別府短編映画制作プロジェクト 第3弾 『ふちいし FUCHIISHI』 齊藤工監督舞台挨拶、別府再々降臨 参加レポ
またこの『期節』がやって来た。
あえて期節と表現するのは、それがいつ巡るか決まってはいないからだ。
次が2年後なのか、それとも3年後なのか……
でも、確実に来るということだけは言える。
齊藤工監督が、別府ブルーバード劇場に、作品を持って帰ってくる『期節』のことだ。
2023年4月22日、23日の2日間。
別府短編映画製作プロジェクト、第3弾となる『ふちいし FUCHIISHI』という作品の上映舞台挨拶として、主演の安部賢一さん、齊藤工監督の登壇が、別府と大分を合わせて計4回行われることが決まった。その1回は、学生限定の舞台挨拶のため、一般で参加できるのは3回の上映となる。
とにかく、齊藤工監督、役者としての斎藤工が別府ブルーバード劇場に登壇する時は、チケットの争奪が恐ろしいほど激化する。
他の作品に比べて注目度も、観客の反応の熱量も驚く程抜きん出ている。
初めての舞台挨拶は、『blank13』上映の2018年、2度目は『ATEOTD』上映の2020年。
そして今年2023年が、齊藤工別府ブルーバード劇場登壇の3回目となる。
今回、運良く、斎藤工、齊藤工監督の舞台挨拶を3回参加することができ、色々と映像制作やその環境について深く考えさせられたことがあったので、久し振りに、noteにまとめようかと思った。
もう…… 1万字なんて激長のレポにならないように、簡潔に、簡潔に、と、自分に言い聞かせながら。
齊藤工監督、安部賢一さん、『ふちいし FUCHIISHI』舞台挨拶決定
4月上旬から、福岡で新たに生活を始める自分が、別府短編映画制作プロジェクトの第3弾となる『ふちいし FUCHIISHI』、舞台挨拶上映チケットの販売を知ったのは、転居前、日出町にまだ在住している時、主演の安部賢一さんのTwitter告知でだ。
別府ブルーバード劇場3階での舞台挨拶を3回(その内1回は学生限定)、大分コンパルホールでの舞台挨拶を1回行い、22日の別府ブルーバード劇場でのチケットは劇場販売のみ、23日の別府ブルーバードと、大分コンパルホールのチケットは、劇場販売とPeatixでのネット販売で行うこととなった。
正直、高をくくっていた。
22日劇場のみの販売だとしても、3階の客席数だったら朝から並べば後列を余裕で確保できるものだと思い込んでいた。
いざ、販売30分くらい前に劇場に到着すると、すでに列が出来てある。
だが、客席数から考えると全然余裕のはずなのだが、列整理のスタッフに声をかけられる。
「ご希望は何日ですか? 22日のチケットは、報道関係者などの参加があり残り僅かとなってます。もしかしたら、ご期待に添えないかも……」
前の列は10人もいない。でも、チケットがハケるかもしれない?
初号試写も行ってないようで、本当に22日が初お披露目。関係者が多数来場するとのこと。
ナメてた。
斎藤工の舞台挨拶チケットの取れなさ振りをすっかり忘れていた。
案の定、自分の前の購入者で22日分のチケットは売り切れになる。
目の前が真っ暗になる。
悲しいかな23日は、かなり前から福岡でのライブ参戦が決まっており、どうしても15:20別府発のソニックに乗って帰らなければならない。
22日にじっくり作品を観て余韻に浸り、23日は途中退席にはなるが、改めて作品に触れて福岡に戻ろうと思っていたのに、早くも計画が崩れる。
膝から崩れ落ちながら23日のチケットを購入。コンパルホールは時間的に参加は無理だった。
どうして、どうして…… この日のライブチケットを取ってしまったのだろ? 過去の俺。
『思うようには いかないもんだな 呟きながら 階段を登る』
CHAGE & ASKAの 『PRIDE 』が頭の中で何度もヘビロテし、サビ部分のCHAGEの『One's Pride~♫』の高音コーラスが、もう脳内に鳴り響く、鳴り響く。
打ちひしがれながら、荷物をまとめて福岡へと旅立つことになった。
斎藤工主演『零落』の舞台挨拶追加告知
意気消沈しつつ、福岡の新居で新しい暮らしを始めるが、冷静になると1時間ちょっとの滞在のためにソニックに乗って別府へ行くのも、何かもったいない気がしてくる。
また、新居のお風呂が非常に使いづらいため、別府の温泉が恋しくなった。
22日に、『零落』を鑑賞して、ゆっくり温泉でも浸かって次の日の舞台挨拶に参加するかなと、ソニックの予約を変更した矢先に、Twitterで告知が出る。
『22日上映の 零落 に急遽、斎藤工さんの舞台挨拶が決定。チケットの販売は……』
『零落』の舞台挨拶に参加できることになり、別府滞在に少し余裕を感じられるようにもなった。
全然話が変わるが、『ましろのおと』という三味線奏者を題材にしたマンガがある。途中まで読んでいたが、気づかないうちに完結しており、別府出発の前日、読んでいなかった残りの26巻以降を一気に読んだ。
このマンガには、澤村若菜と雪という兄弟が登場して、世間の評価、認知としては、アルバムセールスの良い兄の若菜の方にある。
このマンガを別府へ行く前に読んで、
『売れること』
『作品を届けること』
について深く考えさせられてしまった。
その背景が、今回の舞台挨拶上映に参加する『別府短編映画制作プロジェクト』と重なって見える部分があったからだ。
第1弾、第2弾の作品よりも、今回が明らかに注目度が高い。
そして参加する人の熱量の異常な高さも感じる。それは、斎藤工のネームバリューという付加価値があるから当然の結果なのか?
『作品を届ける』
ということにおいて、同じプロジェクトの作品なのに、受け手の反応がなぜこうも違うのか?
斎藤工のネームバリューを覆せるような、作品の持つ力で、今回以上の反響や人を呼び込むことが可能なのだろうか?
作品の作り手となった時、本当に作品の力を信じることができるのだろうか?
そのヒントを探したいという思いがあり、舞台挨拶参加上映が増えたことは自分にとって有意義な時間になると感じた。
『零落』舞台挨拶参加と感想
別府には、『零落』上映の1時間前に到着。
劇場に着くと、急遽決まったとは言え、多くの観客が列を作っている。チケットは3分で完売だった。斎藤工の人気を思い知ることになる。2階の劇場は、人でパンパンになった。8割女性客で、中には1歳7ヵ月の子供連れの方までいらした。
開場後、劇場チケット7番目で入場して、いつも座る2列目の席で鑑賞することができた。
この作品、ネタバレになるのであまり言えないが、斎藤工演じる深澤薫は、ドンドン人気が落ちぶれていくマンガ家役。
『売れる』ことについて、何か感じようと思ったのに、真逆の役を斎藤工が演じている。
映画はある部分まで、1シーン、1シーンが非常に短い。
「こんな細かいシーンの繋がりで、役者は感情を込めて演技できるの?」と、不思議に思ったが、シーンが短い部分の役者の演技は淡々としている。
元々、脚本もこんなに細かくシーン分けしているのだろうか? 長く撮影して編集で切り取っているのだろうか? 気になりながら映画を観る。
観たことはないが、小津安二郎監督作品とか、こういうリズムなんじゃないかなと少し思った。ある意味、棒読みのような台詞の応酬と、短いシーンと風景挿入。頻繁に変わるシーンの繋がりで、昭和の頃の映画のリズムを現代風に再現しようとしているのか?
小津安二郎の『東京物語』ちゃんと観てみようと、この作品を観て改めて思った。
そして驚く程、劇伴が少ない。
もう、別府短編映画制作プロジェクト作品の『ふちいし FUCHIISHI』とは対照的に、映画の大半に劇伴が入って無いんじゃないかと思うくらい、無音のシーンが続く。
かと思ったら、深澤とちふゆの印象的なシーンで、薄ぅーーーく小さい音で、間違ってなければインストの『The End Of The World』が流れる。
そして、すぐフェードアウト。
音楽監督、相当ひねくれてるなと思い、エンドロールで確認すると、ドレスコードの志磨遼平だった。本作には役者としても出演している。
さすが、『私の人生複雑骨折、ドラマ型統合失調症』なだけはある。
妙に納得。
そして、上映後舞台挨拶が始まるが、いきなり斎藤工さんが、司会の森田真帆さんの付け爪をイジる。
確かに、森田さんの着飾らない格好に、ギャル爪は夢に出てきそうです。
映画については、『零落』のような、エンターテイメント性が低く、落ちていくマイナスの印象の強い作品は企画が通りにくいという話から始まる。
今回の作品もマンガ原作があり、実写化した作品だが、この作品を監督した竹中直人監督の『無能の人』もマンガ原作の作品で、その原作のつげ義春さんの『ネジ式』を読んだことが、『零落』の原作者の浅野いにおのマンガを描くキッカケになったとのこと。
つげ義春が、この作品も支えているような感じがしたという感想を、斎藤工が話す。そして『ゲゲゲの女房』では、斎藤工がつげ義春を演じていたとのことで、作品との縁を感じていたようだった。
この後、1番前に座って参加していた子連れのお客様の子供を斎藤工が
「本当、マジで偉いね。大人しくしてるね」
と、褒める。
上映中、森田さんは、この子の世話をずっとしていたらしく、お母さんが映画鑑賞中、泣かずに大人しく森田さんと遊んでいたようだ。
斎藤工さんを舞台に呼び込む前、マイクを持つ手が震えてたのは、酒が切れた訳でもなく、ただ20年振りに子供を抱えて、手が言う事を聞かないんですよと説明する森田さん。
この後のトークは、
「この作品観てて、わたしが普段良くいう台詞とか出てくるんですよ」
と、ちょっと文字に起こせないような、現状の映画界のお話へ。
これを文字に起こすと、かなり森田さんの(斎藤工さんは全然問題ないくらい力がありそうですが)職業的立場の危険を感じるので、省略させて頂きます。
この『零落』と地続きの話が、別府短編映画制作プロジェクトの『ふちいし FUCHIISHI』になっていると語る斎藤工。
もし深澤が別府に来ていたら、『ふちいし FUCHIISHI』のような流れになるのではないか、再生へと繋がる人間の物語になるのではないかと。
それは人間が失ったものを補う、リカバリーの機能性みないなものをどうしたら正常に作動するかという所が、上手く作動しなかったのが深澤で、別府という街で機能したのが『ふちいし FUCHIISHI』という作品だと説明。
今回、この2本の映画が同時期に別府ブルーバード劇場で上映されるのは、必然だったんですね、きっと。
そして話は、急に『売れる』『認知される』という方向へ
森田さんの
「わたしも最近1回テレビに出ただけで…」
との話の振りに
「1回じゃないでしょ? 味しめて何度か出てたでしょ?」
と、すかさずツッコミを入れる斎藤工。
自分を認知している知らない人の存在への感覚。しかし、それを望み覚悟し、そうありたいと願っていた自分が、目指していたことであることは確かだし、認知が無いと自己満足で終わってしまう。ただ、その恩恵に預かった時に失うもの、賞味期限が切れるものは確かにあり大きい。
と、いう話から、またまたお話はあらぬ方向へ。
「売れたりして変わっていくインディーズのミュージシャンとかいるじゃないですか、監督とかも……」
これから先、ちょっと文字に起こすのは自粛しておきます。
全てが実弾入りのロシアンルーレット、言い得て妙でした。
斎藤工も、そういう変化や、売れることで失うもの、変わっていく部分と抗う先輩や役者仲間、クリエイターなどを通して、戦い方や身構え方を学ぶようで、その筆頭に、『シン・仮面ライダー』で共演した池松壮亮さんの名前を上げていた。
深澤のゆっくり落ちていく心情、それを表すように、マンガにはない挿入された海のシーンの話から、プロデューサーとしてのMEGUMIさんの手腕の話、そして話題は森田さんがアメリカで取得したインティマシーコーディネーターの資格の話へと進む。
映画撮影や、濡れ場のような心の扱いが難しいシーンなどの、俳優のケアを行うのが、インティマシーコーディネイターとの説明。また、コンセントエデュケーターという同意を確認する手助けをする資格の話へと続く。
「この話は大事なことだから」
と、森田さんに話すように勧める斎藤工は、現場というものを大切に考えているんだなと感じた。
ただ、あまりその辺りを突き詰めていくと、俳優が芝居をしづらくなるとの苦情も受けたことがあるとのことで、確かにバランスは難しいと思えた。
昭和の頃の無茶な撮影方法は、もう時代が許さないんだなと、実感する話でもあった。
そして話は女性の濡れ場について。
昼顔のキャストだった北村一輝に
「女性を柔らかく見せるのは、男の方だから」
という教えを受け、今回の作品で実践したとか。
女性にどう触れるか、そこに関わる男の側で、どこまで美しく見せることができるかという、関わり方を意識する妖艶さを語る斎藤工。
特にゆんぼのシーンでの話で何か違うノリの流れになり、そのまま濡れ場の話でグダグダになりながら舞台挨拶のトークは締めに向かう。
「小ちゃい子もいたのに、濡れ場のスペシャリストみたいな話で終わって、本当すいません」
と、謝る斎藤工。
そのまま、劇場恒例の集合写真撮影へ。
2020年の舞台挨拶に参加した時も、こんな感じで森田さんと斎藤工さんのトークで幕を閉じたので今回も全上映、同じ流れで進行するんだなと、特に気にはしなかった。
そして、サプライズで劇場出口での斎藤工御本人のお見送り。
軽く会釈を返すのが精一杯だった。
嬉しい誤算 22日『ふちいし FUCHIISHI』舞台挨拶
結果から言うと、当日若干の立ち見席が開放され、1番後方で舞台挨拶上映に参加することができた。当初計画していた温泉にゆっくり浸かるという目的は達成できなかったが、嬉しい誤算である。
1番後ろからブルーバードの3階の劇場を観るのは、初めての体験だ。いつも前から2列目ばかりで観てたため、新鮮な気持ちになる。
後ろから観る舞台はとても遠くに感じた。
当日券で入る人達を極力入れたいという思いで、森田さんが前説を10分程引っ張りつなぐ。多くの人にこの作品を届けたいんだなと伝わる前説だったが、後から齊藤工監督に、またいじられる事になるとは思いもしなかったであろう。
10分押しで、『ふちいし FUCHIISHI』の上映が始まる。
昼に観た『零落』とは対象的に、印象に残るピアノの劇伴と、チャップリン時代のサイレント映画のような構成で始まる。
映画の所々で感じ入る印象的な別府の風景があるのだが、それは後々触れたいと思う。
とにかく劇伴が最高に良かった。音楽を聴くためだけに観ても十分楽しめる作品になっている。ストーリーを追わなくても、その音楽と映像だけで十分満足できる作品に仕上がっていると思う。
音楽を担当しているのは、haruka nakamura。
その多彩な音楽の振り幅で、別府の街並みが色々な表情を魅せる。Music Videoとしても非常に秀逸な作品になっていると感じた。
かといって、ストーリーが薄いかというと、そうではなく短編とは思えない、ノスタルジックな感情を掻き立てられ、心に残る作品となっている。
また、齊藤工監督の強い思いで、全編英語字幕が付いており、海外の方でも楽しめる作品となっていた。特に別府はAPUがあるので、非常に多くの外国人留学生が在住している。その人達にも届くように配慮していることにも、非常に細やかな心配りを感じた。
上映後、主演の安部賢一さんと、齊藤工監督が登壇。
別府短編映画制作プロジェクトのスタッフと、作品を制作する状況への賛辞と、それに参加できる喜びを伝える齊藤工監督、だが唐突に
「前説長くなかったですか?」
と、齊藤工監督から司会の森田さんへツッコミが入る。
「違うんですよ。ギリギリまで当日券で並ばれている方がいらっしゃって、一生懸命前説でつないでたんです」
上映開始19:00予定が、19:10まで森田さんのつなぎのトークで引っ張っていたようだ。
そして、また爪の話を振ろうとする齊藤工監督。
「爪の話は一旦置いといてもらっていいですか」
回避しようとする森田さん。
「このつながりはね、『零落』の舞台挨拶観てないと分かんないでしょ?」
と、ふたりにツッコむ安部賢一さん。
爪の話題が一日続く。
森田さんからは、この『ふちいし FUCHIISI』という作品をゼロから生まれる過程を側で見ることができたとの感想から、最初のプロットの話へ。
最初のプロットは、2020年のコロナ禍真っ只中で、文字ではなくharuka nakamuraさんの楽曲に、自分の思い入れのある場所や、別府の風景を閉じ込めるMusic Videoのようなものでの提案から始まったそうだ。完成した作品もharuka nakamuraさんの旋律に包み込まれているような、そんな作品になったと語る齊藤工監督。
森田さんは、
「音楽が別府にとても合うなぁ、と思って観てました」
と、言った矢先
「あの、そのマイクを顎に乗せるクセ…… 今、完全に乗ってましたよ?」
と、ツッコむ齊藤工監督。
前の『零落』の舞台挨拶の時も、マイクを顎に乗せていることをいじられていた。
「違うんです。齊藤工監督と、安部賢一さん、おふたりとも顔が小さいから、自分の顔をマイクで隠して、同じくらいの大きさに印象づけようと……」
言い訳を必死にする森田さんへ
「楽な所を探して置いてますよね? シェーバーでヒゲ剃ってるみたいに見えるんですよ」
会場の乾いた笑いと共に、心が折れる森田さん。
「ちょっと、一旦マイクの話からズラしてもらっていいですか? 恥ずかしくて、もう耐えられそうにない」
爪とマイクで、ノックアウト寸前まで追い込まれる司会。
撮影中には、撮影現場でharuka nakamuraさんの楽曲を流しながら撮影をしていたそうで、映画撮影中にどんな楽曲が入るか役者は知らないのが通常なのだが、舞台とか観に行くと音楽と一緒に感情を乗せて演技をする役者の環境が羨ましい思いがあり、齊藤工監督は、現場で音楽を流しながら撮影に臨んだとのこと。
スタッフ、役者が、作品のリズム、空気感、方向性を共有するには、いい方法だったと語る。
安部賢一さんとしても、音楽が流れることにより、通常役作りで欲張ってしまう所を、自然体で演技に入る効果もあった、新鮮な経験だったと。
ここで、齊藤工監督から上映前のCMの話へ。
別府ブルーバード劇場の上映作品としては珍しく、別府短編映画制作プロジェクトの作品には、上映前に作品を制作するにあたり、スポンサーになってくれた企業のCMが入るのだ。
その中のベーカーリーのCMに安部賢一さんが出演している。
齊藤工監督が
「このパンのCMをひっくるめて『ふちいし FUCHIISI』になってるんで……」
この部分は、ネタバレになるので、『ふちいし FUCHIISHI』未観の方は、是非劇場で観てご確認下さい。
果たして気付くだろうか?
この作品は非常にセリフが少なく、それについてのトークが続く。
そもそも、この作品はセリフ劇ではないというのは当初から監督自身思ってたようで、言葉での説明はこの作品には必要ないと語る。
説明が必要ないというのは、確かに観る人を選ばないので、英語字幕があれば誰にでも届くという気持ちもあったのだろう。
ここで、別府の一般の方が役者として参加したシーンの話に。
ちょっとした安部賢一さんと、地元の同級生が会話するシーンがあるのだが、別府の一般で参加した方との即興劇だったそうで、テストもほとんどしてない状態で撮影。とても自然な演技と掛け合いに、齊藤工監督、制作として関わった森田さんも驚愕したそうだ。
齊藤工監督は、
「役割を明確に伝えなかったのが功を奏した」
と、あえて委ね、演出を一切しない方法で撮影に臨んだのが良かったとの感想。
安部賢一さんにいたっては
「演技ってこういうもんだな。と、改めて勉強になりました。役作りって、こうしてこうしてって、作り込んで作り込んで、やった挙げ句上手くいかないことの方が多いんだけど、こういう風にリラックスして自然に演じるものだなって思いました」
と、しみじみと語っていた。
撮影は全体的にスムーズに進み、齊藤工監督曰く
「凪のような時間で、誰もイライラしなく、ゆったりと撮影できた」
そうだ。
ただ、子役達のシーンだけは、とてもセンシティブだったようで、これに触れるとネタバレになるので、是非ご鑑賞ください。
役に引っ張られエキストラの子供たちは、演技後、駐車場でドンヨリしていたそう。
森田さんが
「別府の小学生は、皆良い子なんですよ」
なぜか、誇らしげに胸を張って言っているようにも見えた。
ラストシーンについて森田さんから話が振られると
実は、この作品2日前に編集を終えたらしく、早くも直す所も発見したと齊藤工監督。エンドロールでの最後の最後の表記が、白飛びしていたのを気にしていた。
ラストのシーンについては、スタッフ、役者全てが繋がった感じがして、神がかっていたと表現する齊藤工監督。想像していたものとは違って、更に深い所に触れた感覚があったようだ。嘘が無い時間だったと語る。
安部賢一さんも、子役の加賀基桃李くんと共鳴した演技になったそうで、芝居はノープランで臨んだそうだ。
映画上映後のトークのため、バシバシ作品の内容に触れる話が続く。
『ブゴン』の話が振られると、異常に内容に詳しい齊藤工監督に、このプロジェクト本当に好きなんだなと伝わって来た。
撮影の総括の話になると、齊藤工監督から
「作品を編集するにあたり、エンドロールにも表記してあったが、作品に登場したふたつのお店が現在は閉じている。別府の駅前通りにも複数件あった映画館も現状では、別府ブルーバード劇場1館のみになっている。作品の中だけでも、残していく、存在してあるその時を閉じ込めるという意味合いも、映画という作品としての役割があると感じるし、進行していくもの、積み上げたものの温もりや旨味も、見守るような作品をこれからも作り、別府ブルーバード劇場という場所で、照さんがとんでもない年齢になるまで受け止めて欲しい」
また、字幕を付けたことにより、この作品がツーリストの人にも届き、地元の愛される名店みたいなものが映画館にもあると思っているので、観光の中で別府ブルーバード劇場という場所で作品を観て、照さんに会いに来てもらうキッカケにこの作品がなったらいいなと語る。
最後の最後には、客席で鑑賞していた、作品に出演していた土屋さん、ラジオアナウンサーの声での出演だった東保美紀さん、スタッフとして録音で参加していた桐山裕行さん、ブルーバードの館主岡村照さんが紹介される。
そして、壇上には子役として出演した加賀基桃李くんが上がる。
桃李くんから監督と安部さんへ花束が。
撮影時には、桃李くんは保育園の年長組だったらしく、
「撮影はどうでしたか?」
の質問に
「難しかった」
と応え会場が沸く。
「おじいちゃんになっても、ブルーバード劇場に観に来てね」
と、桃李くんに森田さんが伝えると
「その頃まだ照さんいるからね」
と、被せるように齊藤工監督。
もう、照さん『ベルセルク』に出てくる森の魔女と化してません?
「いるよ、まだ照ちゃんいるからね」
乗っかる森田さんに、さらに会場が沸く。
嬉しいことに、ちょっとだけ観客にも写真撮影タイムに。
最後方席のため、なかなか厳しかったが。
そして、『ふちいし FUCHIISHI』の上映、舞台挨拶のトータル時間を確認し、明日の舞台挨拶上映が、途中退席が確定であることを実感する。
22日に参加できて、本当に良かった。
参加を諦めていた、『ふちいし FUCHIISHI』の22日の舞台挨拶に参加でき、意気揚々と帰ったかというとそうではなく、鑑賞後、かなり落ち込んだ。ここから先は自分語りになるので、次の見出しの分、飛ばし読みしていただければと思います。
『ふちいし FUCHIISHI』鑑賞後
布団を敷いただけのガランとした実家の部屋で、悶々として寝付けなかった。
2018年から別府ブルーバード劇場に、足繁く通っていたが、メチャメチャ映画が好きかというと、全然そうではない。
どちらかというと、文章で何か形あるものを残せたらいいなと思い、日々過ごしていたが、何一つ、本当に一文字も形にできず長い間落ち込んでおり、表現というものの何かしらのヒントをつかめないものかと、監督や役者の登壇する別府ブルーバード劇場の舞台挨拶に参加し始めたのが通うキッカケ。
作品ではないが、映画のレポとか、感想という形で文章にすることができるようにはなったが、自分の創作としての作品が形になる兆候は、全くとして現れなかった。
そんな中、2020年の齊藤工監督が、別府ブルーバード劇場舞台挨拶で登壇した『ATEOTD』という作品を観た後、強烈に映画を撮りたくなった。
というより、自分の作りたい映画の画とストーリーが浮かんだのだ。
『ATEOTD』という作品と、『でぃすたんす』という両方とも短編の作品で、同時上映だったのだが、どちらにもインスピレーションを受けた。
特に『ATEOTD』は、齊藤工監督の舞台挨拶の内容込みで、映画監督になろうと1ミリも思わなかった自分が、かなり強く映画を撮りたいという思いに駆り立てられた作品となる。元々Music Videoだったものを短編映画として作品にした『ATEOTD』だが、その曲が安藤裕子さんの楽曲。
映画を観た時に
「この人の歌、どこかで聴いたことがあるぞ?」
という程度だが、遠い記憶の中に、その声やメロディが引っ掛かっていた。
家に帰ってネットで検索して、
「あっ!」
となる。
『のうぜんかつら リプライズ』を作り、歌っていた方だった。
この曲を使用した、『月桂冠 月』のCMは、異常なほど自分の記憶の中に残っていた。牧鉄馬さんが監督したCM作品なのだが、30秒弱の間に凄まじいノスタルジックな気持ちを掻き立てられ、楽曲と映像の調和、相互効果が半端ない。
このCMを観ていた頃は、映像よりも音楽の方に興味が強く、それでも映像と音楽の関係性、補完性をまざまざと見せつけられた作品だった。
また、齊藤工監督の『ATEOTD』の舞台挨拶で、あるシーンを撮影する時のイメージボードに『風の谷のナウシカの秘密の部屋のようなイメージで』とト書きをしたという話を聞き、
「〇〇みたいな感じでお願いします」
って撮影指示、撮影手法は、映像制作の中でも『アリ』なんだ! と目からウロコが落ちた。
『月桂冠 月』のCMのような雰囲気で、映像は林響太朗さんみたいな光の作り方で、別府ブルーバード劇場を舞台にして映画を撮りたい。
漠然としたイメージからじょじょに具体的な話や画が頭の中に思い浮かぶようになる。
ただ、どうやったらその雰囲気を出せるのか、イメージ通りの映像を作れるのか、光の具合を捉えられるのか、映像の基礎がない自分にはサッパリ分からない。でも自主映画としていつでも撮れるよう、短編映画1本分の資金だけはコツコツ貯めていた。
このプロットを作っていたのが、2021年の1月頃。
別府で短編映画を制作するようになるとは露知らず、プロジェクトが動きだしてからは、自分が別府で映画を撮る意味も考え始める。
本当に基礎が全く分からないので、一旦映画制作は諦め、映像の基礎を学べるように、映画用の資金として貯めたお金で福岡へ居を移し、映像関連の勉強ができる準備を始めたのが今月の話。
その自分がイメージした作品に、この画角で別府の風景を入れようと、自分の頭の中にだけ作っていた画が、そのまま『ふちいし FUCHIISHI』にバンバン登場し、かなり焦った。
作品のテーマ性、方向も似たようなベクトルだったので
「この作品を発表された後で、自分が映画を撮る意味があるのだろうか?」
考えるが答えは出てこなかった。
23日『ふちいし FUCHIISHI』舞台挨拶
ちょっとだけ早めに劇場に着いたが、早く来過ぎたようだ。
列整理のスタッフが
「席は指定になってますので、30分後にまた劇場へお越しください」
と、声掛けをしている。
久し振りに別府の町を歩いてみる。
ちょっと離れただけなのに、何か懐かしく感じる。
30分潰すのには、別府の町を歩くのは良い時間だった。
劇場3階に入り、自分の指定席を確かめる。
通路沿いの席でホッとする。
途中退席するのは確定なので、人をかき分け通路まで出るのは気が引けていたのだ。これで帰りの心配が少し減った。
上映前に、森田さん、劇場マネージャー実紀さん、スタッフのヒロキくん、ジローくんには、途中退席で今日は帰ることを伝え、お礼を述べる。
本当に毎回、夢のような時間を作ってくれて、感謝のしようがない。
照さんには、タイミングが合わず伝えることができなかったが、これで劇場を後にするのに思い残すことは無さそうだ。
昨日よりは、前の席で『ふちいし FUCHIISHI』を鑑賞、2回目でも色々と発見がある。
シーン、シーンで自然光を上手く使ったカットだなと思う画や、ちょっとこだわって撮ってるなと思える色のシーンなど、細かい所に意識が行く。
大分のニュース番組だったと思うが、齊藤工監督、撮影スタッフが、別府ブルーバード劇場前で安部賢一さんが歩いているシーンを撮影するのを、テレビクルーが横から撮っている映像があった。
その時、照明スタッフは居らず、カメラもかなり小さい印象だった。
照明スタッフがいないのに、空気感が伝わるような映像が多く、画としても説得力があるなと思いながら観ていた。
そして、上映は終わり、森田さんの司会で舞台挨拶が始まる。
時間を確認すると、ギリギリまで聞けたとして22分、余裕持って劇場を出るとしたら17分。別府15:20発のソニックで福岡に戻らなければならない。
森田さんの呼び込みで、齊藤工監督、安部賢一さん登壇。
「皆様、後ろをご覧ください」
という森田さんの声に、皆後ろを振り返るが、自分の座った席からでは目の前に齊藤工監督と、安部賢一さんが現れる。
後ろを見ていて、登場シーンを見逃してしまった。
齊藤工監督が、自分の前の席の女性に
「後ろじゃないよ、こっち、こっち」
と、声をかけられ女性は飛び上がっていたが。
安部賢一さん、齊藤工監督が登壇挨拶をする
「客席にだいぶ出演して下さった仲間達の顔ぶれが見えます。別府の地で別府の方達と作らせていただいた作品が別府でお披露目することができて、本当に幸せに思ってます。昨日もプレミアがあったんですけど、マスコミさんが入ってて世も世なんで言葉を選んでたんですけど、今日はそれが無いので…… news zeroさんのドキュメンタリーは入っているので」
ここから、齊藤工監督、森田真帆さん、安部賢一さんのnews zero、ヨイショ合戦が始まる。
『零落』の舞台挨拶の時に、
「僕は長いものに巻かれろですから」
と言っていたが、その言葉を地で行くような、ここで文字に起こしてしまうと、いくら力のありそうな齊藤工監督でも、少し立場が悪くなりそうなので割愛します。
でも、冗談抜きで、ローカルの活動としての別府短編映画制作プロジェクトを、全国区で取り上げてもらえるので、活動の意義を関わったスタッフとして改めて感じられるのでありがたいと、噛みしめるように話していたが、またまたnews zeroのヨイショに戻っていく齊藤工監督だった。
そこから着席し、トークが始まるかと思いきや
「昨日は色んな方達がいらっしゃって、舞台だけで話をしてましたけど、今日は、せっかくですから、皆さんの質問なんかを」
えっ!
森田さんはいつも質問は、トークの最後に行うのが恒例なんだけど、今日は初っ端から質問コーナーにつなげてくれた。
「観た直後の方の忌憚ないご意見とか、質問がもしあれば、勇気をもって」
と齊藤工監督が話ている間に、もう帰る時間が決まっているので、速攻手を挙げる。
「あっ、早い、早いですね」
と、森田さんがどう質問を受けようか考えているようだった。
マイクを待っていたら、時間が無くなってしまうと思い
「地声でいいですか?」
と尋ね、そのまま質問をした。
「少数精鋭で撮ったと思われるんですけど、照明なんかは、直接の光とか非常にこだわっているように見えたんですけど、撮影の時に照明の無い状態でのこだわりってありましたでしょうか?」
齊藤工監督からの答えから、自分の質問以上に撮影の方法選択とか、質問の深い意図を汲んでいただけたのが分かる。
「撮影方法どうしようかと、カメラどうしようかと、非常に悩んだ結果、すごくポジティブな意味で、全編iPhoneで撮りました」
会場からエーーーッと声が上がる。機種はiPhone13Pro
「なぜかってというと、光の具合っていうものの感度がとても高いんですねiPhoneは。僕も出演して全編iPhoneで撮影した『麻雀放浪記』という白石和彌監督の作品とか、庵野秀明さんが現場でiPhoneを上手く活用されているという実態のもと、撮影、編集してくれた清水康彦さんと、iPhoneで行こうっていうことになりまして、作る光というよりは補填しないで天然のものを切り取るという性能に賭けたという所はありますね。更に良かった点としては森田真帆さんが同じiPhone……」
すると、森田さんがおもむろに自分のiPhoneを取り出し
「私のは、iPhone13Pro MAX」
と言うと、被せるように齊藤工監督が
「サイズがデカイだけなんですけど」
と、容赦無く切って落とす。
爆笑する劇場の観客達。
「自慢気に出してますけど、僕ら撮影終わって東京帰った後、実景とか、この画が欲しいって補いたい時に、森田さんそれ見せて貰っていいですか?」
再度、iPhoneをかかげた森田さんが
「Pro MAX」
また自慢げに自分のiPhoneを見せつける。
「iPhone 13 pro MAXね」
ここで、齊藤工監督が、詳細な機種名を繰り返すが、これはかなり意味がある訂正だったと感じた。
「後で撮ってもらったものを更に付け加えたりして……」
すると、森田さんがスタッフを紹介しながら
「今、動画撮ってくれている曳潮くんっていうスタッフが、色んな所を回ってくれて……」
と、説明する森田さんに、また被せるように
「ごめんね。我儘ばっかり言って」
と、曳潮くんに謝る齊藤工監督。
「曳潮くんお疲れ様、ありがとうございました」
という森田さんの言葉に会場から拍手が自然に沸く。
「たぶんラストシーンとか、港であるという別府湾が、実は撮影の中でそこまで映し切れなかったんですよ。haruka nakamuraさんの楽曲にさざ波の音があったりっていうことで、やっぱり海の街であるっていうことが、しかも季節によって見え方違ったりするので、それを追撮してもらったり……」
その後、齊藤工監督から
「メチャクチャいい質問、ありがとうございます、地声で」
と言われ、あぁ、齊藤工監督を質問で響かせることができたんだなと、地味に嬉しくなった。
もう帰る時間が迫っているので、お礼だけでもと思い
「ありがとうございました。庵野秀明さんのドキュメント観たんで、お話ためになりました」
と、またも地声でお礼を述べる。
その後、森田さんが役者としてのiPhoneでの撮影について、安部賢一さんに
「安部さんも、iPhoneってカメラでガッと撮られるよりは、役者として自然に演技ができたんじゃ?」
と聞くと
「撮影自体そもそも、よーいスタートとか、カットとかみたいな感じではないし、照明をセットしないことで撮影のスピードも早くなるんですよ。そこの空気をそのまま切り取れるし、待ち時間が少ないし」
との安部賢一さんの返答。
「言われてみれば、齊藤工監督が、よ~~い、ハイって感じじゃ無いですよね。監督として」
との森田さんの言葉に
「監督も含めてなんですけど、全員が雰囲気を作って、音楽とか流してその空気感をみんなで切り取ろうって、みんな一致団結して撮影に臨んでました」
と役者側からの現場の雰囲気を伝える安部賢一さん。
最後には、
「逆にいうと、照明部さんの力を使って陰影で描ける力強い画も沢山ある。iPhoneの性能で照明の役職を奪われる未来というのは僕は望んではない」
と、従来の撮影方法も尊重する齊藤工監督の意見で締められた。
この話を聞いて1番最初に感じたのは、これから映画を撮ろうと思う若い人の映画制作の敷居が下がり、思いも寄らない凄い作品が生まれるんじゃないかという予感。
映像作品として機材選びというのは非常に難しい。自分の狙う映像の質感だったり、色味だったり、それを捉えるのに1番相性の良いカメラやレンズを探すだけでもかなりのトライ&エラーが必要になるだろう。
自分は齊藤工監督作品で、『blank13』の画作りに衝撃を受けた。
借金取りが家に来て、カレーの匂いを漂わせながら居留守をするシーンとか、もう蓋をして誰にも知られたくないような状況を切り取って画にしてさらけ出す。また、その空気感がエグいくらいに伝わってくる。
他にも自分だったらとても表現したくないと感じる、ちょっと暗い部分を容赦なく画にした作品だと思った。これでコメディが原案なんて信じられなかった。
そんな画作りをする監督が、選択肢としてiPhoneを選ぶということで、妥協では無くて、挑戦的な意味でプロとしての映像レベルを身近なものに引き寄せ得たと思う。
また、追撮をしやすいということも利点だろう。
追撮の映像を本編と合わせるのは、一般のカメラだと非常に難しいと思う。カメラとレンズ、そして撮影の設定等、詳細な調整を行いながら、それでも映像を慣らすのに骨が折れるのではないだろうか。
同じカメラの機種、レンズの種類が準備できるとは限らないだろう。
それがiPhoneだと調整にそれ程労力を費やさない気がする。量産型のスマホの利点を最大限に活かした機能的な使用方法だと思う。
質問への返答中に『iPhone13 Pro』という詳細な機種名を強調したのは、12と13と14で、映像の違いが生じることを実感しているからではないだろうか。ただ、同じ機種であれば、それ程の違和感を感じず、編集で動画をつなげることができるといった手応えを今回の撮影中に感じたのではと思った。
もっというと、iPhoneがあれば、どこにいようが作品を作ることができるし、海外の映像作家と共同制作するような映像作品が増えるのではないだろうか。そうなると、監督というのは、撮影する側としてではなくて編集を行う決定権を持つ人の意味あいが、今後強くなっていく気がした。
岡本喜八監督と、庵野秀明監督が対談した動画がyoutubeに上がってあり、その中で
「監督として、編集する権限を持っている監督が1番強い」
と、ふたりが話していたのを思い出した。
それから、安部賢一さんをお風呂で接写する清水康彦さんについての話に移る。安部賢一さんは必要上全裸なのだが、全然必要のない清水康彦さんも、
「いや、俺も」
と、撮影を全裸で行ったとか。
それについて、俳優に対しての心意気と説明する齊藤工監督だったが、そろそろ退席の時間が来たため、舞台上にiPhoneを構える清水康彦さんを再現する安部賢一さんの姿を見ながら劇場を後にした。
通路を抜けてすぐに、マネージャーの実紀さんとスタッフのヒロキくんが居たので、途中退席を詫びつつお礼を再度、劇場階段では上映映画の感想を良く話し合う後藤くんも居て、お別れの挨拶をして別府駅へと向かう。
追記
ここから先は、ほぼ私信となります。
齊藤工監督作品『ふちいし FUCHIISI』の内容にも触れてますので、もしこれを読もうと思う特異な方がいらっしゃいましたら、『ふちいし FUCHIISI』鑑賞後にお読みになることをお勧めします。
寂しさを感じながらも、博多行きのソニックで隣になったチリ人のスティールカメラマンと話が弾み、youtubeで自分の好きな映像作家の林響太朗さんの映像を観せたり、その映像に興味を持ちBump Of Chikenのオフィシャルサイトをお気に入りにしてもらえたり。
参戦予定のライブには開演2分前に席に着け、それから怒涛の時間を過ごし、全てを出し切ったり、中々の2日間を過ごした。
明けて月曜日には、夜行の高速バスに乗って、愛媛県の松山市へ向かう用事があり、慌ただしく過ぎていく時間の中でこんなTweetを発見した。
胸の中に静かな冷たい沈黙が広がる。
かける言葉を探す。
でも直接かけるのを考えてしまう。
届く、届かないは別として
ここに少しまとめようと思った。
2018年から、別府ブルーバード劇場で、沢山の貴重な時間を頂きました。それは自然に生まれた時間ではありません。
森田さんの心配りや、気遣いの中、生まれた時間です。
今回、齊藤工監督に真っ先に質問でき、とても素敵な回答をもらえたのも、途中退席を伝えたことを汲み取ってくれ、質問コーナーを早めてくれた森田さんのお蔭だと思っています。
気にしないでって言われても
失敗した時にそんなことできるはずないですよね。
時間が過ぎたら笑い話になりますよって言われても
渦中では笑うどころか涙が出てきます。
森田さんが別府ブルーバード劇場をサポートし始めて
色々失敗やトラブルがありました。
映画祭でメインで呼ぶはずだった友達が、急遽体調不良で来れなくなり、長文のお詫び文を劇場前に出したこと。
映画祭で監督が登壇する短編映画のラスト1分程を上映せず終わらせてしまったこと。
映画祭で多くのお客様を迎えたにも関わらず、収支が赤で終わってしまったこと。
昭和の頃の映画館を再現するんだと、映画祭の入場をお客様に並んでもらい入場対応しようとしたら、あまりの長蛇になりお客様からクレームが来たこと。
登壇してもらうはずだったゲストを呼び込むのを忘れて、最後の最後に少しだけの登壇になったこと。
もう、ブルーバードのサポートは止めると言い出したこと。
笑い話になっているでしょうか?
今回のコンパルホールのお客様の人数を
全員失敗にカウントしたとしても
その何倍、何十倍の観客を
笑顔に
キラキラした目に
夢見心地にしてきたはずです。
大丈夫、絶対笑い話になります。
問題ないです。
それでも自分を責めてしまうようだったら
縁石を踏み
ブルーバード劇場前から空を見上げて見て下さい。
たぶん、UFOは見えないでしょう。
でも、ちょっと鋭い効果音の後に
見上げた顔を前へ向けると
虚ろな目をして劇場を見上げている
昔の自分に会えるかもしれません。
何を伝えますか?
昔の自分には、『ふちいし FUCHIISHI』とは違い
今の自分が見えていないかもしれません。
背中を押すか、手を引きながら
劇場に誘うんじゃないでしょうか。
「今、『百円の恋』の上映やっているからどうぞ劇場へ入って。
観客全然いないでしょ?
でもね、もうちょっとして
齊藤工監督が舞台挨拶に立つ時は
この階段が人で埋め着くされ
外まで行列ができるんだよ。
最初の登壇の時とかお客さんの列が別府駅の方まで伸びて
ビックリして慌てて、手作りの抽選くじ作って引いてもらったりして
ハズレて泣き出すお客さんがいたり……」
話しかけても声は届かないかもしれませんが
昔のあなたは見えないあなたに導かれるように
フラフラと劇場に足を運ぶでしょう。
劇場の席に座った自分に
「大丈夫、今は映画を愛せているから。全力で取り組めているから」
そう言いながら
虚ろな目の自分にお煎餅を渡してみてください。
昔のあなたからは、見えないはずのあなたが
照さんに見えるかもしれません。
大丈夫
その時から、ちゃんとバトンは渡されています。
その証拠に、沢山の悲しみや、失敗を経験し
なお笑顔で映画と共に歩んでいる
照さんがあなたの側にいつもいます。
そして、失敗はつきものです。
なぜなら、あなたが携わっているのは映画だから。
波風の立たない映画なんて
どこにも存在しないのです。
あなたの人生が
まさに映画そのものですから。
大丈夫、絶対笑い話になります。
問題ないです。
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