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制作日記「コスメ部第24話掲載」

現在発売中のゲッサン6月号にて「中高一貫!!笹塚高校コスメ部!!」第24話掲載されております。
どうぞよろしくお願いします。

どうぞよろしくお願いいたします。と言ったところで、もう5月も30日です。告知するには遅くなりすぎました。
最近とにかく忙しい日々を過ごしております。
エッセイ漫画の連載が先月から始まりまして、かなり警戒して原稿を先行させたので余裕かなと思ったのですが、やれ校了のチェックだ、描き直しだと様々な作業が発生しまして、やっとそれらがひと段落したところであります。あーしんど。
24話どんなんでしたか。
ちょっと振り返ってみましょう。


うん。消しゴムがすごくうまく描けてますね。
小野獅子研磨(おのれおけんま)といういかにもギャグ漫画という感じの名前のキャラのお話です。
結構自信があるので、4巻の中から1話Twitterに流すならこの話かもしれません。

しかしまあこういう鬱屈したモテない男をどうしても描いてしまうのが私の弱点なのか、それとも長所なのか、引き出しを開くとそればっかり出てくるので困ったものです。他に入ってないんだから仕方ありません。
それを消しゴムをうまく描いたりして新しいことをやってる風に見せたりしながら、しかしそればっかやってても出口はありませんので、消しゴムをとてもうまく描きつつも、タンスの中に眠ってるまだ自分でも気づいていない着てない服を見つけていくしかないのでしょう。

小野獅子研磨くんが生まれた瞬間のラフが出てきました。
こちらです。

薄っ!!
アホ丸出しやん!!
しかしここから何県出身で何人兄弟かおじいちゃんと住んでて家業は何をしているか。想像して描いてみました。
いかがでしょうか。

雑誌で追いかけてる方にはわかると思いますが、24話後半はここ最近恒例(?)のうんちくコーナーがあります。
漫画を描き始めた時からずっと気にしていることは「自分の描いているものは果たして価値はあるのか。」ということです。
執筆業を平たくいいますと「白い紙に何かを描いて売りつける人」だと仮定するならば(仮にね)、自分で面白いと思ったところで、それが誰かがお金を払うほどの価値があるのかどうかは怪しいわけで、そこらへんのところが何年経っても不安に思ってしまいます。
あらゆる漫画は究極全部ウソなわけですから、ネームを描いて「あーおもしろ」と一瞬は思いますが、作画しているうちに「でもウソだしなー。」という不安がいつも押し寄せてきます。
ウソだけど「ここでそういうことがあったとして!」という作画のテンションを上げるために資料写真を撮りに行ったりしてしまいます。
私もデビューしてかれこれ15年(マジか)になりまして、なんやかんや短くない期間漫画を描いていますと「大したことないのに大きく見せる演出方法」とか「なんかつじつま合ってないけど合ってるように見える描き方」とかそういうのを身に付いてくるというか、漫画というのはそういうことがやりやすい表現方法なのではないかと思ったりもして、悪くいうと誤魔化しが効くっちゅーか、「シーンをコマで割って飛ばす。」という漫画の特性は便利な分、使い方によっては怖いなーと思ったりします。

考えの角度を変えまして、では「価値のある本」とは一体なんだろうと考えますと、一つ思いつくのは「辞書」です。
これは便利です。言葉を覚えると人と話ができますし、話ができると孤独が紛れます。仲間を作れるかもしれないし、仲間を作れなくとも1人もやもやとした形のない感情にも名前をつけて一息つくことができます。なんせ歴史がありますし、日本語の辞書であれば日本がある限りやはりその価値は揺るぎません。価値ありありです。
二つ目に考えたのは「教科書」です。
「歴史」とかは時代や国によって変わってしまうかもしれませんが、事実として変わらない部分は多いし、文学にしてもその時代時代のコレクトネスに時に飲まれながら、時に弾き返しながら、にょきにょきと生きながらえた納得感がありますし、生物や数学、自然科学というものはやはり変わらず、1+1はやっぱり1であり36の約数はどこへ行っても1,2,3,4,6,9,12,18,36なわけで、やっぱ教科書は価値があり。と言えるでしょう。
そのような「本としての価値」を是非自署にも反映させたい。
最近うんちくコーナー(コーナーではないんだけど)があるのはそういった考えもありつつ、ただ単に言いたいエゴもありつつ、中高生の方々に面白いと思ってもらいつつも「へ〜へ〜。18ヘェ〜。(古い)」と思ってもらえればラッキークッキーリトバルスキー(古い)であるといった心持ちからであります。

翻って考え方を178度グッと変えますと、ウソ、というかフィクショナルな部分、平たくいうと「ギャグ」の部分で笑わせる自信がないからうんちくに頼り始めたという見方もできます。自分で言うのもなんですがこれもあながち否定できません。そうかもしれない。
あと2度ググッと見方を変えますと、そもそも「本に価値なんか必要なのだろうか。」とも思わなくもありません。
ちょっと前に息子が通う小学校の図工の時間に作ったものや描いた絵を体育館で展示する展示会があったのですが、その中にどこの子どもが描いたか、学校の階段の絵があって、その絵のテーマが「学校の中で私が好きな場所」だったのです。
その階段の絵を見てると、これを描いた子は雨の日も風の日も、嫌なことがあった日も、お母さんに怒られた日も、テストで最悪な点をとった時もこの階段を見ながら登り降りしたんだなと思い、そのなんでもない階段を「私が好きな場所」として思い浮かべたことに対して、妙に感動してしまい、私は1人うるうるとした瞳を誰にも見られぬよう顔を伏せ、帰りに美味いラーメンを食べて帰ったのでした(ズゾゾゾ)。しかしこの絵は0円なわけです。

本の価値とはなんなのか。本に価値は必要なのか。
売れないと余計なことばかり考えてしまいます。
まあ色々実験しつつ、「もっと読みてぇ」と思ってもらえるものを描いていきたいと思います。
今しばらくお付き合いいただけますと幸いです。



映画「Winny」を観ました。

ちょっと前になりますが「Winny」という映画を観てきました。

ファイル共有ソフトWinnyの開発者金子勇さんが「著作権法違反幇助」の罪で捕まった事件を題材にした映画です。
僕がパソコンを始めて手に入れたのはたしか2000年、二十歳頃のことで、当時は「Winny」よりも「WinMX」の方がまだ主流であり、僕も悪いことであると知りつつもめちゃくちゃ使っていました。エロ動画を漁り、音楽ファイルや音楽PVをダウンロードしまくっていました。
時には凶悪なウィルスを送り込まれてしまって、夜中にモニターに血痕がポタッと付き、「何かな?」と思った瞬間「ボタボタボタボタ!」と画面が真っ赤に染まって、最後にホラー映画のような亡霊が画面いっぱいに表示されて、夜中に悲鳴を上げながら電源スイッチを引っこ抜いたこともあります。
しかし金も希望もない暇な若者にとってそれは欲しくても買えないものが手に入る感動的な装置だったし、かすかな罪悪感を吹き飛ばして夢中になりました。
決して大きい声では言えませんが「WinMX」は紛れもなく僕の青春だったのです。

「なんてけしからんやつだ」と言う人もいるかもしれません。しかしどう考えても事実だし、大っぴらに言わないだけで当時みんなやっていたわけです。でもなけりゃ社会問題にならないわけですから。
それから23年。あの頃寝る間を惜しんでダウンロードしていたPVはYouTubeで無料で観れるし、音楽は月1500円払えば無限に聴けるようになりました。映画もアマプラなら月500円で観切れない数あります。
今考えると「ソフト」が「コンテンツ」と名を変えて定額になっていく過渡期ということだったのかもしれません。

そう考えると23年経った今でも「漫画」だけその定額の波からまだ逃れ続けられているようにも思います。

「Winny」の映画を見て思い浮かべたのは「漫画村」です。
「漫画村」が流行った2018年には僕はもうちゃんとお金も稼げていたので、アクセスしたりしませんでしたが、使う若者の気持ちはめちゃくちゃわかりました。前述の通りなんせ若者は金がないのです。でも時間も好奇心もあるからいっぱい読みたいのです。(今はTicTokとかで無限に遊べるのでそうでもないかもしれない。)
「漫画村」の運営者として2021年に有罪判決を受けた星野路実さんは「著作権法違反」と「組織犯罪処罰法(犯罪収益等隠匿)」で3年の実刑判決を受けていますが、そのニュースにはちょっと奇妙なところがあり、 朝日新聞の記事内では「星野被告は2017年5月、人気漫画「キングダム」516話と「ワンピース」866話の画像ファイルを「漫画村」のサーバーに保存し、誰でも見られるようにしたとされる。」とあり、「どういうこっちゃ?漫画を片っぱしからアップロードしてたんちゃうんかい?」と思ったわけですが、調べてみますと「著作権法違反」になるのは「漫画データをサーバーを保存して誰でも閲覧できる状態にした」時に適用されるんだけど、漫画村ではサーバーに漫画データは保存されておらず、別の違法サイトからデータを引っ張ってきているだけで、それでは著作権法違反には当たらないということらしいです。
なので「漫画村のサーバーに偶然アップされていた「キングダム」516話と「ワンピース」866話」を理由に半ば強引に逮捕するしかなかったため、こういう書き方になってるということのようです。
つまり漫画村は故意に著作権法の穴を突いたサイトだったわけです。
ちなみにもう一つの「組織犯罪処罰法」というのは漫画を無料で見せるサイトを作ってそのアフィリエイトで稼いだ金は犯罪で稼いだ金であるという見方での罪状なのですが、星野路実さんはこれに対しては「そもそも漫画村は違法ではない。なのでそのアフィリエイトで得た収益も犯罪で稼いだ金ではない。」という論理を持っているようです。(youtube「裏社会ジャーニー」での発言より)

映画「Winny」の中でも警察は金子さんがネットにアップロードしてると思って自宅に踏み込みますが、その証拠はなく、嘘の供述書を書かされて罪をでっち上げられてしまうというシーンがあります。
プログラマーとしての思想を持っていた金子さんと漫画村の星野さんを同じように見る気は毛頭ないですが、何が言いたいのかと言いますと、警察は法律ではなく割と「世論の空気」で動きがちで、逮捕しようと思ったらどうでっち上げてでも逮捕する(っぽいぞ)ということです。
そしてそういう時ってなんか国民全員がそれを望んでる雰囲気になるっぽいぞと感じます。
(今アマプラで名作映画「A」も観れるようです。)

「漫画村」の話をすると99.9% の漫画家がめちゃくちゃ嫌な顔をするし、漫画ファンも「漫画村を使ってるやつは死ね。」と急に激情型になりますが、僕自身はもちろん気持ちは十分にわかりつつも、イマイチそのノリには乗り切れなくて、「といいつつみんな見てるんでしょ?」って思っちゃうし、そういう感情論ではなく、ちゃんとした法整備をしたり、海外資本に乗っ取られないようなサービスを作ったりするにはどうすればいいかを話し合わないといけないのではないかと思ったりします。(でもインターネットでの自由を守りつつ規制するって無理があるんだろうと思う。)
新しい技術を国家により潰されたという映画を観ながら、身近にある「漫画を守ろうとする空気」がちょうど劇中の敵側になってるのではないかと思ったりしました。
漫画村のことなどみんなもう忘れかけていますが、次どんな便利なサービスが出てくるかわからないし、また著作権法の穴を付いてくる人が出てくるかもしれない。
その時に漫画家として自分の取り分が荒らされる場合、どういう対応をするべきなのか。
その時もまた「STOP海賊版」とかやって、社会問題ぽくして、感情論に流されて警察が動くのかなと思うと、結局法律じゃなくてノリなんかい!と結構暗くなったりする。
映画の感想終わり。

ではまたお会いしましょう。
こんな話の最後にいうのもなんですが。。。単行本発売中!!


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