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制作日記「コスメ部第26話掲載」

現在発売中のゲッサン8月号にて「中高一貫!!笹塚高校コスメ部!!」第26話掲載されております。
どうぞよろしくお願いします。

この回もなかなかネームに困った回だったように記憶しております。
とか何とか言ってる場合じゃないくらい毎日暑いですね。
みなさんクーラー効かせすぎて、しんどくなってないでしょうか。僕はなっています。
暑すぎるのも嫌ですが、エアーコンディショニングされすぎるのもそれはそれで、どことなく身体がだるくなってきて、何もする気が起きません。
わがままなことです。

暑いので何も書くことが思い浮かびません。書く気がおきないと言った方が正しいのかもしれない。ましてや第26話を描いたのは随分前で、思い出したくありませんし、そう思ってる時点で特にどうしても書いておかなければいけないことはないのでしょう。
書くことが何も浮かばないのは暑い以外にも理由があり、「忙しい」ということです。
ノルマをこなすだけの毎日に心がいっぱいになってしまい、ただ起き上がり、机に座って漫画を描いて、ソーメンを啜り、茗荷をかじり、日が沈むと酒を飲みながら、明日のノルマを数え、スタッフへの仕事を用意し、新しく上がったラップバトルの動画を見て寝る。こういう漫画を描くだけの毛虫のような日々を送ると全く文章が出てこなくなってしまいます。
いつもは宣伝のためにつらつらとあることないこと書き連ねていますが、この状況ではどうにもなりません。心の余裕が必要なのです。
とりあえず、今月のゲッサンにも載っているということだけお伝えいたします。

さて、というわけで1日休んでみました。
とてもいい感じです。車両の中で一つだけ空いた優先座席ほどの心の余裕が生まれました。これで少しは何か書けるでしょう。第26話のことでも振り返ってみましょうか。
第26話のこともいいですけど、最近考えるのは「次に描く漫画はもう少し作り込んだ漫画にしよう。」ということです。
正直この「コスメ部」は全くのノープランから始まりましたから、それはそれでその良さがあると思いますし、何もないところから瞬発力だけで対応する筋肉も漫画を描く上で必要なわけですが、次に何かを描く場合は違う作り方をしてみたいなとよく考えます。
僕は昔から漫画で「嘘を描く」ということが「恥ずかしい」という変なクセがありまして、なんか作中に「本当に起ったこと」を入れないとうまく描けないというか、とにかくフィクションを描くというのが苦手、というめちゃくちゃ根本的かつ致命的な弱点がありました。
何かの役に入り、コントをしているにも関わらず、現実感のあるメタ的な発言をしてしまうというか、自分でも嫌になりますがそういうのが一番覚めるわけで、セックスしている最中にやたらと壁紙の色が気になるみたいな、「今はちゃんとセックスに集中しろ!」と思っても、その集中力が続かない。嘘が続かない。フィクションを保てない。だから女性からもモテないんじゃないか、とか色々マイナスなことまで考えてしまいますが、とにかくそういう性質があったわけですが、「コスメ部」を4巻まで描いてみたところ「おれ結構嘘描けるんだな。」という自信がわずかながら生まれてきました。
もちろんうまくは嘘をつけてないと思うんですが、それでも壁紙を気にせず、屋根裏に潜む第3者からの覚めた指摘に怯えたりせず、セックスと向き合おうとしている。目の前の女性器から目を逸らさず対峙している。そういう心持ちが大事なのです。
フィクションは相手への愛のなのです。

「なるほど嘘ってこうやってつくのか」ということがわかってきましたので、次は「もうちょっと作り込んだ嘘」を描いてみたくなってきました。
漫画家と称しておきながらかなり基本的なところでつまずいておりますが、まあまだ17冊しか描けていませんので、そんなものかもしれません。
というわけで作者はどこまでセックスの相手と向き合えているか。
その辺りも注目して読んで頂けましたら幸いです。


逃げちゃダメだ。



最近見た配信と読んだ本

心の師と勝手に思っている小説家の保坂和志さんが「小説的思考塾」という有料配信イベントをたまにしていて、気づくと見に行くようにしている。
毎回必ず学びがあってよいです。

今回の配信では「AIに優れた小説は書けるか」というのをテーマにお話されていて、その中で「そりゃAIの書いた小説がベストセラーになることは当然出てくるだろう。」ということをおっしゃっていた。
詳しい内容は忘れてしまったが心に残っているのは「作品の評価、価値をマーケットに委ねた時点でAIには勝てないだろう。」ということを言われていて、なんというかそれはグッときた。
別件だけど「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話」というエッセイを読んだ。

その本によるとルーマニアではルーマニア語小説の需要は少ないため、小説家というのが職業として成り立たないらしい。
だからルーマニアではみんな消防士をしながらとか、大工をしながらとか副業で小説を書いているということだ。
日本では僕が生まれる前からすでに出版界があり漫画雑誌があり、毎月のように新人漫画賞があり、日本語で漫画を読む人がたくさんいて商売として成り立っているわけで、いや商売として成り立っているどころか、「漫画家」というものがボクシングチャンピオンや芸能人のように「一攫千金を夢見る対象」になっている。
何より僕自身がそれにつられてのこのこと漫画を描き始めたのだ。もちろんそれだけではないんだけども。でも日本の漫画家がルーマニアの小説家のような状況だったら僕はハンバーグレストランにでも勤めながら漫画を描いただろうか。どうだろう。まあ描いた気もするけど。ハンバーグレストランはレストランで勤務時間長いからな。年に読切1本ぐらいは描いただろうか。
小説家が専業の商売として成り立たない世界では作品の価値はやはり売上数やいいねの数ではないのだろうと思う。
当たり前にマーケットが存在していて、さらに最近は電子書籍などで調子もいい日本で漫画を描いていると、どうしても売上数に一喜一憂してしまう。もちろんそれがないとどうにもならないのだが。(本当にそうか?)
特に物語を立ち上げる初期の初期には心のどこかにルーマニアの小説家がいないといけない気がする。

ではまた。
毛虫に戻ります。


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