「LINE教えて!」が流行ったころ、とにかくメールを使い続けていた。
高校入学時(2010年)、わたしたちはガラケーで、「メアド教えて!」と声を掛け合っていた。
大学入学時(2013年)、わたしたちはスマホで、「LINE教えて!」と声を掛け合っていた。
「LINE教えて!」が流行ったのは、連絡をするという『手段』が『コミュニケーション』に昇華して、バリエーションが生まれはじめたころだったからだと感じる。
つまり、「連絡を取ること」のハードルが下がり、「LINEを交換すること」「LINEをすること」自体に楽しみが生まれたから。
今はコミュニケーションをとるために、Twitter、Facebook、Instagram、Youtubeなどなど、本当に様々な『手段』が生まれたと思う。(SNOW、Tiktok、MixChannelなどもそうだが、使ったことがないので割愛)
LINEがどうしても嫌いだった
LINEはメールと決定的に違う点が2点ある。
1. 短文でポンっと送れてしまう。
2.読まれたかどうかが互いにわかってしまう。
だ。
大学1年生のころ、頭を使わずにポンっと送れる感じに脳の退化を感じ、「LINE怖い!使いたくない!」と拒否反応が出た。
それから、時を同じくして「わかる!」と共感してくれた友人とLINEをやめた。
そしてクラスメイトに、「ごめん、グループラインで話が進んだ内容があったらメールで送ってくれる?」とお願いした。
「メールっていいね。なんか心こもってる感じがする」
申し訳ないと思いつつも、Sちゃんという女の子にメールを送ってもらう役割を頼んでいた。6回くらいお願いしたころ、Sちゃんから、「メールっていいね。なんか心こもってる感じがする」とメールが来た。
その時に思った。
「あぁ、LINEを使っていようがいまいが、この、「心がこもっている」という感覚を共有できる人が少しでもいるのなら、それだけで十分だ。」
そして、次の日からLINEを使いはじめることにした。
自分が心のどこかでは、「絶対にLINEの方が便利」と思っていたのも知っていた。
だから、Sちゃんのその一言で、「心を込めてLINEを使えればそれでいい」と感じたのだ。
今では「チャットが便利すぎる」の感覚に
あのころのわたしは、ただただ新しいものを受け入れることに対し、丁寧だったのだと思う。18歳のわたしは確かに慎重だった。
でもあれから5年とちょっとが経って、新しいものにはどんどん興味を示し、とにかく使おう!という気持ちになっている。(使うかどうかの感覚自体が大分研ぎ澄まされているので、使おう!と思う時点で、取捨選択はできている)
今チャットワークやSlackベースで仕事ができていることも、とても嬉しい。
今月転職したのだが、まだ一度もメールを使っていない。(ちなみに固定電話もなくて最高)
なんと便利なことか。
「LINE教えて!」すらダルい
今の女子高生にとって、LINEの交換はダルいものらしい。TwitterやInstagramのDMで送ればいいじゃんという考えだから。
ただこれも半年以上前に仕入れた話なので、今は既に違う常識ができているだろう。
メールや手紙を送る感覚
必要のないことには心を使いたくない。
でも、大切にしたいことには、何度も書き直してやっと送るメールや手紙のあの感覚を、ずっとずっと使っていこうと思う。
生きる。 解釈が交わる世界で、手を取り合いましょう。