20211128
近況
休職してちょうど1ヶ月経った。
なんやかんやと苦虫抱えたり色々あり、あったが、休めてることは率直にありがたい。
ようやく家にいる間は元気が出る日も現れてきた。しっかり休息して、身体に良い生活をしているとちゃんと返ってくるんだと、改めて実感。
その辺はダイエットの為にカロリー計算食事してた時と似てる。日々の微々が後々凄い効いてくるやつ。
だってそういえば。
ボディクリームなど買い揃えて持ってはいたにも関わらず、塗る時間を今まで設けてなかった。
帰宅してご飯をかろうじて食べたり食べなかったりし、即座に布団に忍び込み、そのまま気絶したように眠る日々もよくあった。深夜にハッと焦ったように起きてようやく寝巻きに着替えて電気消すとか。
そういうずぼらな生活に身を投じて、それで仕事が楽しいとか言っていて。それはそれで本当に楽しい気持ちでいた。夢中になれることが人生の中に存在してることが幸せだった。
元来働くの好きな仕事人気質なんだと思ってた。けどやっぱり身体が追いつかない。バリキャリにも憧れてた。自分に似合うのもやりたいのも、どっちかっていうと其方だと思ってた。けど違った。
誰も言わないから自分が言うしかないのだけど、本当によく気がついてしまう。些細なことから全体の様子まで。視点のスケールが大小どちらかじゃなくて、色んな大きささまざま備わってる。空間認識能力が高いのかな。眼から耳から取り入れられる情報量が物凄く多い。目で情報をスキャニングして耳でいろんな音声を同時に聞き取って、頭をフル回転させてそれらひとつひとつの情報を処理していく。スピードも求められてたからそれにも応じて。同時進行で複数件。
やってる様は、単にちょこまか動いてるな〜くらいにしか見えないだろうけど、個人の中でパワーが入り乱れ回っている。脳内会議で沢山の人や動作が飛び交っている。家具デザイナー、イームズの教育用映像「Power of ten」で人間の内部も細胞レベルまでスケールダウンしていくと宇宙と同じくらいの縮尺を擁している様が見て取れるが、まさにああいう感じ。宇宙規模で全細胞がフル稼働してるのだ。
大好きな映像↓
10月は特に忙しくて、誰もが十分に予期してなかったから毎日が混乱と混沌を極めてたように思う。その中をほぼ毎日フル稼働で動いてたのだ。毎日が限界だと思ってた。限界を超えたり超えなかったりした。9月の中旬〜後半くらいからもうそうだったように思う。ショートして当然だった。いつか来ると思いながら騙し騙し、今日は大丈夫かなまだいけるかななんてギリギリのせめぎ合いだった。毎日。動悸もずっと気になってて、家にいて安心していれば大丈夫にようやくなってきたけど、まだ今も仕事のことを考えると、そう。
そうんなんを続けてた。ひとりで勝手にだけど、2ヶ月分以上働いてた。ひとりで勝手にだけど。けどそうさせられた、そうするしかなかった。環境が、そうしてくれと言っていた。でないと滅びる、みたいに切迫してた。誰かがそうするしかなくて、それをやってたのだ。ひとりで引き受けてて。全部を。
気付くからやる、それは私に備わった技量だから勝手にやるけど、誰も私がやってることに気付かないし、気付く余地もない。だって勝手にやってたんでしょうと、そう言われるしかない。自己責任論というやつ。大嫌いだ。
自由だと謳いながら強制的に足枷をはめられてる。逃げたかった。毎日。もうだめかもしれないと思ってた。それが本当にやってきた。本当にだめになった。突然電池が切れた。
そりゃそうだ。ひとりでやることじゃなかったのだ。ひとりで背負うものでも、そもそもが背負い切れるものではなかった。休みたかった。電話しようかって思って、けど今日も忙しいかなって想像してとりあえず行くだけ行ってみようって毎日。電話する勇気もないし。なんて説明すれば良いのか分からなくて、その理由に嘘をつくのも嫌で、そうなったのだ。
気付かれたい。知っていて欲しかった。
人間が一人いるということ。必死で動いてるということ。それはあなた方の分も、なすりつけられたあなた方の分も、私がやっていたということ。
あなた方が楽する代わりに私は背負った。
それを引き受けないわけにいかなかった。それは環境がそうさせたのだ。そうだった。そうだったのだ。
どうすれば良いかなんて問わないで、考えてみて欲しい。ご自分で。本当は分かってるんだから。
ご自分のことをどうかご自分でやって欲しい。
それをやった上で一対一で、その集合で、出来ることがあるはずでしょう。それで、苦しくならない方法が、あるはずでしょう。
こちらに寄越さないで。どうか。
自分で勝手にやってくれ。
私は休みたい。私はとにかく休息が必要な身なのだ。どうか寄越さないで。こちらに投げないで。
勝手にやってくれ。
---------
最近は湯たんぽが最高。
風呂入る前に布団の中に仕込んで、風呂上がってホクホクしながら布団に入る。そういうことこそが自分のためにやることだと認識改めて、優先順位を高い位置に掲げてる。
卵型かわいいね。
柔らかい湯たんぽ。市場に溢れてる一般的な湯たんぽの、プラスチック製の固さや、ゴム製でも容器の無機質さとか触り心地が苦手だったのでありがたい。
「ヘルメット潜水株式会社」から買ったのだが、その会社名も最高と思っててその名前の潔さと覚悟を勝手に感じて一瞬で信頼した。
ひとまずこれは買って正解、しあわせでした。
--------
〜今後の野望〜
できれば編み物にチャレンジしてみよかな〜とぼんやり思っていて、セーターを編みたい。
あとダーニングの本が借りれたのでデニムの穴と靴下の踵を繕いたい。
滝藤賢一の本は買い、良い。とにかく良い。
とにかく例えば絵を描いてupするような、アウトプットによる達成感を小さくても日々の生活の中で組み込むことを慣習化させたい。
そうしないと自分を守れない。社会が守ってくれないからね、自分が自分を守るしかないようだ。どうしてこんなに厳しいのか。と思いながら。
そんでこっちを暮らしのメインにする。
いまは仕事の優先順位を強制的に下げたい。根が得意なことは自動でがんばるし張り切るタイプの気質なら、それをコントロールすること自動でやってることを意識して制御するのにも、ある程度のエネルギーを必要とするだろうと想像する。
出来ないことを仕事にする方が良いのかもしれないーとも思いながら...そんなことじゃ雇ってくれなかったり稼げなかったりして嗚呼資本主義よ
-------
休養専念で家にいる時間が増え、たまにの外出で、本当に街中に目から取り込む情報が溢れ返ってることに眩暈がする。もう十分すぎるだろってくらい都市化が進みすぎてるというか。ちょっと用事があって本屋とか100均とか行くけどその他の情報が目に入りすぎるというか。
あと自分はたぶん耳も良いので聞こえすぎるのもダメな時ある。喧騒とか、足音の集団とか他人の会話とか...SNSやネットのちょっとした検索画面。電車
そんでそういうの自分で外部に特異体質だと説明しなくてはならなかったり?病気のことも、理解し得ないことの方が多いけど、いつまでやるんだっていう。
先日タイガー立石展を見て社会脱却を図ろうとするのはどんな時代でも同じなのだと思ったり、アレサランクリンの生涯を描いた映画リスペクトで、歌詞の今との変わらなさに絶望したり。どうしようもなくどうにかしたい状況で、祈りの切実さを身に染みこませたり。
終わり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?