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制作日記「40歳になって考えた(略) 第3話掲載」

現在発売中の小説幻冬8月号にエッセイ漫画「40歳になって考えた 父親が40歳だった時のこと」第3話が掲載されております。今回は10Pです。
ぼーっとしてたらもう3話です。
この3話目くらいから本題に入ったような気もします。
本題といっても別に重要なことを言いたいわけでも、問題提起したいわけでもございませんので、気軽に読んでいただいて、うまいこと笑い話になってたらいいなぁー。という感じでございます。

そういえば文芸誌自体が電子書籍化していないんですね。
すれば今よりは絶対読まれると思うんだけど、なんでなんだろうか。今度担当編集者に会った時は聞いてみたいと思います。
というわけで今しばらく本屋で立ち読みしていただけますと幸いです。

先日取材も兼ねて大阪へ行き、本作にも登場する昔僕が住んでた団地を見てきました。
老朽化のためだと思うのですが、近々取り壊すらしく、現在住人の立ち退きを進めていて、立ち退きが済んだ棟には階段の入り口にベニヤ板が貼られ、立ち入り禁止になっていました。来年にはもうなくなるのかもしれません。
同じ町に現在の実家があり、そこに母が暮らしているので、そこにも訪れ、昔の写真を片っ端からスマホに保存してきました。
台紙が茶色くなったアルバムに挟まれている古い写真の中では、誰も彼もが笑っていて、パラパラめくっているうちに、「なかなかいい家庭じゃん」なんて思ってしまいそうになるのですが、それは昔のカメラはフィルムで、今のように好きな時に手軽にパシャリとはいかなかったし、つまり写真を撮る時は何かしらの記念日であったり、全体的に皆が機嫌のいい時だったからなわけで、そう考えると嫌だったことや最悪だったことは写真には写らないようになってるんだなーと思ったりしました。
あるいはそれは今もそうかもしれなくて、たとえば友達が真剣に横で泣いてるのに記念にパシャリなんてやってしまうと、絶対キチガイと思われてしまうでしょうから、やはり悲しいことは写真に残らないのかもしれない。

写真で一番確認したかったのは団地のレイアウトで、どこにどのタンスを置いていて(時折模様替えしてたんだけど)、カーペットはどんな感じで、部屋の感じはどんなだったか確認出来ればいいなーと思っていました。でもやっぱり家庭で撮られる写真は全て、必ず人物を中心に写真を撮ってるので、細かいところまでは確認できなかったんだけど、確認できた範囲だと漫画に描いてるほど、ボロボロな感じじゃなかった。
なんでだろ。うーん。もっとカーペットは穴だらけだった気がするんだけど。。。
というわけで、記憶というものも大抵当てにならないわけですが、本作は基本的にそのあいまいな記憶に忠実に描いております。
事実とは異なるかもしれないけど、なるべく記憶をそのまま描く。その代わり大袈裟に描くとか、いわゆる「盛る」ようなことはしないようにしています。
まあ短い本編に対し、あんまりごちゃごちゃ書いていも蛇足になるのでこの辺で。
団地を見てきた話でした。

今月の一枚


寄せられない男

最近の大ニュースといえばやはりTwitterが「X」と名前を変えたことでしょうか。
7月の頭あたりに急にTwitterが使えなくなったかと思うと、表示に制限が設けられて、アプリ名が変わり、広告収益分配まで始まったということで、なかなかの変化の速さについていけずにいます。
でも明らかにツイートした時のリアクションが仕様変更後にガクンと落ちた感覚がありまして、「あれー、全然見られなくなってしまった。」と実感しております。前はかなりくだらないことでも見られてる感じがあったのですが、リアクションが薄いし、反応も遅いし、寂しい限りです。
めちゃくちゃ個人的な調査感覚ですが、たくさん見られるツイートがたくさん表示されるようになり、あんまり見られないものはあんまり流れにくくなっているのではないかと思われます。
ともあれこれでは私ごときのアカウントでは漫画の告知の意味すらなくなってきそうです。

そうです。もうお遊びの時間は終わったのです。
さて困りました。
その昔Twitterでフォロワーを増やそうと頑張る時期はあったのですが、毎日更新の大変さとスベる辛さで諦めてしまって「漫画が面白ければフォロワーが増えるはずだ。」と考えを方向転換し、せっせこせっせこ漫画を描いて今の状態にあるので、これから「Twitterに漫画を上げて頑張る」というのは、進む方向として逆方向な気がしている。頑張るなら方向転換する前にもっと頑張るべきだったのだ。
例えるなら好きな女の子がいて、彼女が好きになってくれそうな男になろうとして、色々好みを調べて、「やまじえびね」の漫画を読んでみたりしたんだけど、振られてしまって、「もっとかっこいい男になってやる」と寄せるのをやめた結果、当然彼女には振り向いてもらえず、かっこいい男にもなれていない。という状況に似ているのかもしれない。
悲しすぎるやろ!!書いてて嫌になってきた。
そもそも頑張り方が間違っていたのかもしれない。思い返せばいつもそうなのだ。僕はルールがわからない内にゲームに負けているのだ。
正解は「やまじえびね」を読むことじゃなかったんだ。

ともかくTwitterのフォロワーを今から頑張るっていう方向は無理だなーと思っており、やっぱり粛々と自分の漫画を頑張っていこうと思います。
もしかしたら僕のTwitterアカウントはこれからどんどん死んでいくのかもしれない。
それもやだなー。
また自分が寄せられそうなものを見つけたいと思っております。
ではまた近々お会いしましょう。


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