、救いの光りが垣間見えるのではという印象と、非常にリアルな子供らしい表情や反応の輝きに、小南希良梨ちゃんが、”まり”で正解だったなと感じている。
カネマサ役の幼少期を演じた中山むつき君は、前もって事務所に上西監督に似た雰囲気の子という条件で、キャストを探していた、だから、他人の気がしないとのことだった。
子役のふたりは、初めから本を読み込んでいて
「そこまで、入れ込まなくても…」
というのが、監督の感想だったそう。中山むつき君については、入れ込み過ぎているので、少しシーンでは軽目に抑えての撮影だったそうだ。監督から見て、このふたりは天才で、将来的にもすごい役者になると太鼓判をおしていた。

続けてもうひとりから質問で
「子役の演技、セリフのトーンや言い方が、あまりにもリアルで、どのように撮影に臨んだのか?」
という、また子役への質問。
自分も含めて、この作品での子役の印象が、かなり強かったんだなと改めて思う。監督から、子役への演出の話しがあったが、これは内容に触れることになるので、少しぼかして説明すると、具体的な演出はつけてないそうだ。
「このシーンで、この人を見たら、”まり” はこういう気持ちになる。その後、お母さんの顔を見て、表情を確かめて」
みたいな感じで、心の動きの指示をして、具体的な演技に関しては触れなかったらしい。しかし、この方法は役者に指示を的確に伝えやすいなと感心した。どのような演技を監督から求められているか分かり、また監督が狙っているのが、その役の表情なり反応だと理解できる。
また、上西監督としては、子役の表情が受け取り手に、その奥にあるものを想像させ、そんなに演技を大きくしなくても伝わるという気付きが、今回作品を作る上であったそうだ。

Q&Aは、このふたつで終了だったが、檀上の森田さんから
「この最後に質問したのが、実は『いつくしみふかき』に出演されて、明日の湯布院映画祭に参加する遠山さんなんですよ」
といきなりの発言。
何だって! びっくり!
思わず振り返った。

この『ひとくず』、11月15日の湯布院映画祭、最終上映作品として上映されることになっていて、3年間サポートで関わっている司会の森田さんから
「シンポジウムで、常連の人で名物になっているお客さんから、凄いやられますよ!」
と、上西監督を煽る煽る。
思わず笑ってしまったが、湯布院映画祭で名物になっている滋賀から来るオッチャンがいる。朗々と詠うように語るのだが、とにかく質問、批判がえげつない。2018年の湯布院映画祭で、若松監督を題材にした作品、『止められるか俺たちを』を撮った白石和彌監督には、びっくりするくらい噛みついてました(笑
今回、湯布院映画祭のシンポジウムに参加して、この作品に対して滋賀のオッチャンが、どういう感想を持つのか、もの凄く気になり参加したい気持ちが湧いたが、次の日の月曜日が初出勤のため、泣く泣く断念。
上映、シンポジウム含めて終わるのが、21:45って… 帰り着いたら23:00超えちゃうのか、無理だ。
上西監督は、森田さんの煽りにビビッて
「明日も別府ブルーバード劇場で、『ひとくず』上映するんですよね? ぼくは、こっちで舞台挨拶します…」
と、完全に逃げ腰になっていた。
大丈夫、滋賀のオッチャンはいきなり責め上げたりしませんから、朗々と感想を語った後が、痛烈なだけです。映画への熱い思いがそうさせているようなので、愛のムチをあえて受け止めてあげて下さい。
最後にマスクを外した姿での撮影タイム。

古川藍さんは、作品中の印象とは全然違って、顔は小さいし、雰囲気も柔らかい。映像の姿よりもかなり割増し。この役によっては、映像になると女優さんの美しさが差し引かれてしまう現象を、何というのでしょうか?
誰かこの現象に的確な名称をください。

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最後に恒例の記念撮影

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本当に、心に残る作品でした。もう少し、突っ込んだ質問を監督にしてみたかった気持ちもありますが、今回もいい作品に巡り会えて十分満足でございます。





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