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『君がいる、いた、そんな時』 別府ブルーバード劇場、舞台挨拶有り上映参加レポ

2022年7月17日、約2年振りになる
『君がいる、いた、そんな時』
の舞台挨拶上映に参加。
登壇は迫田公介監督。

去年だったと思ってた舞台挨拶上映は、なんと2年前だった!
時の流れは早い!

2年前は、上映時期とコロナ拡大が重なり悔しい思いを滲ませていた迫田監督だったが、最終的には全国32館での上映、全ての劇場で舞台挨拶を行い、別府ブルーバード劇場での今回の上映が最後だと。
作品と一緒に、その内容を追体験するような2年になったとの舞台挨拶トークだった。

きっとこのコロナ禍だからこそ、ここまで上映館が拡がり、悔しい思いが強かったからこそ、2年という長い間、作品との旅が続けられたのだと、改めて作品を観て感じた。

質問する機会もあり、作品の感想と質問をひとつさせて貰えた。
最近、別府の街にも感じるのだが、変わらないと思っていた街の風景が時代の流れで否応なく変化していく。
寂れた街だから、いつまでも昭和のまま、時間が止まったままだと勝手に思っていたのだ。
だが、20年、30年という月日で確実に街は変わっていく。

自分が幼少期地上波で観て、その世界に没入し、いたく感傷に浸った作品に『転校生』がある。
大林宣彦監督が、自分の故郷の尾道で撮った作品で、小林聡美と尾美としのりの演技も最高だったが、何よりも尾道の街並みが素晴らしく、心に深く刻まれた。

ロードバイクにハマっていた5年前、フェリーに乗り八幡浜に渡り、3泊4日で尾道まで旅したことがある。尾道での目的のひとつに、『転校生』のロケ地を巡りたいという思いがあった。
その時訪れた御袖天満宮は、映像のまま、神社仏閣はその土地の人によって大切に守られていることを実感する。
逆にラストシーンだった市役所前通りは、面影は少し残っているが、新しい街並みに、過ぎ去った時を感じずにはいられない。
昭和の尾道の街並みを映像に閉じ込めた『転校生』は、古き尾道の姿を振り返るという点においても、非常に貴重な資料だなと感じた旅でもあった。

2年振りに鑑賞した『君がいる、いた、そんな時』にも呉市の色んな街の表情を捉えており、撮影時の呉市の街並みを映像に閉じ込めるという意味においては、『転校生』と同様、非常に貴重な資料になり得ると感じた。

その思いを手短に述べ
「作品を撮る前、撮っている時、撮った後、この作品をどんな人に届けたいと思いましたか?」
と質問。
すると、質問前の感想での街並みを閉じ込める映像資料としての価値の感想部分への監督からの返答で衝撃的な話が、
「この作品の舞台の特徴的な円形構造の小学校が、今度取り壊しが決まり、その姿を残す意味もこの作品にあると思ってます」

この作品の舞台の小学校は、非常に印象に残るただずまいをしている。
この学校が作品を支えている部分も多々あると感じる程印象に残る舞台だ。
まだ、先だと思っていた…
まさか、そんなに早くこの場所が無くなるとは。
そういう意味でも、迫田監督が、この作品を完成、上映できたのが、2020年だったのは必然と感じた。

街はずっとそこに同じ顔であるわけではない。
人が老い、若い世代にバトンを渡し退場していく様に、古くなれば新しく生まれ変わり、顔も変わる。
せめて、その時の姿を、そこで息づいた人の思いを映像で残すのは、とても素敵な仕事だと思う。
2年前に初めて観た時は、子役を中心にした作品の撮影の難しさ、演技についての演出などに、興味が湧いたのだが、今回の上映では、街について考えてしまった。
多角的に観ることのできる作品って、いい作品だなと思う瞬間でもあった。

また、質問に対しては
「自分の様な人に届けたいと思ってたのじゃないか」
と、少し自問するような言い回しだった。
その思いが、たぶん2年という作品との旅で必要だった年月や公開タイミングの試練だったと思う。

これは、毎回使うフレーズだが、
「映画の神様は、ドSだ。使命を持つ作品、人に届けるべき作品には試練を与え、それを乗り越えた作品には新しいステージを用意する」
『君がいる、いた、そんな時』
という作品、
そして迫田公介監督は、
間違いなく映画の神様に愛されていると思います。


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