これがサンボだ

私の出会った格闘家たち:佐山聡、ビクトル古賀

 注)このシリーズは2010年頃、早稲アカの社内報に掲載したものに若干の加筆修正を加えたものです。ご承知おき下さい。

 知ってる人は知っていると思いますが、私は昔ボクシングをやっていて、プロでも7戦しました。また学生のころは体育会柔道部に所属しており、こっちも結構本格的にやっていました。というわけで当時様々な格闘家に出会う機会がありました。このシリーズでは私が格闘技に明け暮れた昭和の終わりから平成の初めにかけて出会った格闘家や彼らのエピソードを紹介していきます。

 あれは確か僕が大学2年生の頃なので1988年か89年(昭和62年~平成元年)だったと思います。柔道で壁にぶつかっていた僕は突破口をいろいろと探しており、思いついたのがロシアの格闘技、サンボの技術を柔道に取り入れることでした。そもそもサンボというのは柔道が源で、それをソ連軍が軍事用格闘技としてロシア各地の格闘技とミックスさせて研究開発したとても実戦的な組技系格闘技なのです。当時寝技を得意としていた僕は立ち技から寝技への連携を強化したいと考え、サンボに目をつけたのです。

 しかしサンボは当時の日本では(今も?)とてもマイナーで、教えてくれるところは当時二か所しかなかったのです。その一つが初代タイガーマスク、佐山聡氏のスーパータイガージムだったのです。当時の佐山氏はUWFで前田日明ともめて現役を引退し、修斗という総合格闘技を開発、広めようと活動していたころだったと思います。

 別に僕は佐山氏に会いたくてスーパータイガージムを選んだのではなかったのです。(もちろん、ひょっとして会えるかもというミーハー的な気持ちはあったのですが)ビクトル古賀が教えてくれるというのでスーパータイガージムを選んだのです。ビクトル古賀は格闘技界では伝説の人で、日本人とロシア人のハーフ(クォーター?)ということもあり、ロシアではコガシビリと呼ばれ親しまれていたそうです。1970年代に本場ロシアにわたり、41連勝という大記録を打ち立てたサンボの神様なのです。

 こうして僕はスーパータイガージムで週1回開かれるビクトル古賀先生によるサンボ教室に通うことになったのです。三軒茶屋にあったスーパータイガージムの場所は忘れてしまいましたが、雑誌で見るのと違い、やたら狭いところだなぁという印象をうけました。そしてその狭いジムの隅っこのほうに胡坐をかいていたのがビクトル古賀先生だったのです。たしかに顔はロシア人とのハーフっぽい顔でしたが、小さなおじさんで、ニヤニヤして座ってる普通のおじさんでした。

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