インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 3
続きから
佐々井秀嶺師は、龍樹(ナーガルジュナ)の夢告に従い、インドの最中央部、ナグプールまで赴きました。
ナグプールは佐々井師が来る12年前に、アンベードカルという不可触民(ダリット)出身の政治家が、数十万のダリットを引き連れてヒンドゥー教から仏教に改宗したところでした。
無論、佐々井師はそんなことは知る由もありませんし、アンベードカルのことも知りません。
英国からの独立運動、不服従で有名だったマハトマ・ガンジーは当時すでに有名でしたが、不可触民解放の為に尽力したアンベードカルは、国際世論の注意を呼び起こさなかったためか、またインド政府が意図的に無視した為か、あまり知られていませんでした。
佐々井師は、ナグプールに降り立ち、夜中に現れた龍樹(ナーガルジュナ)にそっくりな人物の肖像画がやたら掲げられていることに気がつきます。
それが、アンベードカル博士だったのです。
佐々井師はそこで、ナグプールが13世紀以来途絶えていた仏教の復活運動の発祥地だったこと、また肖像画の人物アンベードカルが、不可触民(ダリット)出身の新仏教運動のリーダーであったことを知ります。
彼は龍樹(ナーガルジュナ)に「南天竜宮城に行け」、つまり「ナグプール」に行け、と言われた意味を悟り、自分の逃れられぬ使命を突っ走ることになるのです。
アンベードカルが死去して以来、リーダーを失い、行き場がなくなっていた誕生したばかりのインド新仏教徒たち。
佐々井師はアンベードカルの意思を引き継ぎ、インドのダリット(不可触民)たちの差別解放や、インドでの仏教復興運動に身を捧げます。
彼は2009年に日本に一時帰国するまで44年間日本には一度も帰らず、今もナグプールの地で活動を続けています。
インド社会において人間として扱われず、カーストの最底辺にも入れない底辺の底辺の人たちを、ブッダの教え、またアンベードカルの思想でもって救うために。
佐々井師とインド新仏教及びアンベードカルに関しての、大まかなで雑な説明をさせてもらいましたが、私は、そんな「生き菩薩」のような佐々井秀嶺という日本人に一度会ってみたく、2012年の夏インドのナグプールに飛び立ちました。
続く