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20211105

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久しぶりのnote
Twitterは手軽で手癖で慣れてきちゃって、短い戯言も溜息でもすぐ漏れ出せる感じになってきたので、締まりがないというか、なんとなくおしまいな気がする。影響を受けやすい自分にとって沢山の情報が(それでも制限しているつもりだが)あまりにも身近に感じすぎてしまう。離れたい。うるさい。
何かを書かないと吐き出さないとと切迫があって、新しいブログを探すもピンとこないのでとりあえずこちらを再開。
本当はいいねとか見られることにも今抵抗が強い。
そんな感じのテンション。

先日、あまりにもぼーっとして頭が働かなく、説明や会話が覚束ない文字通り仕事が手につかない状態になった。周囲の勧めもあって心療内科を受診して適応障害と診断された。心療内科、だいたいクソな所にしか私は当たらなくて、信用してなかったけど今回の所可もなく不可もなく。システム化されてるから効率はいい分のストレスはない。回転もいい、診察はドライで秒で終わる。腑に落ちない医師の説明のおかげでかえって症状を自分で調べまくる事につながり、今は適応障害について客観的な情報を多面的に得ることができた。口の悪さがおさまらない。

今までうつっぽいなとか、症状で言うと今より酷い状態は過去にも何回かあって、名前がついたのが今回が初めてだった。名前が付くと、漠然とした内部の薄靄が少し自分から離脱して安心を得られる反面、ふつうにショックを受けた。ああ、そう、という感じ。実のところ未だ受け入れられてない。休職して1週間。

ぽいなとは思っていたけどなんとなくまあその状態が流れるのを待って、なんとなくやり過ごして来た。今まで。それでなんとかなっていた。無理をしていたのかもしれないけど、まあ結構そんなことはよくある、ああまたか、という感じ。そんなんを続けてた。
だから今も別に復帰できると思ってる、すぐ。休む必要も私にはいらないと思ってる。
でもそれってどういうことなのか、どうなっていくことなのかも分かっていて。

仕事が好き。働くのが好き。あくせく毎日体を動かすことが楽しい。沢山喋って、色んな人とコミュニケーションとって、臨機応変に対応して、それが自分にとって心地いい運動の一つとして生活に根付いてしまった。それが出来なくなる、奪われてしまうと思うとはっきり悲しい。そんな大袈裟な、たかが仕事だし、代替できる、私がいなくても十分である、回るし、休むことは迷惑にもなってない、そんなこともわかっている。

あー病気ってめんどくさいな!!!!
なんだこれ。
健康だと思ってたが故にショック
こういう愚痴愚痴したりだらだらなんか言う日記が始まりまーす

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