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【シン・ウヨク論1】ボクがウヨクになった理由

 平成もいよいよ終わりになろうという昨今ですが、日本だけでなくアメリカでもヨーロッパでもナショナリズムが台頭していて、「アメリカ・ファースト」を唱えるトランプ大統領しかり、中華思想を掲げる中国しかり、あるいは移民排斥のヨーロッパやEUを飛び出すイギリスなど、リベラルとナショナリズムの間で大きなうねりが生じている激動の時代を迎えていると思います。

 そんな中で、わたくし、吉家孝太郎は「自分は、どんどんこれから右傾化してゆくだろう」という実感があります。それは単なる尊皇攘夷っぽい感覚でもないし、ましてや世間にはびこる「ネトウヨ」的なものでもありません。

 しっかりとしたエビデンス(証拠)や理論に基づいて、このセカイを学べば学ぶほど、

私達は右翼にならざるを得ない

という実感を持って書いています。そこで、この自分なりの「右翼」論をこれまで誰も使っていない「シン・ウヨク」という手垢のついていないワードを用いて、考えてゆこうと思っています。


  私の主ブログである

では、これまで「実国学」という視点でこの「シン・ウヨク」の考え方をまとめてきましたが、もうすこしわかりやすいワードで書き直していこうと考えています。


 シン・ウヨクの視点は、いわゆる一般的なネトウヨとも「右翼」主義とも多少異なるかもしれません。最初に吉家なりの「シン・ウヨク」のポイントを提示しておきましょう。

◇ 皇室は日本国民のまさしく象徴である。崇敬することはあっても、崇拝するものでも、統治をすべきものでもない

◇ 日本の国体、国の基本的なあり方は保守であるべきである。

◇ 外国からの移民、在日の外国人については、一時滞在・短期滞在はあってしかれども基本的には受け入れるべきものではない。

◇ 憲法のあり方は、究極的には自主自立自衛の考え方から、国軍を持たざるを得ない。


 こうした視点のベースには「本領主義」という吉家独自の考え方があります。

 ”本領”とはまさしく「本来の領地」のことで、

それぞれの氏族や民族は、おのおのが開拓開墾開発した土地を、みずからの本領として暮らしてきた歴史があり、その本領を維持し守ってゆくことが国体である

という考え方に基づきます。

 この考え方から言えば、日本人は日本という土地を開拓開墾開発し守り育ててきたので、戦前の日本が行ったような大陸への進出は、不要であるということになります。せいぜい、北海道開拓までが、近代国家として成立した日本国においては「我々の本領」と言うべき土地でありましょう。

 逆に言えば、戦後の混乱で日本に定着した「在日外国人」については、「彼らの本領である場所へ戻っていただく」というのが、明らかに筋です。彼らの本領はここではない場所なのですから。

 シン・ウヨクの思想は、排斥主義・排外主義ではありません。なので「外国人は出てゆけ!」と声高に叫ぶこともしないし、在日朝鮮・韓国人を差別するものでもありません。ただ単純に「おのおのの本領に民族、氏族はあるべきである」というストレートなことを主張するに過ぎません。

 日本人の祖には、大陸から渡ってきた渡来人もたくさんいます。そうした人たちが私達の祖の一部になっていることも重要です。ですから、中国人や韓国人などのアジアの他の地域の人たちを排除するものではなく、ただ、多くの渡来人がそうしたように『日本に帰化する』という選択をするか『本領に戻る』かの選択しかない、ということなのです。

 日系ブラジル人や、日系ハワイ人などの血のつながりのある人たちもたくさんいます。彼らは「日本という本領、外国という本領」の2つを有していますが、どちらかを選択し、おのおのの生き方を決めるということが、日本との関わり合いにおいては重要だと考えます。


 シン・ウヨクは本領主義です。「私達の領地・領土は自分たちで自律し、また守らねばならない」ということが原理原則です。そうなれば、現在のアメリカ庇護からも離れて、最終形態としては、「日本を守るためのフォース(軍事力)」は、持たざるを得ないでしょう。それもまた、認めなくてはいけない当然のことです。


 天皇家は、崇拝すべき対象とは考えません。なぜなら、私達日本人の多くに、天皇家のDNAが流れているからです。源氏や平氏といった直接的な子孫もいれば、藤原氏などの天皇家側近の子孫もたくさんいます。

 藤原氏が摂関政治を行い、将軍家が代理統治を行ったのは「自分たちはもとから天皇家の側近である、あるいは天皇家の子孫である」という自負があったから行えたのです。

 であれば、天皇の子孫である源氏の子孫、平氏の子孫は、天皇家を崇敬するなら子孫である自分たちもまた崇敬されるべきである、ということになります。

 それが戦国時代までの各氏族が、それぞれの土地を領有する「根幹的な理論武装」でした。

 つまり、天皇家は、わたしたち国民全員にとっての「本家」に相当するから崇敬の対象であり、かつ「国民・国家の象徴」足りえるわけです。

 その意味では現在の日本における天皇家の位置づけは、全く持ってふさわしいといえるでしょう。


 一般的な「家」にとって「本家」がなぜ特別なのかは、本家だけに特別な機能があるからです。けして私達は本家の家臣でもなければ従属しているわけでもないけれど、本家を特別なものとして大切にします。

 その理由はたったひとつ「先祖の祭祀を継承しているから」に他なりません。つまり本家とは「祭祀の継承役」だからこそ、重要なのです。

 天皇家もまた「国家における氏族全体の祭祀の継承者」です。私達が源氏や平氏の子孫であるなら、おおもとの本家本元の祭祀を継承しているのが天皇家だからこそ、「国民の象徴」足りえるのです。

 天皇の仕事の多くが、宮中祭祀であることは、これにぴったりと符号します。

 天皇家が大切なものであればあるほど、その子孫である私達も大切な存在だ、というのが「シン・ウヨク」の考え方です。わたしたちはかつてどこかで「臣籍降下」させられた天皇家の末裔だからこそ、国民と国家は一体となって、「大切にされるべき」ものなのです。

 けして「国家のために国民がある」のではありません。保守国体が大事であればあるほど、個々の国民も大事にされるべきである、という視点がシン・ウヨクの真髄です。

(つづく)




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