小説【黄昏のシンクロニティ】
【黄昏のシンクロニティ】
人には、誰しも好きなものがある。
僕にも、御多分に漏れず子供の頃から好きなものがある。
それは、今なおずっと好きでいる。
僕にとってのそれとは、音楽と映画である。
僕が物心ついて初めて聴いた音楽は、ベートーベンの交響曲第5番、いわゆる『運命』である。
『運命』の出だしは、インパクトがあり、聴いたら誰もが『運命』と分かる有名なパートであり、曲である。
折しも、今年はベートーベンが生まれて250年の年となっている。
FMやテレビでベートーベン生誕250年の特集もいくつかあった。
クラシック音楽は、数え切れないほどあり、僕は色々な作曲家の曲を聴きいてきた。
しかし、やはり一番好きなのはベートーベンであり、聴くとしっくりと心が落ち着く。
僕は、特にクラシック音楽が好きと言う訳ではなく、ジャズやロック、ポップスにヒーリング、フュージョン、ニューエイジと多様なジャンルの曲を聴く。
その時の自分自身のフィーリングによって聴きたい音楽が変わってくる。
僕は、学生の頃、ラジオっ子でいつもラジオを聴いていた。
FMやAMから聞こえてくる音楽をエアチェックし、カセットテープに録音もよくした。
そんな中、今でも印象に残っている曲がその時にFMから聴こえてきた。
その曲は、映画音楽だと後で僕は知ることになる。
ピアノの音が一音ずつゆっくりと弾かれていく。
そこに鳥の鳴き声が重なる。
キラキラと眩く黄金に光る夕日が湖に映り、アヒルがゆっくりと泳いで行く。
これから始まる物語を彷彿させるかのようにピアノの調べが盛り上がる。
そして、フルートと弦楽器の音が広がりを見せ、今からスタートする世界をイメージさせワクワクと期待させていく。
この曲は、ある映画のメインテーマでオープニングシーンで使われている。
このシーンは、まさに、映像と音楽がぴったりとマッチし、この上ない情緒的で上質な時間へと誘う。
僕は、さっきも言った様にこの曲を一番初めに聴いたのはFMの放送を聴いていた時であった。
なんと心に響き、もう一度聴きたいと思わせる曲なのだろうとその時、僕は思った。
僕は、この曲をもう一度聴きたいと思い何度も何度もFMを聴きこの曲を探した。
すると、僕がFMの年末にあったその年の映画音楽ベスト10番組を聴いていると、ついにこの曲が掛かったのであった。
僕は、「あっ!あの曲だ。」と小躍りする様に興奮し、嬉しくなってこの曲を聴いた。
そして、僕はついにこの曲の名前を知る事が出来た。
この曲は、映画『黄昏』のオープニングシーンで使われていた。
僕は、すぐさま曲名を紙に書き留めた。
映画『黄昏』は、ヘンリー・フォンダとジェーン・フォンダの実の親子が劇中の中でも親子に扮して話題となり、キャサリーン・ヘップバーンが母親役となった名作であった。
『黄昏』は、その年のアカデミー賞を3部門受賞した。
今でこそ、インターネットで検索すると曲のことをすぐに色々と調べられるが、その当時は、アナログの世界である。
何かヒントになるキーワードが無ければ中々調べる事が安易ではなかった。
後に僕は、この映画の原題が「On Golden pond」であり、この曲の原題も同じ「On Golden pond」だと知ることになる。
作曲したのはDave Grusinと言うフュージョン、ジャズ系のピアニスト、キーボードプレイヤーであった。
Dave Gusinは、他にも色々な映画の曲を作り、演奏している。
例えば、耳馴染みにあるのが名優ダスティン・ホフマンが主演した『トッツィ』の映画音楽がDave Gusinだ。
他にもトム・クルーズ主演のリーガル映画『ザ ファーム』もデーブ・グルーシンが音楽を作っている。
デーブ・グルーシンは、音数の少ない都会的な曲から自然をテーマにした情緒的な曲も作る才能溢れるミュージシャンである。
実は、僕はDave Gusinのアルバムを何枚か持っていて好きなミュージシャンであったが、まさかこの『On Golden pond」もDave Gusinの曲だとは思いもしなかった。
音楽と映画が、僕の中でシンクロした瞬間であった。
人生にはシンクロする不思議な時が誰にもある。
僕は、そう思うのである。
あの時もそうであった。
僕は海を眺めるのが好きだ。
心が行き詰まると夕暮れ時の海をボーッと何も考えずに眺めていたくなる。
空が黄金に眩く光り、時間が経つにつれ、その空はオレンジからピンクに移り変わり、ピンクからパープルへそして群青色から夜へとなっていく。
僕は、その空の色の移り変わりを見るのが大好きだ。
この空の色の移り変わることを「マジックアワー」と言う。
僕は、このマジックアワーを見るために毎日の様に海岸を訪れていた時があった。
当時、僕は大学院生で修士論文を書いていた。
僕は、その時、毎日、毎日論文のことばかり考えていた。
そんな中、僕にとっての癒しの場が、この海岸だった。
そう海岸は、僕のオアシスだった。
シーズンオフの海岸は、海水浴客もおらず、近所の人達が犬の散歩やウォーキング、そしてランニングをするのを見かけるくらいだった。
静かな日常の海岸が戻って来たと言う感じだ。
僕は、このシーズンオフの海岸が大好きだ。
シーズンオフの海岸は、静かに風と波の音が聞こえるだけだ。
僕は、砂浜に座り、遠くまで広がる海岸線をただ黙って見ていた。
波の音が僕の心を癒し、風がやさしく頬を撫でていた。
僕は、海を眺めながら、「この大きな海にとって人間って何てちっぽけな存在なんだろう」と思った。
「地球の歴史から見たら、僕たちの人生ってほんの点にもならない一瞬の時なのだろうな」と僕は思った。
そう考えると人の悩みや欲望なんて、ほんの些細なことだと思えた。
僕の疲れた心を波の音がかき消し、風が拭い去ってくれた。
すると、空の雲間から眩い黄金の光が幾重にもまるで薄いベールのカーテンの様に広がって注いで来た。
そのさまは、凄く神秘的でルネッサンス時代の絵画のようだった。
それはまるで光の周りに天使が舞い降り、神が降臨する様を描いた絵画のようだった。
その時、僕はある女性と出会った。
僕がいつも学校の帰りに海岸に寄っているといつも同じ時間に見かける女性がいた。
彼女は、いつも海岸にあるコンクリートの台に海を見ながら黙って座っていた。
僕は、会うたびに彼女も海が好きなんだなと思って彼女のことを見ていた。
その時、海岸と言う共通の場所で僕と彼女との時間がシンクロしていた。
何度か海岸で僕と彼女が共有の時間を過ごしているうちに、どちらからともなく挨拶をする様になった。
「こんにちは。」僕は彼女に挨拶した。
「こんにちは。」彼女もそれに応え挨拶し返した。
「よく会いますね。」僕は言った。
「そうですよね。」彼女が応えた。
初めは、お互いぎこちなく挨拶を交わした。
「何を聴いているのですか?」
僕は彼女の耳にイヤホンが入っているのを見て問いかけた。
「あっ!これですか?」
彼女は、耳に入れているイヤホンを取り出して言った。
「FMを聴いているんです。」
彼女の答えに対し僕は
「この時間帯によいFMをしているんですか?」
「音楽が好きだから、いつもFMを聴いているんです。」
「FMって音楽番組が多いでしょ」
彼女は、少し照れながら答えた。
「そうなんですね。確かにFMは音楽番組が多いですよね。」
「どんな音楽が好きなんですか?」
僕は、興味深く彼女に聞いた。
「そうだな。どちらかと言うと洋楽が好きです。」
「洋楽か。奇遇ですね。僕も洋楽が好きなんですよ。たまたま中学の時に聴いたFMから聞こえて来た曲がいいなと思って。」
「それから、僕は洋楽にハマってしまいました。」
「えーっ。あなたもFMを聴くのですね。」
洋楽と言う思わぬ共通点が僕達二人の会話を弾ませた。
まさにシンクロニティであった。
「この辺りに住んでるのですか?」
僕は、彼女に聞いてみた。
「いや住んでいないです。この海岸の近くの病院で働いています。」
彼女は、少し首を振って答えた。
「あっ、そうなんですね。」
「看護師さんですか?」
僕は、彼女に聞いた。
「いや違います。事務をしています。」
「帰り道なので、いつもここで海を見ながら音楽を聴いています。」
「あなたは、この近くに住んでるのですか?」
彼女も僕に興味を示した様に聞いてきた。
「いや僕もこの近くには住んでいないです。」
「僕も学校から帰る途中に電車を途中下車してこの海岸に来ています。」
「電車から見える海岸線が好きで、海を見ていたら途中下車したくなって降りてしまいました。」
と僕は少し笑いながら言った。
「あなたもそうだったんですね。」
「私たち似ていますね。」
と彼女がはにかみながら言った。
「いつも、たまたま、この海岸で見かけましたが、今度、時間を決めて待ち合わせしませんか?」
僕は、自然の流れでそう言った。
「そうですね。いいですね。」
「何時にしますか?」
彼女が嬉しそうに僕に聞いてきた。
「じゃあ、5時ではどうですか?」
僕は、彼女に言った。
「じゃあ明日の5時にこの場所で」
彼女が弾む様に答えた。
「OK!」
二人が、同時に言った。
まさにシンクロニティだ。
偶然が必然に変わった瞬間だった。
翌日になった。
僕は、彼女との約束の5時よりも前に海岸に着いた。
彼女がいつも座っていたコンクリートの台の上に、今日は僕が先に来て座っている。
僕は、しばらく一人静かに海を眺めていた。
波の音が規則的に心地良く聞こえて来る。
大海原の向こうに大型客船が大海へと進んでいるのが見える。
人生は、よく航海に例えられる。
果たして遠く目の前を渡って行くあの大型客船は、どこに向かっているのだろう。
異国へと繋がる大きな海。
その地にも新しい出会いが生まれている。
僕は、海を見ながらそんな事を考えていた。
すると、彼女が歩いてこちらに向かって来るのが見えた。
約束の時間より少し早い。
彼女は、僕の姿を見つけると笑顔でこちらに小走りでやって来た。
「こんにちは。」
彼女が、僕に近づき声を掛けた。
僕も、彼女に
『こんにちは。」と笑顔で答えた。
「早く来てたのですね。待ちましたか?」
彼女は、僕に少し恐縮した様に聞いてきた。
「今日は、早く研究を切り上げて来ました。」
「なんかワクワクとしてしまい、5時までの時間が今日はやたらと長く感じました。」
「あなたも、そうだったのですね。実は、私もそうだったんです。」
「昨日は、まるで遠足の前の日みたいな気持ちでした。」
僕は、彼女に照れて言った。
「私もそうです。楽しみの前ってワクワク、ドキドキして待ち遠しいですよね。」
「本当にそうですよね。」
僕は、相槌を打ちながら答えた。
二人が話しているうちに空が段々と黄金色から次第にオレンジに変わり、そしてピンク、パープルへと移り変わって行った。
目の前にはマジックアワーが繰り広げられている。
昨日までは、他人の二人が今は、こうして一緒にいる。
あの時、どちらからともなく声を掛け合わなければこの時間はなかった。
行動したからこそ、今の幸せな時間がある。
人は人と接し、認め合うことで自分自身のアイデンティティを感じる。
そう、幸せは待っていてもやって来ない。
自分自身が掴むもの。
出会いは必然と言う。
縁(えにし)は、今のあなたに必要な人と結ばれる。
だから、今の自分自身が大切だ。
あの時にあーすれば良かった。
こう思う時があるだろう。
しかし、本当はそんなものなんてないのだろう。
なぜなら、今のあなたに必要なことが訪れているのだから。
未来は作るものではなく、実は未来の姿から現在がある。
だから、あるべき未来を強くイメージすると良い。
「今、FMでどんな曲が掛かっているかな。」
僕は彼女に聞いた。
「聴いてみましょう!」
彼女は、携帯ラジオのスイッチを入れ、イヤホンの一つを僕に手渡した。
僕が左耳に彼女は右耳に一つのイヤホンをシェアしてお互いの耳に入れた。
イヤホンから静かにピアノのイントロが聴こえて来た。
そうあの曲だ。
「映画黄昏のテーマソングだね。」
僕は彼女に言った。
「私、この映画大好きなんです。」
「僕もなんだ。」
「今度、映画を観に行こうか。」
僕は、彼女を誘った。
「ええ。いいわ。映画素敵ですね。」
二人の会話は、大きな海の様にずっと続いて行った。
新しい航海が始まった。
二人にマジックアワーが降り注ぐ。
海の碧と空の碧の境界線がなくなり一つに重なり合った。
それは、黄昏が導いたマジックアワー、シンクロニティだった。
映画『黄昏』のテーマソングがBGMとして二人を包み込んでいる。
完
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