セーラームーンチャレンジ炎上で学ぶ西洋美術史

高校、大学と美術史の授業がありましたが、僕自身の専門が美術史ではなかったため、特に近代西洋美術についてイマイチ理解があいまいな部分がありました。ずっと、もう少ししっかり理解したいという思いがあったのですが、最近Twitterで見られたセーラームーンチャレンジをめぐる一連の騒動を見ていて、自分の中で腑に落ちる部分があったので、皆さんにも共有したいと思います。

最初に言い訳しておきますと、僕は人種問題も美術史も専門ではありませんので、文章に誤りがある場合には是非とも指摘いただければと思います。

セーラームーンチャレンジの炎上とは

始めにセーラームーンチャレンジについて説明しておきます。これは、Twitterでイラストレーターや漫画家などがセーラームーンの同じシーンを、各自の表現で描きなおすという二次創作のムーブメントです。始まりは日本国内だったようですが、それが世界中のセーラームーンファンに飛び火して、多くのイラストがTwitterにアップロードされています。

そんな中で、一人のマレーシア人がアップロードした絵が思わぬ形で議論を呼ぶことになりました。

本人はセーラームーンをより「アジア人的」に描いただけでした(現在は削除されましあが、黒髪版のものもありました)。これを目にした一部の人たちが「そもそも、セーラームーンの主人公はホワイトウォッシングなのではないか」と騒ぎ出したのです。ホワイトウォッシングとは何かというと、「白人のようであることが素晴らしい」という人種差別的価値観から、非白人を白人のように描くあるいは映画で白人が演じるというものです。

僕は、セーラームーンがホワイトウォッシングであるかどうかを議論したいわけではなく、セーラームーンの絵を見て、ホワイトウォッシングであると感じる人がいる一方で、その指摘に違和感を感じる人も多くいるTwitterの議論を見ていて、一枚の絵をどのように見るか人によって大きく違うことに気づきました。そして、その違いを考えていくと、19世紀の西洋美術史の流れが理解できるようになった気がしました。

新古典主義

さて、ここからセーラームーンの炎上から、西洋美術史をどう学べるかの話となります。大きくルネサンス、バロック、ロココと変化してきた西洋美術の潮流ですが、19世紀に入ってからは社会の近代化の影響を受けて、より複雑に変化していきます。

まず18世紀後半から19世紀前半には新古典主義といわれる美術様式が流行します。西洋でいう「古典」とは古代ギリシャ・ローマ時代のことを示します。新古典主義というのは、古代ギリシャ・ローマの彫像のような数学的に計算された美しさを理想的なものとしてとらえて表現するというものになります。

おそらく、この時点で白人が他の人種に優越するという価値観はそれほど強くなかったかもしれません。しかし、ギリシャ・ローマを理想とする価値観は、自然と美しい人とは白人であるというい形で表現されることになります。

その特徴的な例が、このエドワード・ポインターの『アンドロメダ』ではないでしょうか。東アフリカにあるエチオピアの王女であるアンドロメダが完全な白人として描かれています。

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こういった古代ギリシャ神話をテーマとした絵画においてアフリカ系や中東系の人間がヨーロッパ人として描かれることはホワイトウォッシングの典型例として現代では批判されています。

つまり、セーラームーンをホワイトウォッシングだと批判している人たちは、セーラームーンの作画が新古典主義のように主人公を金髪碧眼の白人の女性として表現しているのではないか、と批判しているのではないでしょうか。

写実主義

新古典主義の次に西洋美術で重要になってくるのが写実主義の流れです。この「写実主義」あるいは「写実的」というのは、美術史で使われている用語と僕たちが日常使っている用語に大きく乖離があるようで、僕もこの言葉の意味を理解するのには、だいぶ苦戦をしました。

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今回の騒動のきっかけとなった上記の絵は、確かにアジア人的な様相になっており、「写実的」と言える絵柄になっています。しかし、美術史において「写実主義」とは、技法として「写真のように正確な描写する」ことを意味してはいないらしいのです。

以下の2つの有名な絵をご覧ください。どちらが「写実的」でしょうか?これ、美術史的には右のほうが写実的なんですね。なぜなら、ナポレオンがアルプス越えで、こんなポーズは取っていないと想像される一方で、右の浮世へは実際に有りそうな条件を描いているからです。

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つまり、美術史において「写実主義」とは、技法のことではなく作品のテーマが「写実的」であるということなんです。これ、英語のほうが理解しやすいですね。「Realism」とは、「Real」つまり現実を描こうとする芸術活動なわけです。

この写実主義で有名なのはやっぱりミレーでしょうね。農作業の光景をリアルに表現しています。

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19世紀になり、芸術家たちは過去のギリシャ・ローマ時代の芸術を理想とすることはやめて、自分たちの身の回りにあるテーマを表現するようになったわけですが、これにはやはり市民革命あるいは産業革命が重要な要素だったんでしょうか。

印象主義

「印象派」という表現のほうが一般的ではありますが、ここでは表現をそろえるために印象主義という言葉を使います。

印象主義の絵画は日本でもとても好まれているので細かな説明は不要かとおもいます。僕の理解では、古典というテーマから解放された画家たちは、次に技法においても古典主義から脱却した時代が印象派の時代です。簡単に言えば「写真みたいな絵をやめた」時代といえるかと思います。

モネの『印象・日の出』が特に象徴的ですが、上にあるダヴィッドやミレーの絵画と比べて大きな違いがあります。日の出の朝もやの雰囲気をモネが感じたままに描いています。つまり、作品の中に作者の主観が登場したと言えるのではないでしょうか。逆に言えば、それ以前の絵画は同じ主題を描けば、どのような作者であっても同じような構図・色彩になっていたが、印象派以降においては同じ主題であっても作者によって表現が変わるようになったといえます。

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象徴主義

で、最後に象徴主義です。僕がこの記事で一番伝えたいのが、この「象徴主義」でした。今回の騒動の原因は、実は象徴主義的絵画をプリミティブに読み解くことができるかどうかなのではないか、と考えているためです。

まず、象徴主義の絵画がどういうものかを知るために、日本でも有名な絵画をいくつか並べてみます。ミュシャとクリムトですね。

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この2枚が非常にわかりやすいと思うのですが、もはや新古典主義に見られた西洋絵画のお約束である、三次元的でリアルな描写が完全になくなり、平面的な絵画となっています。

そして、象徴主義の特徴として作中の構図や人物の衣装などがリアリティ重視ではなく、作者の意図を伝える「象徴」として描かれているという点があれられます。クリムトの絵画でいえば、この男性が金色の元禄模様のローブを身にまとっていることの写実性は重要ではないということです。

で、このセーラームーンチャレンジのイラストです。セーラームーンは金髪で描かれています。これを見ている日本人の多くは、この金髪は彼女が月の守護を受けたキャラクターであることの「象徴」として金髪になっているのであり、決して地毛が金髪であるということを意味していないと理解できるのではないでしょうか。

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今回、ホワイトウォッシングで騒動となった人たちは、この象徴主義的な日本のマンガ表現を理解できず、古典主義的な見方、つまり絵画表現は現実をリアルに描画することからスタートしていると認識してしまっているのではないでしょうか。

というのも、マーベルの作品の実写化の際にはコミック同じような人種・肌の色を意識したキャストをアサインしていますよね。

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で、思い出したのがセーラームーンの実写版。どうなっているのかと調べてみました。公式サイトから持ってきたのですが、ちょっと古いサイトなので画像がわかりにくいですが、普段は黒髪なんですよね。返信すると金髪になる。で、ほかのキャラクターもそれぞれ、自分のパーソナルカラーの髪の毛に替わっているっぽいです。

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というわけで、マンガやコミックの表現については、基本的にはそのキャラクターを象徴する記号として描かれているものであり、それを現実の人種等と絡めて考えるのは、ちょっとナンセンスなんじゃないかなぁと思った次第です。

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