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尺間経 とは?

尺間経(しゃくまきょう)


仰(そもそ)も尺間山愛宕将軍地蔵大菩薩  十二八天狗と申し奉(たてまつ)れば 本地は十一面の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)本動躰(ほんどうたい)は 御薬師如来(おやくしにょらい) 形(かたち)は普賢(ふげん)文殊(もんじゅ)と顕(あらは)せ給(たま)ふ

世上(せじょう)の願蒙(ぐわんもう)を開(ひら)かせ給(たま)はんが為め 養老元年(ようろうぐわんねん)六月廿四日 天竺(てんじく)竜海山(りうかいざん)より 此朝(このちょう)に天降(あまくだ)らせ坐(ましま)す

されば其の日の御装束(おんしょうぞく)は一ぱ肌には 蜀紅(しょくかう)と申(まう)す錦(にしき)の御直垂(ひたたれ)を御召(おんめ)し 御身(おんみ)には黄金(おふごん)の鎧(よろい) 頭(こうべ)には八葉銅(はちやうどう)と申す兜(かぶと)を戴(ちゃく)し 御足(みあし)には九萬鐐(くまんれう)と申す鉄(くろがね)の靴を踏み左の御手(おんて)には真文(しんもん)と申す鈷鷹(こたか)の印を結ばせ給ひ 右の御手(おんて)には錫杖(しゃくじょう)の杖(つえ)を究(つか)せ給(たま)ふ

三萬六千の大天狗(だいてんぐ)小天狗(こてんぐ)を召(め)しつれ 日本国中(にっぽんこくじゅう)山々(やまやま)嶽々(たけだけ)深山深谷(しんざんしんこく)名ある天狗(てんぐ)の住家(すみか)を探せば 吾(われ)の住(す)む所(ところ)は山城(やましろ)の国(くに)愛宕(あたご)の郡(こほり)京陽(きうやう)法師のおんでしなり日隠太郎坊(ひがくれのたろうぼう)とは身(み)が事(こと)也(なり

されば神(かみ)には父(ちち)あり仏(ほとけ)には母(はは)ありと言へども 吾(われ)には元(もと)より父も無く母もなし 生まれし所(ところ)もなし 死すべき終わりも無し

霧(きり)雲(くも)霞(かすみ)の立迷(たちまよ)ふ所(ところ)を住家(すみか)として 或時(あるとき)山頭(さんとう)に舟(ふね)を泛(うか)し 大海(たいかい)に火焔(かえん)を立て 胸に金剛霊錫杖(こんごうれいしゃくじょう)の音(おと)絶(た)へざれば 常(つね)に吹(ふ)き来る風は百八煩悩(ひゃくはちぼんのう)の眠(ねむり)を醒(さ)ます

就(よつ)て天狗(てんぐ)の力(ちから)を以(もち)て八萬(はちまん)有余(ゆうよ)の力 (ちから) 夕岳(ゆうがく)の外(ほか)朝(あした)の御霧(みぎり) 夕べの御霞(かすみ)を吹払(ふきはら)はんが為(ため) 鞍馬(くらま)に帰(かへ)り後(のち)に御山(みやま)に戻り 大峯(おほみね)を始(はじ)めとし 比叡山(ひえいざん)白石坊(しろいしぼう) 正竜が岳(しょうりゅうがたけ) 那智の岳(なちのたけ) 飛騨の石山(ひだのいしやま) 湯布が嶽(ゆふがたけ) 箱根が嶽(はこねがたけ) 筑紫(つくし)に海門(かいもん)冠(かんむり)が岳(たけ) 日本国中(にっぽんこくじゅう)取廻(とりめぐ)らん事(こと) 遍視(へんし)が間(あひだ)の有覽(ゆふらん)也(なり)

風(かぜ)は立(たつ) 木葉(このは)の影も残りなく向(むか)ふ悪魔を吹払(ふきはら)ひ 験泰(けんない)達坊(たつぼう) 正達坊(しょうたつぼう) 天南坊(てんなんぼう) 三密坊(さんみつぼう) 金毘羅坊(こんぴらぼう)と敬(うやま)って申(まう)す

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以上が、「尺間経」というお経らしい。見ての通り漢文ではなく和文である。この「尺間経」は、大分県の霊山・尺間山の行者に伝わるお経らしく、母がその写しを持っていたので今は私がそれを受け継いでいる。

亡くなった祖母が、この「尺間経」というお経を誦じることができたらしいと、母から聞いた。祖母は生前「先生」と呼ばれていたある女性の拝み屋さんと霊場参りをしており、尺間山にも登っていたようなのである。尺間経はおそらくその時に覚えたか、「先生」から覚えるようにいわれ普段から読んでいたものと思われる。生前にもっと詳しく聞いておけばよかった。

祖母は非常に信心深い人であった。その祖母の方の家系(母方)は、昔の大家族制の名残を濃厚に残しているような家で、家父長が強い権威をもっており、親族同士の結束が非常に強いかった。その母方の親戚同士で毎年福岡県糟屋郡の篠栗町にある八十八箇所霊場のいくつかを回ったりしていて、私もそのお寺で安産祈願を受けて産まれたらしい。現代においては少し珍しい家系だったのかもしれない。

そんな祖母、母から尺間経を預かったとはいえ、いったい「尺間経とは何だろう?」と思ってネットで色々調べてみるがなかなかヒットしない。かといって周りに尺間経のことや尺間山について知っている人も皆無である。  私の中では謎のお経なのだ。

そもそも尺間山とはいかなる霊山なのかと検索してもなかなか出てこない。かつてはなかなかの名の知れた霊山だったらしいのだが、修験道が廃れてしまってからは修行をする人もかなり少なくなったのだろう。

いくつか、尺間山を知るための有用な記事を見つけたのでここに貼り付けておく。



http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=ss14705


http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/ss14804.pdf?file_id=3973

ちなみにこの記事に書かれているが、尺間山の神は京都山城の愛宕から勧請されたものらしい。 その他熊野信仰などともつながりがあるそうだ。

昨年、一度尺間山に登ったが、山の中腹までは車で行けるので頂上までも対して苦労せずに登ることはできる。 私が登ったときは頂上の尺間神社では、女性の神主?と思われる人が祝詞かお経を上げていた。 往時は登山者も多かったのか今は寂れてしまっている商店跡などもあったが、土俗の信仰が失われていく侘しさにしばらく付き纏われ、呆然としながら豊後水道を眺める他はなかった。




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