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WSO2020春カンボジア

猛暑のカンボジアから極寒の東京に帰ってきてはや5日、ずっと頭の中で渦巻いていたものをようやく文章にしたいと思います。

どんな媒体に記そうか迷ったものの、分量が膨大になりそうだったのでnoteを活用することとしました(どんなに想いを込めて文章を書いても、瞬く間に流れていってしまう各種SNSへのささやかな反抗心も込めて……)。

経緯

2020年2月19日〜27日、ワールドシップオーケストラ2020年春カンボジアプロジェクトに参加してきました。自分にとっては、これが人生で2度目のワールドシップ参加でした。
前回参加したのは5年前、まだ大学に入って1年も経たない頃。たまたまFacebookでユースオケの先輩が宣伝していたのが目に留まり、得体の知れない謎の団体にビビりつつも思い切って申し込みをしたのを覚えています。

「世界中の子供たちに、はじめてのオーケストラ体験を」という言葉に心惹かれて参加したカンボジアツアーでの経験は、それまでどんな国で演奏しても得られなかった強烈なインパクトとカルチャーショックを与えてくれました。音響は悪い、楽器はフルで揃っていない、観客の子供たちには拍手の仕方からレクチャーする。それなのに奏者は全員全力で、心の底から演奏会を楽しんでいて、演奏が終われば子供たちが猛烈な歓声と満面の笑顔で迎えてくれる。その状況が咄嗟には理解できず、しかしあまりにも強烈で楽しい音楽体験に、冗談抜きで人生を変えられた瞬間でした。

なぜ参加したのか・なぜ5年も参加しなかったのか

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プロジェクトの途中でも少し話していたのですが、自分にとってワールドシップは決して「居場所」ではありませんでした。といっても決してネガティブな意味ではなく。ただ漫然と居続けることで満足できてしまうような場所ではなく、普段淀みなく流れている、流れてしまっている人生において、「お前はそんな生き方でいいのか?」とぶん殴ってくれる貴重なイベントであり、人生のセーブポイントのような存在であると捉えていました。

今回、4月から(ようやく)社会人になるタイミングを迎え、改めて自分の将来像をイメージした時、その将来像を形作ってくれた1つの大きな存在としてのワールドシップを思い出し、「そろそろまたここでぶん殴ってもらう時が来たかな」という気持ちから参加を検討することに。

とはいえ、5年間というブランクへの尻込みと、5年前の鮮烈な思い出を汚したくない迷いから、参加するかはなかなかに迷いがありました。最終的にはフィロの後輩に半ば強引に引き摺り込まれて申し込みをしたわけですが本当にありがとう感謝しています。

何をしたのか

練習して、演奏して、食べて、演奏しました。

演奏曲は以下の通り。
・アルヴァマー序曲
・「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ
・きらきら星のお話
・ジョン・ウィリアムズメドレー
・ピアノ協奏曲第一番/プーランク
・「三角帽子」より抜粋
・Arapiya

ここからしばらく絵日記が続きます。

2/21:学校訪問演奏会

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今回唯一の、いわゆる学校訪問演奏会。炎天下、屋根もほとんどない環境ながら、数百人の子供たちを前に演奏&楽器体験。最初は普通に座っていた子供たちも、演奏が進むにつれて指揮者の下に入り込むくらいグイグイと前のめりに。

2/22:絆フェスティバル

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5年前も来ました絆フェスティバル。グランドピアノがある恵まれた環境の中で、ほぼ満員のお客さんの前で演奏する経験は、日本では当たり前の光景かもしれないけれどやはりどこかが少し違っていて面白い。

2/23①:マーチングバンド訪問

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今回が3回目の訪問らしいと聞きました。弦楽合奏はありえん可愛く、Saxアンサンブルは表現力に驚嘆し、みんなで演奏しながら歌って踊って、自由に音楽を楽しむ姿に感涙。

2/23②:イオンガーデンステージ公演

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野外で座席もほとんどない中、多くのお客さんが足を止めて笑顔で聴いてくれました。開演まで時間ができてしまったので「プレコンやらない?」と軽い気持ちで声をかけたら、弦楽四重奏、吹奏楽の宝島、日本語合唱が突発的にスタート。このメンバーの、音楽を全力で楽しむパワーと、それが聴き手を巻き込んでいく様子にまた感涙。

2/24:イオンホール公演

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最終公演。コンサートに行く習慣がないということで集客が危ぶまれていたものの、ホール前での全力の宝島効果もあってかなかなかのお客さんに来ていただきました。個人的にはミスを連発はしたものの、プーランクのソロ部分は割とよかったんじゃないかと自負してはいます・・・。

2/25:現地観光

メインの目的地はトゥールスレンとキリングフィールド。この地が抱えている負の歴史を酷なほど鮮明に学び、プロジェクトの目的とカンボジアへの愛を再発見(どちらかと言えばプロジェクトの最初に行きたかった)。

何を感じたのか

こうやって振り返ってみると結構長かったなと思うものの、現地にいたときにはあまりにも時間が濃密すぎて一瞬で過ぎ去ってしまい、その中で感じたいろいろなことも言語化できないままバタバタと終わってしまったので、強いていくつかの感情を言葉にしたいと思います。

①音楽を演奏できる喜びと特殊性

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ほんの40年前にポル・ポトによって文化が破壊されてしまったカンボジアで、バイオリンを弾き鳴らすということがどれほど恵まれているのか。5年前も同じように感じ、今回もまた、感じずにはいられませんでした。決してクラシックが偉いとも、みんなオーケストラを聴くべきだよとも思わないけれど。それでも1つの選択肢としてクラシック音楽というものがあって、それを楽しむことを誰にも邪魔されず、それを通して人とつながる自由が保障されている、その環境のありがたさを感じざるを得ません。

そしてこれを書いているつい2日前、WSOフィリピンプロジェクト中止の報に接しました。自分は参加者ですらないため、そこに何もいうことはできないけれど、それでもこの素晴らしい機会が誰のせいでもなく奪われてしまったことは事実であるし、WSOだけではなくありとあらゆる演奏会が「自粛」の波に飲まれてしまっている。仕方のないことだと思います。仕方のないことだと思うけれど、そう簡単には割り切れない。日本においてでさえも、音楽を自由に楽しむことがこんなにも制限されうるのかという衝撃を受けたここ数日でした。

音楽は食べ物のように生活に必要不可欠ではなくて(と少なくとも思われていて)、何か有事があれば真っ先に切り捨てられてしまう。それでも、これまで20年以上様々なラッキーに恵まれて音楽を続けてくることができました。情勢の安定した国と地域、親の勧め、先生の支え、仲間の存在、自分の中のわずかばかりの才能。そんなラッキーの積み重ねの上で音楽をできている喜びと、それをカンボジアという土地で何かに還元できないのかという思いと・・・。

②音楽に一体何ができるというのか

1ヶ月ほど前、坂本龍一氏の新聞記事をTwitter上で目にしました。被災地でのオケ公演を前に『音楽の力』について問われ、「音楽の力なんて恥ずべき言葉だ」「感動するかしないかは個人の勝手」「音楽家が癒してやろうなんて、こんな恥ずかしいことはない」と回答されている記事。読んだ瞬間、強いショックを受けました。

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自分自身は熱烈な「音楽の力信奉者」なので、なんとかしてこの主張に反論できないか延々と考えていたのですが、考えれば考えるほど「この主張も一理ある」となってしまい。悶々と悩んでいたのですが、このプロジェクトで演奏を積むにつれ自分なりのアンサーを捻り出しました。すなわち、「音楽を本気で演奏する演奏者とそれを聴く観客が一体となった瞬間、そこには確かに「力」が存在し、それは観客のためだけのものではなく演奏者のためのものでもある」(長い)。

「誰かのため」という気持ち100%で演奏できるほど、自分は器用な人間ではないけれど、少なくともカンボジアプロジェクトに集ったメンバーは皆音楽を本気で楽しんでいて、「音楽の力」云々の話はまずそこからなんじゃなかろうかと。本気で練習し、勉強し、楽しみ、その上で出来上がった音楽が、運良く誰かの心を動かすこともあって、それがいわゆる「音楽の力」というものなんじゃなかろうかと思うようになりました。

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なんだかんだ理屈をこねつつ、結局自分はカンボジアという地で自分の知らない音楽を発見することに一番ワクワクしているし、あまり大上段に構えすぎず演奏者たる自分を真っ先に楽しませるプレーヤーでありたい。それと同時に、聴衆の存在に意識を向けつつ、「楽しませる」のではなく「一緒に楽しむ」姿勢を忘れずにいたいものです。

③音楽を作る楽しさと、責任と

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最終公演の後、夕飯を食べながら「プーランクみたいな難解な曲やって、子供たちにはどんな風に届いたんでしょうね」と話していた時。少し酔ったマエストロがこんなことを言っていました。「でもカンボジアだとベートヴェンの運命も全然有名じゃないからね。いわゆる有名な曲をやったら反応がいいってわけじゃないし、逆にそういう子たちがプーランクを聴いてどう思うのかはわからないよね」

ハッとさせられました。音楽というものをフェアに眺めているつもりでありつつ、結局自分のモノサシでしか測れていなかった。

しかし同時に、この上ない可能性もあるんじゃないだろうか?とも感じさせられました。自分より遥かにフェアな目で音楽を見つめてくれているカンボジアの子供達が、クラシック音楽の前知識なしに、シンプルに自分たちの音だけを聴いて何を感じてくれるのか。ワクワクできるのか、いい意味での気持ち悪さを感じるのか、何もわからないだけなのか。そのリアクションをもっと知りたいし、より多角的に音楽を捉えるヒントがそこにはあると感じます。

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一方で、ピュアな目で見られるからこその責任も伴うことは否定できません。このカンボジアの地では、ポル・ポトが音楽の力を独裁に用いていた事実があることを、キリングフィールドを訪れた際に初めて学びましたが、これは坂本龍一氏がインタビューで答えていたこととも重なります。あまりに大げさがすぎるかもしれないけれど、それだけの力がある音楽というものを、自分自身がどう使っていくのか。使っていきたいのか。

なぜまた行くのか

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今回がワールドシップ最後の参加かなぁと勝手に思っていたのですが、もう今から次の夏プロジェクトを心待ちにしているくらいには参加する気満々マンとなってしまいました。

カンボジアが好き、メンバーが好き、いくらでも理由は挙げられますが、一言で言えば「もっと全身で音楽を楽しみ続けたい!」からなんじゃないかと思います。とはいえ、漫然と続けて参加するのではなく、自分の人生の節目となることを意識しつつ、大事なセーブポイントとして全力で臨みたいものです。

最後に、今回のプロジェクトに参加した皆様、本当に、本当にありがとうございました。最高の出会いに、心から感謝しています。

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